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友情−福音の原則, 七十人会長会マーリン・K・ジェンセン, リアホナ, リアホナ199904-74

天父の年永遠の目的を果たすうえで,御手(みて)に使われる道具になりたいとほんとうに望んでいるなら,ただ一つ友達となる必要があるだけです。 

兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。率直に申し上げて,このような割り当ては決して気分的に楽なものではありませんが,このすばらしいイースターの朝に皆さんの前でお話しできることを心より感謝しています。 

賢明なわたしの父は以前,教会の説教壇から話す言葉によく耳を傾けたら,話者が福音のどの原則に関心を払い,与えられた時間でどのような事柄に懸命に取り組んでいるかが分かると話したことがあります。それからは父の影響により,話すテーマを選ぶ際は細心の注意を払うようになりました。しかし,ここで一つ告白しなければならないことがあります。それは,ゴードン・B・ヒンクレー大管長が,新会員は皆,基本的に友人,責任,神の善い言葉による養いの3つを必要としていることについて話すのを聞いて以来,わたしは自分自身の友人としての行動に強い関心を払うようになったということです。 

預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「友情とは『モルモニズム』の偉大な基本原則の一つである。」1 この考えにより,わたしたちは皆,鼓舞され動機づけられることでしょう。なぜなら,友情はわたしたちの世界が最も必要としているものの一つと思われるからです。わたしたちは皆,友情を心から求め,親しく,変わることのない友情からしか得られない満足と安心感を切に望んでいます。聖典の中で友情の原則についてはっきりと言及してあるところがほとんどない訳は,恐らくそれが福音に添って生活するならばきわめて自然に表現されるべきものであるからでしょう。事実,この上なくキリスト教的な特性と言える慈愛にいとこがいるとすれば,それは友情と言えるでしょう。これについて使徒パウロの言葉を,次のように少々言い換えてみたいと思います。友情は「寛容であり,〔友情〕は情深い。また,ねたむことをしない。……自分の利益を求めない,いらだたない,恨みをいだかない。……〔友情〕はいつまでも絶えることがない。」

人生で価値あるほとんどの事柄と同様,友情を必要とする心は家庭内で満たされることがよくあります。家庭内で子供たちが互いに,また親との間に友情を感じていれば,家庭の外に自分を受け入れてもらいたいという強迫観念を持つことはないでしょう。妻とわたしがこれまでの人生で最も満足した成果の一つは,子供たちが互いに良い友人となったことが分かるに足るだけ長生きできたことです。幼いころは,体に大けがをさせてやると互いに脅し合っていた子供たちが,今は互いに友情を求め,心からその友情を享受している姿を見るのはまさしく奇跡です。同様に,親にとって,両親はわたしの親友です,と子供たちから言われるのは,何よりの褒め言葉となるでしょう。友情はまた,コートシップと結婚において不可欠かつすばらしい要素です。友情から芽生え,ロマンスに熟し,結婚へと至る男女間の関係では常に,友情が絶えることがありません。安易に離婚する今日(こんにち)の世界にあって,夫と妻が現世での祝福や試練を経験する際に,絶えず互いの友情を静かに享受する姿は,何にも勝って人々を鼓舞します。最近刊行された,結婚25周年の人々への調査に関する報告書には次のようにあります。「結婚生活を続かせるかなめは……ごく普通の概念でありながら深い影響力を持つもの友情です。」3  預言者ジョセフ・スミスはミズーリでの苦難のさなか,離れて暮らしていた妻のエマにあてて心を打つ手紙を送りました。ジョセフは文面でエマを次のような言葉で慰めいます「最愛のエマへ,わたしはいつまでも,あなたと子供たちのほんとうの心の友です。それを忘れないでください。」

霊感された教会の組織では,友情も生まれます。会員は幼少の子供から老齢の人に至るまで,友情と社交性がはぐくまれるグループに参加します。クラス,定員会,会長会,その他様々な組織で,友人をつくり,お互いの理解度を増します。カートランドの預言者の塾では,出席した長老に対し次のような歓迎のあいさつを行っていました。その言葉には,わたしたち皆が示すよう望まれている友情の精神が表されています。「わたしは,神の恵みにより,愛のきずなをもって,あなたの友になり……確固とした揺るぎない不変の決意をもってあなたを仲間に迎え入れます。

会員が皆,心からの友情の精神をさらに培うならば,教会での相互の関係はいっそう楽しく,建設的なものとなります。例えば,クラスの生徒と友人関係を築けない福音の教師は,決して永続する影響や効力を及ぼすことはありません。わたしは今でも,高校時代の文集に記された文章を大切に心に留めています。それはわたしたちがたくさんのことを学んだ愛するセミナリー教師によるもので,友達になれたことに心から感謝しているという一文でした。 

いかに管理上の事柄に精通していようとも,監督は,子供,青少年,そして成人たちが,彼らが潜在的に持つ霊的な可能性に到達できるよう助けるつもりでいるならば,彼らの友とならなければなりません。わたしは以前,知り合いの若い女性が監督のもとへ行き,かなり重大な過ちについて告白するという状況にかかわったことがあります。彼女は,自分が福音の道からそれたことについて監督がどのような反応を示すか不安に思っていましたが,駆り立てられる気持ちを強く感じ,とにかく監督のところへ行きました。わたしは監督の反応はどうだったかと彼女に尋ねました。すると,監督が彼女とともに泣いたこと,そして主から(ゆる)しが得られるよう監督とともに努力することにより,今は監督が親友の一人となったことを切々と語ってくれました。 

末日聖徒として,会員には友情を培い,保つうえで特別なチャレンジがあります。結婚,家族,そしてわたしたちの教会に関して会員は非常に多くの責任を負っているため,家族やほかの会員以外の人々に手を差し伸べ,友情の輪を広げることについて,時間と精力の制約という試練をしばしば受けます。最近わたしは,家で時間を割いてこの話の準備をしようとしていたとき,このようなジレンマを感じました。わたしは2度,時々しか会えない,心から愛する旧友たちからの,予期せぬ訪問を受けました。再会し,思い出を語り合うという特別な機会であったはずの時間に,わたしは内心,訪問客が帰り,友情に関する話の準備を再開できればいいのにという,いらだちの気持ちを感じているのに気づいたのです。 

それから,わたしは恥ずかしくなりました。わたしたちは何と利己的なのでしょう。面倒な事柄,与えること,互いに祝福することについて,わたしたちは何と消極的なのでしょう。自ら進んで友とならなければ,どのような親,隣人,主イエス・キリストの弟子となるのでしょうか。この情報化時代にあってなお,友情こそわたしたちが大切にしている真理と生き方を分かち合う最良の技術ではないでしょうか。自発的にほかの人々に対して友情の手を差し伸べることを,不承不承にしかできないなら,それは,神の永遠の目的の達成を手助けすることに関して重大な障害となるのではないでしょうか。 

何年か前,監督として働いていたころ,改宗して間もない家族がわたしたちの住むユタ州の郊外に転居してきました。このすばらしい家族は,アメリカ西部で教会に入り,温かいフェローシップを受け,地元の小さな支部で活動していました。そんな彼らが,それまでの所より規模が大きく,組織も整ったわたしたちのワードに来たとき,どうしたことかまるでわずかな裂け目から滑り落ちるように,いなくなってしまったのです。家族の幾人か,特に父親は教会と会員にそれほど魅力を感じなくなっていました。 

ある日曜の朝,その父親が神権会に姿を見せていないことに気づいて,わたしは集会所を出て,車で彼の家に行きました。彼はわたしを家に招き入れ,彼が抱いている新たな信仰と隣人に対しての葛藤(かっとう)について二人で真剣に話し合いました。問題を解決する様々な可能性を模索しましたが,どれも彼の心にはさほど届かないようでした。わたしはいらだった調子で,一体どうしたら彼の助けになれるのかと尋ねました。そのときの彼の答えは決して忘れません。 

彼はこのように答えました。「そうですね,監督さん。(次は少し言葉を換える必要があるでしょう。)何をしてもかまいませんが,お願いですから,わたしに友人を割り当てることだけはしないでください。」 

その日,わたしは偉大な原則を学びました。「取り組まれるべき課題」になりたい人などいるわけがありません。皆,ただ自然な愛を示されたいと望んでいるだけです。そして,友を得るならば,「割り当て」ではなく,本物で心からの気持ちで接してくれる人であってほしいのです。 

兄弟姉妹の皆さん,今日(きょう)のわたしからのメッセージはとても単純なものです。天父の永遠の目的を果たすうえで,御手に使われる道具になりたいとほんとうに望んでいるなら,ただ一つ,友達となる必要があるだけです。1,000万人強を数えるわたしたちの一人一人が「自分の自由意志と選択」によって,まだ信仰を共にしていない人に無条件の友情で手を差し伸べるときに,どのような力を及ぼすか考えてみてください。もはや,最初は温かく歓迎するが,後は関心を払わなくなるといった態度を責められることもないでしょう。また,教会に活発な家族がそれぞれ,あまり活発でない家族や新会員に絶えず関心を払い,友情を示すと,どのような良い結果が生まれるか想像してみてください。そのような力は,それぞれが友となろうとするところにあります。老いも若きも,貧富を問わず,教育のある者,つつましい者,すべての言語,すべての国々にわたるわたしたちみんなが,友達となる力を持っているのです。 

救い主は十字架にかかる直前,弟子に向かって「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。……あなたがたはわたしの友である」6  と言われました。わたしはこれまでキリストの友情により豊かに祝福されてきました。キリストがわたしたちにとってかけがえのない存在,すなわち真の友であられるように,わたしたちも人々に対して,そのような存在となれるようお祈りします。わたしたちが友となるとき以上に,キリストのようになるときはありません。わたしは,人生で得た友人には計り知れない価値があることを(あかし)し,彼らに感謝の気持ちを伝えたいと思います。献身的に友情を示すとき,わたしたちは神の御業(みわざ),そして神の子供たちの幸福と進歩のために最も意義ある貢献をしているのです。イニス・キリストの御名(みな)によって,アーメン。 

1. Teachings of the Prophet Joseph Smith, sel. Joseph Fielding Smith (1976), 316.

2. 1コリント134-8

3. John Gottmanas cited in Karen S. PetersonFriendship Makes Marriages a Success"USA Today” 1Apr. 1999p.1D.

4.  Quoted in Daniel HLudlowed.Daniel H. Ludlow, Encyclopedia of Mormonism, 5 Vols. (1992)31345.

5. 教義と聖約88133

6. ヨハネ15B-14 

Friendship: A Gospel Principle, Marlin K. Jensen, Of the Presidency of the Seventy April 1999 General Conference

If we truly want to be tools in the hands of our Heavenly Father in bringing to pass His eternal purposes, we need only to be a friend.

Good morning, brothers and sisters. Although, candidly, one is never completely comfortable with an assignment like this, I do sincerely appreciate the opportunity to speak to all of you on this beautiful Easter morning.

My wise father once told me that if I listened carefully to what people talk about from the pulpit in church, I would know which principles of the gospel were of concern to them and those with which they might be struggling at any given time. Through the years, my father’s observation has caused me to be very careful in the choice of subjects about which I speak! Nevertheless, I have an admission to make today. Since President Gordon B. Hinckley shared with us the three fundamental needs every new member of the Church has for a friend, a responsibility, and nourishing by the good word of God, I have been personally concerned about my performance as a friend.

The Prophet Joseph Smith taught that “friendship is one of the grand fundamental principles of ‘Mormonism.’” 1 That thought ought to inspire and motivate all of us because I feel that friendship is a fundamental need of our world. I think in all of us there is a profound longing for friendship, a deep yearning for the satisfaction and security that close and lasting relationships can give. Perhaps one reason the scriptures make little specific mention of the principle of friendship is because it should be manifest quite naturally as we live the gospel. In fact, if the consummate Christian attribute of charity has a first cousin, it is friendship. To paraphrase the Apostle Paul slightly, friendship “suffereth long, and is kind; [friendship] envieth not; … seeketh not her own, is not easily provoked, thinketh no evil; … [friendship] never faileth.” 2

Like so much of what is worthwhile in life, our needs for friendship are often best met in the home. If our children feel friendship within the family, with each other, and with parents, they will not be desperate for acceptance outside the family. I think one of life’s most satisfying accomplishments for my wife and me is to have lived long enough to see our children become good friends. It’s definitely a miracle that those in our family who in younger years occasionally threatened one another with serious bodily harm now seek out and genuinely enjoy each other’s friendship. Similarly, I think no finer compliment can be paid to parents than to have children say that their parents are among their best friends.

Friendship is also a vital and wonderful part of courtship and marriage. A relationship between a man and a woman that begins with friendship and then ripens into romance and eventually marriage will usually become an enduring, eternal friendship. Nothing is more inspiring in today’s world of easily dissolved marriages than to observe a husband and wife quietly appreciating and enjoying each other’s friendship year in and year out as they experience together the blessings and trials of mortality. A recently published report on 25 years of landmark marital research finds that “the linchpin of a lasting marriage … is a simple concept with a profound impact: friendship.” 3 In a poignant letter written by the Prophet Joseph Smith to his wife, Emma, during the separations and tribulations of Missouri, he comforted her by saying, “Oh my affectionate Emma, I want you to remember that I am a true and faithful friend, to you and the children, forever.” 4

The inspired organization of the Church also fosters friendships. From our youngest to our oldest years we are in settings where friendship and sociality can flourish. In interviews, meetings, classes, quorums, councils, activities, and a variety of other opportunities for association, we can make friends and find understanding. The salutation prescribed for greeting the elders attending the School of the Prophets in Kirtland expresses the spirit of friendship that might well serve as a creed for each of us: “I receive you to fellowship, in a determination that is fixed, immovable, and unchangeable, to be your friend … through the grace of God in the bonds of love.” 5

All of our interactions in the Church are made more enjoyable and productive when they are accompanied by genuine feelings of friendship. A teacher of the gospel, for instance, who doesn’t befriend his or her students will seldom teach with lasting influence and effect. I still treasure a one-sentence entry in my high school yearbook in which a seminary teacher I loved and from whom I learned much told me he was grateful to be my friend.

A bishop, no matter how skilled in administrative matters, must be a friend to children, youth, and adults if he is to help them reach their spiritual potential. I was touched once when a young woman I knew went to her bishop to confess a serious transgression. She had been worried about how the bishop might react to her deviation from the gospel path and had only gone to him after considerable urging. When I asked her afterward what his response had been, she told me with great emotion that her bishop had wept with her and that in working with him to gain the Lord’s forgiveness, she now considered her bishop to be one of her best friends.

There is a particular challenge we face as Latter-day Saints in establishing and maintaining friendships. Because our commitment to marriage, family, and the Church is so strong, we often feel challenged by constraints of time and energy in reaching out in friendship to others beyond that core group. I experienced this dilemma personally in recent days as I tried to steal a few moments at home to prepare this talk. Twice, friends from my past, whom I love dearly but see only occasionally, dropped in to visit. During what ought to have been choice times of reunion and reminiscence, I ironically found myself growing inwardly impatient for the visits to end so that I could get back to writing my talk about friendship!

I have since felt ashamed. How selfish we can be. How unwilling to be inconvenienced, to give, to bless and be blessed. What kind of parents or neighbors or servants of the Lord Jesus Christ can we be without being a friend? In this information age, is not friendship still the best technology for sharing the truths and way of life we cherish? Is not our reluctance voluntarily to reach out to others in friendship a significant obstacle to helping God accomplish His eternal purposes?

Years ago when I was serving as a bishop, a recently converted family moved into our rural Utah community. These good people had joined the Church in the eastern United States and had been warmly fellowshipped and put to work in a small branch there. When they came to our larger, more-established ward, they somehow slipped through the cracks. Some of the family members, particularly the father, became disenchanted with the Church and its members.

One Sunday morning when I noticed the father was missing from priesthood meeting, I left the meetinghouse and drove to his home. He invited me in, and we had a very honest conversation about the struggle he was having with his new faith and neighbors. After exploring various possibilities for responding to his concerns, none of which seemed to appeal to him very much, I asked him with a tone of frustration in my voice just what we could do to help him. I’ve never forgotten his reply:

“Well, bishop,” he said (and I will need to paraphrase here slightly), “for heaven’s sake, whatever you do, please don’t assign me a friend.”

I learned a great lesson that day. No one wants to become a “project”; we all want spontaneously to be loved. And, if we are to have friends, we want them to be genuine and sincere, not “assigned.”

Brothers and sisters, my message today is very simple: if we truly want to be tools in the hands of our Heavenly Father in bringing to pass His eternal purposes, we need only to be a friend. Consider the power of each one of us, 10 million strong, of our own free will and choice reaching out to those not yet of our faith in unconditional friendship. We would no longer be accused of offering warm bread and a cold shoulder. Imagine the consequences for good if each active family in the Church offered consistent concern and genuine friendship to a less-active family or a new-member family. The power is in each one of us to be a friend. Old and young, rich and poor, educated and humble, in every language and country, we all have the capacity to be a friend.

Our Savior, shortly before His Crucifixion, said to His disciples: “Greater love hath no man than this, that a man lay down his life for his friends. Ye are my friends.” 6 Having been so richly blessed by Christ’s friendship, I pray that we will now be to others what He is to us: a true friend. At no time will we be more Christlike than when we are a friend. I testify of the inestimable value of friends in my own life and express my gratitude to all of them this morning. I know that when we offer ourselves in friendship, we make a most significant contribution to God’s work and to the happiness and progress of His children. In the name of Jesus Christ, amen.

1.  Teachings of the Prophet Joseph Smith, sel. Joseph Fielding Smith (1976), 316.

2.  1 Cor. 13:4–8.

3. John Gottman, as cited in Karen S. Peterson, “Friendship Makes Marriages a Success,” USA Today, 1 Apr. 1999, p. 1D.

4. Quoted in Daniel H. Ludlow, ed., Encyclopedia of Mormonism, 5 vols. (1992), 3:1345.

5.  D&C 88:133.

6.  John 15:13–14.