モルモン

とは?

What of the

Mormons?

日本の教会員

 

 

 

 

戻る

Editor's Note: Given at the 1975 Area Conference in Japan, to my knowledge, this talk by President Hitoshi Kashikura  of the Yokohama Stake is only available in Japanese.

「福音の基」日本横浜ステーキ部部長 柏倉 仁、聖徒の道1975年08月号-476

皆様おはようございます。昨日は予言者キンボール大管長から神殿の発表をいただき、心から感謝致します。また本日、日本の各地からお集まりの会員の皆様、またお友だち、御親戚、御両親の皆様、このよき聖なる安息日、末日聖徒イエス・キリスト教会の日本の地域総大会にこのように多くの人々と一堂に会して予言者の言葉や教会幹部の方々の「この現世をどのように生きていくか」ということについての諸々のお話をうかがう機会にあずかり、皆様と共に心から神に感謝いたします。 

さて私たちが神の教えすなわち福音の原則に従って生活し、この現世をどのように生きていくのかという目標について深く考えることはまことに素晴らしい事柄であります。なぜなら、この会に御出席の末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の皆様は、程度の違いはあってもこの事柄について何回か深く考えて神に祈ってその答えをいただいたからです。 

私は福音の原則に従った生活の活気を十数年間のこの若い楽しい時代に十分経験しました。福音の第一の原則とはまず、主イエス・キリストを信ずる信仰を持つこと、また悔い改めることであると教わってまいりました。信仰について古代の使徒パウロは。「それ信仰は望むところを確信し、見ぬ物を真実とするなり」と定義しております。確信とは信頼することであり、真実とは証明することです。これらの信頼感は多くの人々がそれぞれの程度に従って持っています。実際に信仰の程度は、心配や怖れをやっと離れて弱い信念と言えるか言えないかという初期の状態から、あらゆる疑念や困難をものともしない確固不動の力強さに至るまでいろいろです。私は、信仰とは神を信頼すること、それも、積極的に心から信頼することであると考えます。神のみこころを人生における私たちの目標として受け入れること、神のみ言葉を人生における私たちの指導原理として受け入れることです。このようなとき神を信ずる信仰が確立すると思います。 

また悔改めは福音の第二の原則に位するものであり、信仰とは密接な関係を有し、信仰に続いて直ちに来るものです。これはまた深い謙遜の念から出てくるものであり、神を信ずる変わらない信仰を行ないに表わすことによります。人はこのような悔改めによる確信によって吹きこまれた熱心さによって、自分が新たに生まれ変わったことを良い行ないによって人々に示す機会を熱心に望むようになります。 

私はこの信仰と悔改めの素晴らしい数々の実例をこの目て確認し、また私自身も経験しました。私は大学の2年の7月に初めて末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師に会いました。1960年の日米安保条約問題の激しい屋外デモの後で夏期アルバイトをしているときで、どのように現世を生きていこうかとそれまで以上に深く考え始めていたときでしたので、比較的簡単に宣教師から求められるままにお祈りをしました。モルモン経という聖典を宣教師と共に毎週勉強し、ジョセフ・スミスという予言者について教わりました。2カ月後にバプテスマを受けましたが、人間の弱さから主の教えをよく守れたわけではありませんでした。しかし私は、その後何回となく神に改宗する機会があり、今日、力強く活気を持って福音の原則を守り行なう力を得させていただきました。 

私は自分の経験から、モルモン経を読んで、考えて、祈ることは神から「みたま」すなわち「聖霊の力」を得るよい方法であると悟りました。また現代の予言者の言葉や教会幹部の方々のメッセージは、私がこの現世をどのように生きていくかについてはっきりとした答えを下さいました。このように多くの日本人の中にある小さな私にも神は限りない愛を示して下さり、皆様の上に主の導きとみ守りがあって、さらに深く神のみこころを知ることができるよう祈ります。 

また真夏の大変な時期に予言者をはじめ教会幹部の皆様がこのようにたくさん御出席下さり感謝します。旅行中にも健康が守られるよう心から祈ります。イエス・キリストのみ名によりお話しました。アーメン。 

 

戻る