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 My Parents Married on a Dare(両親は挑まれて結婚した)」より

カールフレッド・ブロードリック著

Carlfred Bartholomew Broderick (April 7, 1932 - July 27, 1999) was a 20th-century and family therapist, a scholar of marriage and family relations at the University of Southern California, and an author of several books. He was born in Salt Lake City, Utah in 1932, and he died of cancer in 1999 in Cerritos, California at the age of 67.

カールフレッド・バーソロミュー・ブロードリック(193247日生−1999727日没)は20世紀の心理学者、家族療法士、南カリフォルニア大学の結婚および家族関係学の学者で、数冊の著書もある。1932年ソルトレークシティーで生まれ、1999年にカリフォルニア州セリトスで癌のため67歳で死去。 

He and his wife Kathleen had eight children (four sons and four daughters). He was an active member of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints and served in the capacity of bishop. He also was a past president of the Cerritos Stake, and most recently served as patriarch.

カールフレッドと妻キャサリーンの間には8人の子供(44女)がいる。末日聖徒イエス・キリスト教会の活発な会員で、ビショップとして奉仕したこともある。またセリトス・ステークのステーク会長、祝福師 でもあった。 

He was active in many professional organizations including The National Council on Family Relations for which he served as president.

議長を務めた全米家族関係協議会など、数多くの専門職団体で活発に活動していた。

Information from Wikipedia

Part 1

私がステーク会長だったとき、ある出来事が起こりました。今日はそれを私の話の要旨として使いたいと思います。その年に大きなステップを踏んだ11歳の女の子たちを、初等協会から若い女性の組織に迎えるために開かれた、ステーク初等協会とステーク若い女性の合同集会で、私は壇上にすわっていました。それはとても素敵なプログラムでした。それは素晴らしく、美しいプレゼンテーションで、「オズの魔法使い」に基づいた、言わば「オズの魔法使い」を題材にしたもので、11歳のドロシーがブリキの木こり、臆病なライオン、かかしと一緒に黄色いレンガ道を歩いてきます。4人は福音についての替え歌を歌います。そして教会のホールの壁がオズの国で、それはロサンゼルス神殿のように見えました。そして本当に神殿への道を歩いて行ったのです。道には雑草も生えていなかったし、マンチキンもいない、はずれたレンガもないし、西の悪い魔女もいませんでした。本当に清潔な黄色いレンガ道でした。オズに着きさえすれば、めでたしめでたし、すべてが上首尾なのは一目瞭然でした。

 調子の良いメロディーや足取り軽やかなダンスによるこの素晴らしいプレゼンテーションに続いて、絶対ハリウッドのキャスティング部から派遣されてきたと思われるような姉妹がステージに現れました。(ステークの姉妹ではないと思います。それまで見たこともない姉妹でしたから。)髪一本乱れていない、まるでファッション雑誌の表紙から抜け出てきたような女性、それにご主人もハリウッドから飛び出したようなハンサムな帰還宣教師、そして何人かの、これもハリウッドかコマーシャルからでも出てきたような子供たち。そして神殿結婚について、チャーミングな夫と完璧な子供たちとの生活は本当にすばらしいと熱をこめて話しました。若い女性たちも黄色いレンガ道を歩み、オズの国に住めば、自分のように美しくなり、素晴らしい夫や子供を持つことができるというのでした。それは本当にうっとりするような、感動の涙を流さなければいられないようなプログラムでした。

 このプログラムが終りに近づいたとき、司会をしていたステーク初等協会会長は、戦略的に重大なミスを犯しました。形式的に私の方を向いて、「ブロードリック会長、今夜の素晴らしいプログラムに何か付け加えることはありますか?」と言ったのです。

 私は、「はい、あります」と、答えました。彼女は今でも私を恨んでいることでしょう。私はこう話したのです。「皆さん、今のはとても素晴らしいプログラムでした。様々な補助組織や神殿を含む福音を皆さんにお勧めします。ただし、すべての戒めを守り、できるだけ主に近く生活して、すべて正しいことを行い、祭司定員会の一人一人を撃退し、純潔を守って宣教師が帰ってくるのを待ち、什分の一を払って、集会にきちんと出席し、ビショップからの召しを受け、神殿結婚をしていさえすれば、悪いことは起こらないとは一刻たりとも、考えてもらいたくないのです。そしてもし悪いことが起こったとき、神様は真実ではないなどと言ってほしくないのです。あるいは、「初等協会で、マイアメイドで、壇上からも、もし私がすごく良い子であれば、祝福を受けると約束してくれたじゃない」なんて言わないでください。私が好きな男の子は、私が存在することさえ知らないし、一緒に神殿へ行かれるように純潔を守って待っていた宣教師がすごい変わり者だったとか、あるいは、あるいはそれよりもはるかに悪いことが起こるかもしれません。子供が病気になったり、重度障害を持って生まれてきたり、夫が浮気をしたり、重い病気になったり、暴力をふるわれたり、裏切られたり、苦痛や死、敗北などを経験したとき、神様は約束を守ってくれないなどと言わないでください。イエス・キリストの福音は苦難を避けるための保険ではありません。それは苦難(私たちはほかのことと一緒に苦難を経験するために地上に来たのです)が起こったときに使える資源なのです。苦しみを経験しているときには、それに対処できるための『頼みの綱』があることを喜んでください。」

さて私は、神があらゆる苦痛を与えられるなどと言っているのではなく、それを信じているわけでもありません。ある人にはそういうこともあるかもしれません。しかし私たちは天において、この不公平な地上へ降りてくる特権を求めて戦ったのだと思います。地上へ来るということはそういうことだったのです。つまり地上は不公平で、痛みや嘆きや悲しみがあるところなのです。エバは「私たちが共に苦しみを受ける方がよい」と言いました。とても説得力のある言葉です。すべての人がこのようなエバのとらえ方に賛同しているわけではありません。しかし、私はエバが苦痛を経験することの必要性について、もちろん誰もそれを望んではいませんが、夫のアダムよりも鋭い洞察力を持っていたと考えています。このような遠大なことを考えていたとき、自分がそれまで経験したことのないような厳しい苦しみを体験している多くの人々の相談を受けたことを悟り、自分がそれほどの苦しみを感じることなく生活してきたことに気がとがめたのを思い出しました。それから間もなく、歯が痛くなりました。私は本当に弱虫で、どんな痛みにも耐えられないのです。私の母についてこういう逸話が残っているんですが、私を幼稚園へ連れて行った最初の日に母は先生に、息子はとても感受性が強いので、もし何か悪いことをしたら、隣の子をぶってくださいと言ったというのです。もちろんこれは作り話ですが、私の性格をよく表している話です。自分が痛みを感じるのはいやですが、他の人の経験から学ぶことができます。ですから歯が痛くなったとき、これこそこの痛みを受け入れて心を開き、これを十分に経験する絶好のチャンスだと考えました。私はこの痛みに耐えて、これを味わい、この経験から成長しようと自分に言い聞かせたのです。しかしそれはたったの45分しか続きませんでした。すぐに歯医者に電話をかけて、「鎮痛剤がほしい」とお願いしました。薬を飲んでから痛みがなくなるまでの45分間は本当につらい時間でした。それは私は道徳的な偉さというものを持ち合わせていなかったからで、私が望んでいたのはただ、痛みがなくなって欲しいという思いだけでした。

   ですから私が痛みに何か効用があると思っているなんて考えてほしくはないのです。痛いのは苦手ですから。不正も嫌いです。何かを失うこともいやです。誰もがいやなことは、私もいやです。こういうことを好きな人はいないでしょう。神様も、私たちが苦痛を経験することに喜びを感じてはおられないと思います。しかし私たちはこういうことから守られない世界へ来ているのです。私は痛みに成り代わって−それはとんでもないことですが−皆さんにお話したり、あるいは痛みを経験することは私たちのためになるのだなどとも考えていません。そんなことはうそに決まっています。痛みは人を高めるどころか、むしろ人を打ちのめしたり、人につらい思いをさせます。不正があると、人々がそれを乗り越えるよりは、この世の善いことが打ち砕かれてしまいます。この不公平でいやな世の中では、苦痛を経験することで恩恵を受ける人よりは、被害を受ける人の方がはるかに多いことは確かです。だから、私が苦痛は良いことだと言っていると思わないでほしいのです。苦痛はいやなものです。