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『どんな甘いものよりも甘(い)』1(アルマ32:42)シェリーL.デュー Sweet Above All That Is Sweet Sheri L. Dew BYU Women’s Conference May 1, 2014 『どんな甘いものよりも甘(い)』2

少し前に、姉妹を対象に恵み(grace)についてお話しをするアサイメントを受けました。そのテーマに格闘していた私にある友人からメールをもらいました。私のためになるようにと思ってメールをくれたと思います。メールの内容は次の通りです。『お話しの中で次のようなことを話して欲しいわ。「恵みとは何か?」「どのようにすれば恵みを得られるようになるのか?」「恵みによって私の人生はどのように変わるのかしら?」「恵みを通して、孤独、過食、人との劣悪な関係、弱点、誘惑、不安定さ、心痛、ストレスに対応できるのかしら?」「夫との関係にも役立つの?」「恵みはいつもそこにあるの?それとも、何かしないと得られないものなの?」「それは感覚的(feeling)なものなの?」「恵みによって私は助けられているとどのように知ることができるのかしら?」オッケー、これらの質問に答えて欲しいわ。』

            私は一行で返事を書きました。『あなたが知りたいのはそれだけ?』

            彼女からメールをもらってから、別の友人に恵みについてどのようなことを知りたいか質問をしました。彼女は、『正直言って、テレビの宗教番組に登場する牧師のせいで(アメリカではテレビで宗教の集会を放送している)恵みについて本当の意味が分からなくなったの。恵みについてふれる回復された福音を疑いかけたくらいよ。私たちは恵みを信じているの?』

            それから、私はあるステークで扶助協会の会長を務めている別の友人に、彼女のステークの姉妹たちが恵みについて何を知りたいか会長会で話してみてとお願いしました。会長会の姉妹たちは十年以上もの長い期間ともに働いてきた、息の合った素晴らしい仲間です。長時間にわたる話し合いの末、彼女たちが言ったのは、『私たちは、恵みについて十分理解できていないから、何を質問していいか分からないわ』でした。

            このようなコメントとは裏腹に、どの時代においても中核となり、説得力のある、生き方を変えるメッセージは、イエス・キリストがすでに罪、死、地獄、そしてあらゆる種類の苦悩を乗り越えられたということです。天父が私たちにもっと理解して欲しいと思っておられることは、御子の贖いの大いなる意味と測り知れない効力が私たちに向いていること以外にありません。誓約を交わした姉妹と兄弟の力の鍵を解く鍵は、誓約を交わした姉妹と兄弟がイエス・キリストの力を解く方法を学ぶことにあります。

            この真理を心にとどめながら、私の友人が投げかけた4つの問いについて考えてみましょう。

「恵みとは何か?」

私の父には多くの徳がありました。人生において、教会の責任を信心深く果たしました。60年間ホームティーチングを一度も欠かしたことはないと思います。しかも、ホームティーチングの報復の道のりは180キロ(100マイル)にも及びました。私が最初に神権の力について証を得たのは父からでした。父の死後、父が誰にも知られずに行った親切な行為の数々を繰り返し聞きました。父の言葉は「金」のようでした。しかし、父にはアキレス腱がありました。それは、決して克服できなかったかんしゃくでした。私たちは、父が家族を愛していると知っていましたが、しばしば父の怒りの矛先が家族に向けられました。

        父が亡くなる数日前の午後、私は父の寝ていたベッドのそばに座っていました。突然、私は長年父が癇癪を起したことについて、主に父を許して下さるように祈っていました。祈っていると、説明することができないことが起こったのです。一瞬にして、数十年に渡って感じていた痛みが消えたのです。父の怒りについて覚えていましたが、心に痛みは感じなくなりました。痛みが消え去ったのです。『灰にかえて冠を与え(られました)』(イザヤ61:3)それは、とても心温まる出来事でした。(It was sweet.

            これが、恵みです。恵みが持つ驚くべき力です。その瞬間救い主がなさったことは、世の癒しではなしえないことです。イエス・キリストの贖いの力が私を促して、父のために祈り、言うべき言葉を与えてくださいました。そして、主の癒しの力によって人生の傷をいやしてくださったのです。

            私の経験を聖典が説明してくれています。リーハイが見た命の木の啓示の中で、リーハイが見た人の多くは誓約の道に入らなかったり、途中で迷ってしまいました。(1ニーファイ8:18, 23, 28参照)しかし、一つのグループは、鉄の棒にしっかりつかまり、木の方向に一生懸命向かい、実を取り、そして、自分たちをあざける人の言う言葉を聞かなかったとあります。(1ニーファイ8: 30, 33-34)この実は彼らを幸せにし、『心は非常に大きな喜びに満たされ』ました。(1ニーファイ8:12)それは、『どんな甘いものよりも甘(かった)』(アルマ32:42)のです。

        この実についてニーファイは『どんなものよりも好ましいもの』(1ニーファイ11:22)だと語っています。「実」は贖いで、主が私たちに示してくださる測り知れない愛の中で最も形として表れているものです。恵みは贖いからあふれる力で、救い主が私たちを愛し続けてくださる証で、その方法は多岐にわたります。聖書辞書で恵みとは、『イエス・キリストのあふれんばかりの愛を通して与えられる神聖な助けと力で、恵みは人に困難なことができる力である』と記述されています。救い主は、恵みによって私たちに行動する力を与えてくださいましたが、私たちが努力して得たのではなく、主が私たちを心から愛しておられるから恵みがあります。それゆえ、恵みは甘いのです。父のベッドのそばで私が感じたものがまさしく恵みです。

            私はこれまで「甘い」(sweet)ということばは好きではありませんでした。しかし、甘いものは大好きです。しかし、「甘い」(sweet)ということばにはなぜかいつも少し無味乾燥な感じがしていました。BYUの学生だったとき、「優しい霊の持ち主」(sweet spirit)と呼ばれても褒め言葉として受け止めていませんでした。しかし、説明のできない平安や希望、愛や安らぎを感じるとき、主が恵みを表してくださっていることが理解できるようになりました。それは、実に「甘い」(sweet)と感じます。

            何年も前に、福音を学ぶ生徒として私が尊敬するある女性が、聖典の中に恵み(graceという言葉を見るときに、それを力(powerに置き換えると話してくれました。彼女の助言のおかげで、多くの聖句の意味に初めて納得がいくようになりました。私たちがイエス・キリストの恵みについて話すとき、主の力について話しをしています。すなわち、自分の力ではとうていできないことができる力です。

            救い主は、天と地において全ての力をお持ちです(マタイ28:18; モーサヤ4:9; D&C 93:17)主は、私たちを聖め、許し、贖う力をお持ちです。私たちの弱さ、病気、心痛をいやす力をお持ちです。サタンの誘惑を克服し肉体の弱さを克服する力をお持ちです。私たちに霊感を与え強めてくださる力。自分の力では抜け出せないところから解放してくださる力。そして、死を克服する力をお持ちです。使徒パウロは、『わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。』(ピリピ4:13)と言っています。パウロは恵みについて話しています。

            恵みは、私たちが苦慮していること、解決できないこと、克服できないこと、自分の力で処理できないことに対応できる神聖な力です。私たちにはこの力にアクセスできます。なぜならば、すでに神であられた、イエス・キリストは堕ちた地球に送られて地上の辛苦を耐え、ありとあらゆる肉体的、霊的な苦痛を経験されたからです(ヘブル3:15-16)。

            デビッドA・ベドナー長老(BA’76MA’77)は次のように話されています。

救い主は私たちの罪や邪悪な行いに対してのみ苦しまれたのではありません。主は、私たちの肉体の痛みや苦悩、弱さ、不完全さ、恐れ、欲求不満、落胆、あきらめ、後悔、悔恨、失望、絶望、不当な扱いや不平等な扱いに対しても苦しまれました。

            皆さんや私が現生で経験する肉体的痛み、霊的な傷つき、魂の苦悩や心痛、病気、弱さで、救い主が最初に経験しなかったことはひとつもありません。

            イエス・キリストの贖いがあるため、主の恵みが毎日、毎時間、毎分、私たちに注がれています。この力によって、私たちが地上でなすべき目的を達成することができるようにしてくださいました。恵みは私たちがことをなしえる神聖な力なのです。

私たちの人生は、恵みがあることでどのような違いがあるでしょうか?

ある土曜日、家族と一緒に姪のエンダウメントに参加する前まで、目の前に迫ってきていた多くの仕事の締め切りに向けて一日中働いていました。神殿のチャペルに入り腰かけると、涙が流れ、止まりませんでした。くたくたに疲れ、がっかりさせたくないという思いが解き放たれたのです。そこで、聖典を開き涙目で次の聖句が目に入りました。『主なる神はわたしたちの弱点を示される。それは、神の恵みにより、このようなことを行う力がわたしたちにあることを分からせるためである』(ヤコブ4:7

            この節に記述されている、ニーファイの民が『このようなことを行う力』とは、奇跡をもたらす業です。まさしく、私が必要としていたことです。ニーファイの民の信仰により、イエスの名によって命じて、山や海の波を従わせたのです(ヤコブ4:6)。これらの節を読んで、これまで主が幾度も私を助けて下さったことが走馬灯のごとく心によみがえりました。そして、押し寄せてくる信仰の波を感じました。その週で初めて平安を感じました。「平和の神」によりもたらせた平安でした。それは、「甘い」(sweet)かったです。

            私たちは皆、『あっぷあっぷ』の状態のときに感じる気持ちを知っています。もし皆さんが、『子どもたちの面倒をみきれない、生活がままならない、自分の病気、深夜ブラウニー(ケーキの一種)を無性に食べたくなる、夫がいない、良い夫でない、私のことを感謝しない家族がいる』というようなことを考えていても、一人ぼっちではありません。救い主の神聖な共感は完全なものなので、私たちをどのように助ければよいかご存知です。主が、私たちの目の前にある山を動かされることはまれです。しかし、主は、私たちが山に登れるようにいつも助けてくださいます。

            主がいらっしゃるので、悲しみ、不安、依存していることに対して1人で立ち向かう必要はありません。主の助けを借りて、誘惑に耐えることができます。主の助けを借りて、皆さんは自分を変え、皆さんを傷つけた人を許し、再スタートを切ることができます。主の助けを借りて、皆さんの能力と力が増します。主の助けを借りて、皆さんは再び幸せになることができます。救い主は以下のように約束されました。『わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。』(エテル12:27

            私たちは、救い主がお話しされている『弱さ』の中に属します。主の恵みは、私たちの本質を変え、時間をかけて現状の自分から将来なるべく人物に変化させてくださります。

            私たちの人生は、恵みがあることでどのような違いがあるでしょうか?まったくもって、大きな違いがあるのです。

どのようにして救い主はご自身の力を私たちが使えるようにしてくださるのでしょうか?

マッコンキー長老はこのようにおっしゃいました。『神の恵みがなければ、何も存在しない。すなわち、創造、堕落、この世の試し、贖罪、贖い、不死不滅、永遠の生命、全てが存在しない。神の恵みがあらゆることの基礎となり、あらゆることを可能にします。恵みがなければ、何も存在せず。恵みがあるゆえ、あらゆるものが存在するのです。』

            ジェフリー・R・ホランド長老(BA’65, MA’66)は次のように述べて上記のことを明確にされています。『福音の中で目にする奇跡的な助けの多くは、天からの奇跡、神聖な神権の力、薄い幕を通して私たちに働きかけてくれる天使の存在です。これらは神の賜物で、神の恵みの現れです。』

        天の力にアクセスする全ての神聖な賜物と全ての霊的な特権はキリストから、または、キリストを通して、または、キリストの存在ゆえにもたらされます。私たちは、聖霊の賜物と力を受ける特権、個人の啓示と御霊の賜物、知識と神権の力を伴う神殿でのエンダウメント、『王国の奥義』(D&C 84:19)、私たちの右と左に主が、私たちの周りに天使がおられること(D&C 84:88)、贖いの全ての祝福を得ること、『神の賜物の中で最も偉大な』(D&C14:7)永遠の生命を得ること、これら全てのものに対して主と天の父に恩恵を被っています。私たちは、イエス・キリストの恵みに恩恵を受けて全ての神聖な賜物と神聖な力にアクセスします。

            エライザR・スノーが言った、末日聖徒の女性は『地上に存在する他の女性よりもより大きく高度な特権をいただいています』ということに納得がいきます。私も、この点についてエライザに同意します。イエス・キリストの恵みによって、聖霊、天使、御霊の数えきれない賜物、などにアクセスします。

            しかし、末日聖徒の女性が見過ごしている一つの特権があります。それは、神権の力へのアクセスです。多くの姉妹たちはこの特権が無いと考えています。しかし、それは真実ではありません。神殿でエンダウメントを受けた女性は、聖任された男性と同様自身の人生において神権の力にアクセスすることができます。

            この真理を裏付ける4つのポイントがあります。第一に、神権の鍵は、主が女性と男性に主の力を分配して使う許可を与える方法で授けられています。

            第二に、神権の鍵、神権の権能、および神権の力にはそれぞれ違いがあります。神権の鍵を持つためには権能を受けた人の儀式が必要で、神権の権能には儀式を司る必要があり、神権の力は、儀式を受けそれに関わる誓約を守るふさわしい人全員に与えられます。

            第三に、神権の鍵を持つ人の指示の元で奉仕する男性と女性は神聖な権能を持って奉仕します。ダリンH・オークス長老(BS’54)は、このように説明しています。『私たちは、教会の召しにおいて女性が神権の権能を持っているということについて通常話しはしてきませんでした。しかし、神権の権能以外にどのような権能が考えられるでしょうか?神権の鍵を持つ者から召された人や教会の責任を果たす人たちは、与えられた勤めを果たすために神権の権能を使っているのです。』

            第四に、男性も女性も平等に主の最も高い霊的な特権にアクセスできます。主の宮においてそのことが最も明確です。M・ラッセル・バラード長老は次のように宣言されています。『男性と女性は神殿に行くと、同じ力、すなわち神権の力と定義されます、でエンダウメントを受けます。神権の力と祝福へのアクセスは神のすべての子どもに与えられています。』

            女性は神権の職に聖任されませんが、神殿では神権の力とその力の使い方を知る方法を備えられてエンダウメントを受けます。

            女性には他の特権も与えられています。私たちは、主の宮に入るために聖任される必要も男性のように神権の儀式を施す必要もありません。さらに、神権の鍵を持つ人の指示のもとにおいていかなる内容のことについて奉仕する際にも、男性と同様、神権の鍵を通して注がれる力にアクセスできます。誓約を交わした女性は、神聖な権能を欠くことは決してありません。

            さらに言うと、神の最も崇高な誓約は男性と女性がそろってはじめて与えられます。この教義において、神は、他の教義にはない、この教義特有の男性と女性が共有している役割を重要視していることを説いておられます。

            最後に、女性は神権から発するあらゆる祝福を授かる権利があります。マッコンキー長老はこのように述べています。『霊的なことに関して言えば、御霊のあらゆる賜物に関すること、啓示を受けたり、証を得たり、示現を見たり、神々のようで神聖なあらゆることがらについて、男性と女性は主の御前において平等な立場にいます。』

            最も重要なことは、時満ちたる神権時代において、地上から霊的な祝福を取り上げられることはありません(D&C121:27-29参照)。私たちよりも神聖な力にアクセスできた女性はいつの時代もどこにも存在しませんでした。もし私たちが一生かけて神聖な力にアクセスしようならば、主が私たちに与えてくださった力と霊的な特権の大きさを測り知ることはできません。主の恵みによって、主は最も霊的な特権を私たちに提供してくださっているのです。それが、私たちの教義であり、それが、真理です。

Part One SWEET ABOVE ALL THAT IS SWEET, BYU Magazine Fall 2014 By Sheri L. Dew (BA ’77)

Through grace, the divine enabling power of Jesus Christ, we have equal access to all the blessings of heaven.

Not long ago I was assigned to speak to women on the subject of grace. A dear friend who knew I was wrestling with that message sent me an e-mail that I’m sure she meant to be helpful. She wrote: “Here is what I hope you cover in your talk: What is grace? How do I gain access to it? What difference does grace make in my life? Can it help me with loneliness, with overeating, with bad relationships, with weaknesses and temptations, with insecurity, with heartache and stress? Can it help me with my husband? Is grace always present, or do I have to do something to get it? Is it a feeling? How can I tell when grace is helping me? Okay, those are the questions I want you to answer.”

I responded with a one-liner: “Are you sure that’s all you want to know?”

Her e-mail led me to ask another friend what she wished she understood about grace. “To tell you the truth,” she said, “TV evangelists have wrecked that word for me. I almost feel disloyal to the restored gospel even talking about grace. I mean, do we believe in grace?”

I then asked a friend serving as a stake Relief Society president to ask her presidency what they wished the women in their stake understood about grace. This is a spectacular quartet of women who have logged decades of service. And yet, after a long discussion, they said, “We don’t think we know enough about grace to even know what to ask.”

The disturbing irony in all of these comments is that the central, most compelling, most life-changing message of all time is that Jesus Christ already triumphed over sin, death, hell, and every kind of misery. Surely there is nothing our Father is more eager for us to understand than the breathtaking scope of the Atonement of His Son and the power the Atonement makes available to us. Because the key to unlocking the power of covenant women and men is covenant women and men learning to unlock the power of Jesus Christ.

With this truth in mind, let’s consider four of my friend’s questions.

What Is Grace?

My father had many virtues. He served faithfully in the Church his entire life. I doubt he ever missed home teaching in 60 years, though his home teaching route was a 100-mile round-trip. My earliest testimony of priesthood power came from him. After his death, we heard story after story about his quiet generosity. And my father’s word was gold. But my dad had an Achilles’ heel—a temper he never conquered. We knew he loved us, but we often bore the brunt of his anger.

One afternoon a few days before he died, I was sitting at his bedside as he slept. Suddenly, I found myself asking the Lord to forgive him for years of angry outbursts. As I prayed something unexplainable happened to me. In an instant I felt decades of hurt simply fall away. The feeling was spiritual, but it was also tangible. I could remember his anger, but I couldn’t feel any of the pain. It was gone. It was “beauty for ashes” (Isa. 61:3). It was sweet.

That is grace. The amazing power of grace. No earthly remedy could have done for me what the Savior did in that moment. It was the redeeming power of Jesus Christ that prompted me to pray for my father and even gave me the words to say; and it was His healing power that healed a lifetime of wounds.

The scriptures explain what I experienced. In Lehi’s vision of the tree of life, most of those he saw either never entered onto the covenant path or they got lost somewhere along the way (see 1 Ne. 8:18, 23, 28). But one group held fast to the iron rod, pressed forward to the tree and partook of the fruit, and heeded not those who mocked them (see 1 Ne. 8:30, 33–34). The fruit made them happy and filled their souls with “exceedingly great joy” (1 Ne. 8:12). It was “sweet above all that is sweet” (Alma 32:42).

What is this fruit that Nephi said was “most desirable above all things” (1 Ne. 11:22; emphasis added)? The fruit is the Atonement, which is the most tangible evidence of the Lord’s incomprehensible love for us. Grace is the power that flows from the Atonement and is how the Savior continues to manifest His love for us. The Bible Dictionary says that grace is “divine means of help or strength, given through the bounteous . . . love of Jesus Christ . . . . [G]race is an enabling power.”1 The Savior empowers us with His grace not because we’ve earned it, but because He loves us perfectly. That is why grace is sweet. It was grace that I experienced at my father’s bedside.

I’ve never really liked the word sweet. I love things that taste sweet, unfortunately. But the word sweet has always seemed a bit insipid. When I was a student at BYU, being called a “sweet spirit” wasn’t necessarily a compliment. But I have come to understand that when we feel unexplainable peace or hope, love or comfort, the Lord is manifesting His grace, and it is truly sweet.

Years ago, I heard a woman I admire as a student of the gospel say that when she saw the wordgrace in the scriptures, she substituted the word power. Her counsel helped me begin to make sense of many scriptures for the first time. When we talk about the grace of Jesus Christ, we are talking about His power—power that enables us to do things we simply could not do on our own.

The Savior has “all power” in heaven and on earth (see Matt. 28:18; Mosiah 4:9; D&C 93:17). He has power to cleanse, forgive, and redeem us; power to heal us of weakness, illness, and heartache; power to conquer Satan and overcome the flesh; power to work miracles; power to inspire and strengthen us; power to deliver us from circumstances we can’t escape ourselves; and power over death. When the Apostle Paul said, “I can do all things through Christ which strengtheneth me” (Phil. 4:13), he was describing grace.

Grace is divine power that enables us to handle things we can’t figure out, can’t do, can’t overcome, or can’t manage on our own. We have access to this power because Jesus Christ, who was already a God, condescended to endure the bitterness of a fallen world and experience allphysical and spiritual pain (see Heb. 4:15–16).

Elder David A. Bednar (BA ’76, MA ’77) explained that

the Savior has suffered not just for our sins and iniquities—but also for our physical pains and anguish, our weaknesses and shortcomings, our fears and frustrations, our disappointments and discouragement, our regrets and remorse, our despair and desperation, the injustices and the inequities we experience, and the emotional distresses that beset us.

There is no physical pain, no spiritual wound, no anguish of soul or heartache, no infirmity or weakness you or I ever confront in mortality that the Savior did not experience first.2

Because Jesus Christ atoned, His grace is available to us every minute of every hour of every day. It is this power that ultimately enables us to do what we came to earth to do. Grace is divine enabling power.

What Difference Can Grace Make in Our Lives?

One Saturday I worked all day trying to make a dent in a long list of looming deadlines before joining my family at the temple for a niece’s endowment. As I walked into the chapel and sat down, the tears started and would not stop. Exhaustion and the sheer fear of letting people down had me undone. I opened the scriptures and through tears read, “The Lord God showeth us our weakness that we may know that it is by his grace . . . that we have power to do these things” (Jacob 4:7; emphasis added).

What the Nephites in this verse had power to do was work miracles, and did I ever need a miracle! Because of the Nephites’ faith, they could command in the name of Jesus and the mountains and waves of the sea would obey them (Jacob 4:6). As I read these verses, my mind raced over countless times the Lord had helped me before, and I felt a surge of faith. For the first time in weeks, I felt peace. Peace from the Prince of Peace. It was sweet.

We all know what “overwhelmed” feels like. If there are times when you think, “I can’t handle my children or my checkbook or my illness or the urge to eat brownies at midnight or the lack of a husband or the lack of a good husband or a family who doesn’t appreciate me one more day,” you’re not alone. The Savior’s divine empathy is perfect, so He knows how to help us. He rarely moves the mountains that stand in front of us, but He always helps us climb them.

Because of Him you don’t have to confront grief or insecurity or an addiction alone. With His help, you can resist temptation. With His help, you can change, forgive those who’ve hurt you, and start over. With His help, your capacity and energy can increase. With His help, you can be happy again. The Savior promised, “My grace is sufficient for all men that humble themselves before me; for if they humble themselves before me, and have faith in me, then will I make weak things become strong unto them” (Ether 12:27).

We are among the “weak things” the Savior is talking about. His grace can change our very nature and over time transform us from who we are into who we can become.

What difference can grace make in our lives? It can make all the difference!