モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

 

喜びを分かち合う

 

戻る

 

 

聖なる森

ここで始まりました 1820年春

写真:John Telford、BYU

ジョセフ・スミス−歴史

 預言者ジョセフ・スミスの歴史からの抜粋,『教会歴史』第一巻,一−五章

ジョセフ・スミス,自分の先祖と家族と,家族が以前に住んでいた所について述べる。宗教についての異常な騒ぎがニューヨーク州西部に広がる。ジョセフ・スミス,ヤコブより指示されたとおりに知恵を求めることを決心する。御父と御子が現れ,ジョセフは預言者の務めに召される。(第一−二十節)

1末日聖徒イエス・キリスト教会の起こりと発展に関して,たちが悪く腹黒い人々によって,多くのうわさが広められてきた。これらすべてのうわさは,その扇動者たちがこの教会の教会としての名声と世における発展とを損なおうと企てたものである。そのために,わたしはこの歴史を書くに至った。それは,世間の考えを正すためであり,また,真相を知ろうとするすべての人に,わたしが事実を知っている範囲で,わたし自身と教会の両方に関してその事実を起こったとおりに知らせるためである。

2この歴史の中で,わたしは,真実かつ公正にこの教会に関する様々な出来事を,それらが起こったとおりに,あるいは現在あるとおりに述べよう。今や,この教会が組織されて八年目〔千八百三十八年〕である。

3わたしは主の千八百五年十二月二十三日に,バーモント州ウィンザー郡シャロンの町で生まれた。……わたしの父ジョセフ・スミス・シニアはバーモント州を去って,ニューヨーク州オンタリオ郡(現在のウェイン郡)パルマイラに移り住んだ。当時,わたしは十歳くらいであった。父はパルマイラに着いてから約四年たって,家族とともに,同じオンタリオ郡内のマンチェスターに移った。

4家族は十一人から成っていた。それは,父ジョセフ・スミス,母ルーシー・スミス(母の結婚前の姓はマックといい,ソロモン・マックの娘であった),兄弟たち,すなわちアルビン(千八百二十三年十一月十九日,二十五歳で死去),ハイラム,わたし自身,サミュエル・ハリソン,ウィリアム,ドン・カーロス,それに姉妹たち,すなわちソフロニア,キャサリン,およびルーシーであった。

5マンチェスターに移り住んでから二年目のあるとき,わたしたちが住んでいた地域に宗教に関する異常な騒ぎがあった。それはメソジスト教徒から始まったが,間もなく広くその地域内のすべての教派に及んだ。実に,その地方全体がそれに影響されたようであった。そして,大勢の群衆が様々な教派に加わり,それが人々の間にただならぬ騒ぎと分裂を引き起こした。「見よ,ここだ」と叫ぶ人がいれば,「見よ,そこだ」と叫ぶ人もいた。ある人はメソジスト派の教えを,ある人は長老派の教えを,またある人はバプテスト派の教えを擁護して論争していた。

6これら様々な教派に転じた改宗者たちは,改宗のときに深い愛を表明し,また,この尋常でない宗教的感情の場面を引き起こし助長するのに深くかかわった牧師たちは,すべての人を改心させるために,どこでも自分の好む教派に加わりなさいと言って,大いなる熱意を表した。にもかかわらず,改宗者たちのある人々はある教派,またある人々は別の教派というように所属が定まり始めると,牧師たちと改宗者たちの好ましく見えた感情は,真実ではなく偽りであるように思われた。牧師が牧師と,改宗者が改宗者と言い争うひどい混乱と悪感情の場面がこれに続き,その結果,すべてお互いの好感情は,もしかつて幾らかでもそのようなものがあったとしても,今は言葉の争いと見解についての論争ですっかり失われてしまったからである。

7わたしは当時十四歳であった。父の家族は長老派の教えを受け入れ,そのうちの四人,すなわち母のルーシー,兄弟のハイラムとサミュエル・ハリソン,および姉のソフロニアがその教会に加入した。

8このひどい騒ぎの間,わたしは心の中で深く考えさせられ,大きな不安を感じないではいられなかった。しかし,わたしの気持ちに深く,またしばしば痛烈に感じるものがあったにもかかわらず,なおわたしはこれらすべての教派から遠ざかっていた。それでも,機会があるごとに,彼らのいろいろな集まりには出席した。そうするうちに,わたしの心はややメソジスト派に傾き,彼らに加わりたいとかなり望むようになった。しかし,様々な教派間の混乱と争いが非常に激しかったので,わたしのように若く,世間のことを知らない者にとって,だれが正しく,だれが間違っているか,確かな結論を出すことは不可能であった。

9わたしの心は時々ひどくかき乱され,叫び声と騒ぎの渦は熾烈なもので絶えることがなった。長老派の人々は,バプテスト派の人々とメソジスト派の人々に断固反対し,あらんかぎりの理屈と詭弁の力を用いて彼らの誤りを立証しよう,あるいは少なくとも彼らは誤っていると人々に思わせようとした。他方,バプテスト派の人々とメソジスト派の人々は,彼らは彼らで,同じくらい熱心に,彼ら自身の教義を確立して他がことごとく誤っていることを立証しようと努めた。

10この言葉の争いと見解の騒動の渦のただ中にあって,わたしはしばしば心に問うた。「何をしなければならないのだろうか。これらすべての教派のうちのどれが正しいのだろうか。それとも,ことごとく間違っているのだろうか。もし彼らのうちのどれかが正しいとすれば,それはどれで,どうすればそれが分かるのだろうか。」

11これら宗教家たちの論争によって引き起こされた,極度に難しい事情の下で苦しんでいたある日のこと,わたしは,ヤコブの手紙第一章五節を読んでいた。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」

12この聖句が,このとき,かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って,わたしの心に力強く迫って来たのであった。それはわたしの心の隅々に大きな力で入り込んで来るように思われた。もしだれか神からの知恵を必要とする者がいるとすれば,それは自分であることを悟って,わたしはこの言葉を再三再四思い巡らした。なぜならば,わたしはどうしてよいか分からず,また自分がそのときに持っていた知恵よりも深い知恵を得られなければ,どのように行うべきかまったく分からなかったからである。それというのも,様々な教派の教師たちは同じ聖句を異なって解釈し,その結果,聖書に訴えて疑問を解決することへの信頼をすべて打ち砕いてしまっていたからである。

13とうとうわたしは,暗闇と混乱の中にとどまるか,それともヤコブが指示しているとおりに行うか,すなわち神に願い求めるか,どちらかにしなければならないという結論を出すに至った。わたしはついに「神に願い求め」ようと決意した。もし神が知恵に不足している者に知恵を与え,しかもとがめもせずに惜しみなく与えてくださるならば,思い切って願い求めてみるべきだと結論づけたのである。

14そこで,神に願い求めるというこの決心に従って,わたしはこれを実行するために人目を避けて森に入って行った。それは千八百二十年の早春,美しい晴れた日の朝のことであった。わたしがこのようなことを行おうとしたのは,生涯で初めてであった。わたしは不安のまっただ中にあっても,声に出して祈ろうとしたことはまだ一度もなかったからである。

15わたしは前もって決めておいた場所に人目を避けて行き,辺りを見回し,自分一人であることを確かめると,ひざまずいて,心の願いを神に告げ始めた。わたしがそうし始めるやいなや,すぐにわたしは何かの力に捕らえられた。その力は完全にわたしを圧倒し,わたしの舌をしびれさせるほどの驚くべき力を振るったので,わたしは物を言うこともできなかった。深い闇がわたしの周囲に集まり,一時はあたかも突然の滅びを宣告されたかのように思われた。

16しかし,わたしは自分を捕らえたこの敵の力から救い出してくださるようにと,あらんかぎりの力を尽くして神に呼び求めた。すると,わたしが今にも絶望し,破滅に身を任せようとしたその瞬間,すなわち想像上の破滅ではなく,目に見えない世界から来た実在する何者かの力,わたしがこれまでいかなる者にも一度も感じたことのないほどの驚くべき力を持った者の力に身を任せようとした瞬間,この非常な恐怖の瞬間に,わたしは自分の真上に,太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そして,その光の柱は次第に降りて来て,光はついにわたしに降り注いだ。

17それが現れるやいなや,わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして,その光がわたしの上にとどまったとき,わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると,そのうちの御一方がわたしに語りかけ,わたしの名を呼び,別の御方を指して,「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われた。

18わたしが主にお伺いしようとした目的は,自分が加わるべき教派を知るために,すべての教派のうちのどれが正しいかを知ることであった。そこで,わたしは我に返って物を言えるようになるやいなや,わたしの真上で光の中に立っておられた方々に,すべての教派のうちのどれが正しいか(当時は,すべての教派が間違っているということなど,わたしの心に思い浮かびもしなかったからである),また自分はどれに加わるべきかを伺った。

19すると,それらのどれにも加わってはならない,すべて間違っているからである,とのお答えであった。また,わたしに話しかけられた御方は,彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり,信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており,「彼らは唇をもってわたしに近づくが,その心はわたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え,神を敬うさまをするけれども神の力を否定している」と言われた。

20その御方は再びわたしに,それらのどれにも加わることを禁じられた。また,ほかにも多くのことをわたしに言われたが,今はそれを書くことができない。わたしは再び我に返ると,自分が天を見上げて仰向けに横たわっているのに気づいた。光が去った後,わたしには力がなかった。しかし,間もなくある程度力を取り戻したので,家に帰った。そして,暖炉に寄りかかっていると,母がどうしたのかと尋ねた。そこでわたしは,「何でもありません。大丈夫です。元気です」と答えた。それから,わたしは母に,「長老派の教えは真実でないことが自分で分かりました」と言った。敵対する者が,わたしの生涯のきわめて早い時期に,わたしが彼の王国を妨げ悩ます者になると定められていたことに気づいたかのように思われる。そうでなければ,どうして闇の力がわたしに敵対して連合したのであろうか。どうしてわたしがまだ幼いときに,わたしに対して反対と迫害が起こったのか。

 ある説教者たちと信仰を告白するほかの者たちは,最初の示現の話を拒絶する。幾多の迫害がジョセフ・スミスに及ぶ。彼は示現が事実であったことを証する。(第二十一−二十六節)

21わたしはこの示現を受けてから数日後,前に述べた宗教上の騒ぎの中で盛んに活動をしていたメソジスト派の説教者の一人とたまたま一緒になった。そして,宗教のことについて彼と語るうちに,わたしは,その機会をとらえて,自分の受けた示現の話をした。ところが,わたしは彼の振る舞いにひどく驚いた。彼はわたしの話を軽くあしらっただけでなく,ひどく軽蔑した調子で,それはすべて悪魔から出たものであって,この時代に示現や啓示のようなものはなく,そのようなものはすべて使徒たちで終わっており,今後決してそのようなものはない,と言った。

22しかし,それから間もなく,わたしがその話をしたことが,信仰を告白する人々の間にわたしに対する大きな偏見を引き起こし,ひどい迫害の原因となったことを,わたしは知った。そして,迫害は増し続けた。わたしはたかが十四,五歳の名もない少年であり,生活の状況からいっても世の人々の中で取るに足りない少年であったにもかかわらず,地位のある人々はわたしに目を留めて,一般の人々の心をわたしに敵対するようにあおり,激しい迫害を引き起こそうとしたのである。これはすべての教派に共通したことで,すべてが連合してわたしを迫害したのであった。

23当時,真剣に考えさせられ,またそれ以来しばしば考えさせられてきたことであるが,十四歳を少し超えたばかりの名もない少年,それも日々の労働によってわずかな生活費を得なければならない定めに置かれた少年が,当時最も評判の良い教派に属する偉い方々の注意を引き,最も激しい迫害と悪口雑言を浴びせようとする思いを彼らの心中に起こすほどの重要人物と思われようとは,何とも不思議なことである。しかし,不思議であろうとなかろうと,それは事実であり,しばしばわたし自身にとってひどい悲しみの種となった。

24しかしながら,それでもわたしが示現を見たことは事実であった。わたしはそれ以来,自分はパウロによく似た心境であると思ってきた。彼はアグリッパ王の前で弁明し,自分が示現を受けて光を見,声を聞いたことを話した。それでもなお,彼を信じた者はほとんどなかった。ある者たちは彼は不正直だと言い,ほかの者たちは彼は気が狂っていると言った。そして,彼はあざけられ,ののしられた。しかし,すべてこのことも,彼が示現を受けたという事実を損なうことはなかった。彼は示現を見た。彼はそのことを知っており,天の下のあらゆる迫害も,その事実を変えることはできなかった。たとえ迫害されて死に至ろうとも,それでも彼は,自分が光を見,自分に語りかける声を聞いたことを知っていたのであり,最後の一息まで知っていたことだろう。全世界も,彼にそうでないと考えさせ,信じさせることはできなかった。