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「神はなおこれからも啓示したもう」十二使徒定員会会員ニ一ル・A・マックスウェル、聖徒の道19871月号-59よりの抜粋

このようにして,私たちは聖典を読むことにより,地上の人類のために用意された主の計画を知ることができます。主はイザヤを通して,人類が住む場所としてこの地球を創造したこζを語られました。(イザヤ4518参照〉また,モーセを通して,ご自分の目的に「人に不死不滅と永遠の生命とをむたらす」(モーセ139)ことであると説明されました。さらにまた,諸々の天体や星雲を見れば,ものを見る目のある人は「みいつ堂々と進む神」(教義と聖約8847)を見ることでしよう。

こうして私たちは神が計画された字宙に包まれ,目的をもって創造された惑星の上に住んでいます。そして,このような真理に基づいて物事を見るならば,「現在の事をあ、りのままに」(モルモン経ヤコブ4;13)理解することができるでしょう。福音が栄光に満ちたすばらしいおとずれと呼ばれるのも,何ら不思議なことではありません。

このような貴重なものの見方を必要としている世代があるとしたら,それは神から離れた私たちの世代にほかなりません。また私たちの世代こそ,自滅の道から救い出されなければなりません。イエスが予言されたように,目的を見失った諸国民が悩みつつ希望もなく「おじ惑い」(ルカ2125)さまよい歩いている現在,確かにこのような必要性はますます高まっているのです。

実際,福音に基づいた明白な,貴いものの見方を持っていなければ,私たちは人生の意味をとり違え,誤った過ごし方をしてしまいます。こうした見地に立てば,この世の物事はそれほど大きな意味がありませんし,本質的には不変の生命の一段階である現世という場にあって,物事をありのままの姿でとらえることができます。すなわち,この世の物事は,世のわずらいごとによって生じるどうすることもできない流れであると言えるのです。鳥や動物は人を楽しませてくれますが,その行動は本能から来るものであり,人を喜ばせようとしてしているわけではありません。それと同じように,様々な策略を駆使して人々を巧みに操る物質文明に踊らされている人々は,悲劇的ではないにしても,滑稽(こっけい)に見えます。また,権力や世の賞賛を得ようとして血まなこになっている人々も同様に滑稽です。福音の光に照らされれば,彼らのからくりの内幕も見通されてしまいます。

にもかかわらず,この世的な生き方がこれほどしつこくひっきりなしに強調され,まじめなキリストの弟子ですら,それを感じているのはなぜでしょうか。それは,私たちが遠い昔,前世において天父の栄光を見,天父に敬服し,今無意識のうちにそれをねたんでいるからでしょうか。それにしても,本当に天父の王国に入りたいならば,そのための訓練や不義なる力の危険について教える啓示に,なぜこれほど強く抵抗するのでしょうか。私たちは皆,神の至高の力を頼りにすることができます。なぜなら,神は至高の愛,正義,慈悲,知識を持っておられるからです。人は,天父の力を分けていただくことを望むなら,まずみずからが天父の属性を身につけなければなりません。

しかし,人間は神の霊的な属性を受け継いでいるのではないかという人がいます。そのとおりです。しかし,私たちは神のやさしさを持ってはいません。

私たちは神の霊の子供ではないか,という人がいます。それはそのとおりですが,私たちは神のように人を愛する能力を持ってはいません。

確かに,私たちは神の家に属する者です。もちろんそのとおりですが,再び神の家に帰るには,それにふさわしい行ないをしていなければなりません。

Excerpt from “God Will Yet Reveal, Neal A. Maxwell, Of the Quorum of the Twelve Apostles, October 1986 General Conference.

Thus, it is from the scriptures that we learn of God’s plans for mankind on this planet. He told us, through Isaiah, that He formed this earth to be inhabited (see Isa. 45:18). Through Moses, God described His purpose: “to bring to pass the immortality and eternal life of man” (Moses 1:39). Furthermore, by viewing the heavens and the galaxies, those who have eyes to see will see “God moving in his majesty and power” (D&C 88:47).

We are thus enveloped in a planned universe, and we live on a purposeful planet; and these truths describe “things as they really are” (Jacob 4:13). No wonder the gospel is such glorious and good news!

If ever a generation needed this precious perspective, our severed generation does. If ever a generation needed to be saved from itself, ours does. Surely these needs will intensify as the bewildered and beset nations of the earth, as foreseen by Jesus, wallow hopelessly in distress, “with perplexity” (Luke 21:25).

In fact, we misread and misuse life—except with this plain and precious perspective of the gospel, which puts the things of the world in their lesser places. Then, on that essentially unchanging mortal stage, we can see things for what they really are, such as the demanding cadence called for by the cares of the world. Like birds and animals performing some inborn ritual, amusing to everyone but the participants, these maneuverings of materialism would be comedy if they were not tragedy. So would the posturings as to power and the thirsty seeking of the praise of the world. The ploys are so transparent when seen in the gospel’s light.

Nevertheless, why are the ways of the world felt even by serious disciples so insistently and so incessantly? Could it be that in the far distant, premortal past, having admired the Father and having seen His glory, we now unconsciously envy His glory? Yet, if we really wish to share in His kingdom, why do we sternly resist what the revelations tell us of the required preparatory schooling and the risks of unrighteous power? God’s ultimate power is safe, precisely because He possesses ultimate love, justice, mercy, and knowledge. We cannot share in His power without sharing in His attributes.

But, we may say, do we not have His spiritual genes? Yes, but we do not have His gentleness.

Yet we are of His spiritual lineage! Yes, but we do not have His capacity to love.

Surely, we belong to Him! Of course, but we cannot reenter His house until our behavior would let us feel at home.