モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

 

 

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Editor's Note: To my knowledge. this talk is available only in Japanese.

主に尋ねる」十二使徒評議員会補助 セオドア・M・バートン 聖徒の道1975年8月号

兄弟姉妹、友人の皆さん、先日、北アフリカの悲惨な飢饉の記事を読みましたが、何千人もの人が、食料不足のために餓死したとありました。この記者は、人々の飢えや死の原因は、人口過剰にあると指摘しました。人口が増えすぎて、農業生産で支えることができなくなったというわけです。また記者は、この地方の旅行談をつぶさに書いています。 

私はこの記事をよんで、その誤った結論に失望を感じました。彼はこの地方の民族は、家畜の飼料用の水を、雨水に頼ってきた原始人であると言っています。 

以前、この地域では、樹木やかん木や青草で家畜を養っていましたが、家畜が増えると、その群れが青草を食い始め、それを食いつくすとかん木を、さらに、かん木も皆食べてしまうと、人々は樹木を切り倒して、その葉を家畜に与えました。こうして緑が皆なくなると、土を固定しておくものが失なわれ、砂風が吹き荒れるようになったわけです。その結果、雨が降ると洪水が起きて、残った土も流され、人々や家畜の死を招いたのです。今ではその土地も、荒地や砂地と化し、かんばつが続くようになりました。記者はこれらの原因は人口の過剰にあると述べています。 

この記事をよんで、この記者の誤った結論に大変驚きました。この災害の原因は人口過剰ではなく、無知なのです。災害の真の原因を見極めもしないで、すべてを人口過剰のせいにしています。 

問題は、人口過剰ではなく適切な農耕法を知らなかったことによるのです。人々はいつまでたっても進歩せず、昔ながらの能率の悪い農作業に頼っていました。もし、この人々が、土地利用や土壌管理、養分供給や農作物の使用、また土地、水、家畜の管理などについて正しく教えられていたなら、この災害は避けられたはずです。真理はあっても、それを知らなかったために、餓死してしまったのです。 

神は多くの真理を備えられましたが、私たちがその扱い方を知らず、利用しない限り、真理も役に立ちません。耳を傾けなければ、また理解しないとしたら、知識は何の用をなすでしょうか。パウロは次のように神から来る知識について、ローマ人に説いています。『主のみ名を呼び求める者は、すべて救われる』とある。しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」(ローマ101314) 

この点は霊的知識も、この世の知識も同様に真実であると言えます。知識は実践するときに力となりますが、まずそれを知る必要があります。主が予言者を送り、人々に真理を教えられるのもこのためです。時には、神の予言者が存在し、神が子供たちを愛していて、このような知識を送られるなどということをなかなか信じられないかもしれません。 

創世の昔、人は皆、神について知っていました。アダムやイブが、自分の経験から、神について教えたからです。家族が増えて、子供たちが親に不従順になるにつれ、彼らは神を離れ、神を信じないようになりました。こうして、神の知識はある人々から失われ、この世に罪や苦悩や不幸がもたらされました。 

それでも神は子供たちを愛しておられます。私たちが神の喜ばれないことをするとき、神は悲しまれますが、愛することをやめたり、みそばに引き上げる努力をやめられたりすることはありません。私たちは皆、神の子ですから、神は折にふれて、予言者を送り、地上に光や知識をもたらされるのです。 

その予言者が皆さんのもとに送られました。皆さんが特別の子供だからです。皆さんは、予言者が真理について証をしている今日、それに耳を傾ける特権があります。予言者たちの語る神の言葉に耳を傾けるならば、霊的な面での真理だけでなく、この世についての真理や知識をも見い出すことでしょう。 

またこの教えから、さらに健康になり、さらに幸福になり、日々の必要や家族の必要を充たすのに十分なものが得られるでしょう。神の教えに心から従うなら、神は皆さんや、家族に天の窓を開かれ、あふれる程の祝福を与えて下さることでしょう。 

ではなぜ世の人々はこの知識を受け入れないのでしょうか。またなぜそれから利益を受けようとしないのでしょうか。大部分は、無知や無関心が原因です。人々は神が存在し、人々を愛しており、幸福になる方法を告げる使者を送られたことを素直に信じようとしません。私たちは、自分の生活に安住し、親や隣人の伝統に縛られて、容易に生活を変えようとはしません。偏見を持っていたら、決して学べません。誰かが新しい知識を持ち込んでも、周囲の慣行や信条に従おうとする傾向があり、自分で耳を傾けて、決断を下そうとはしません。伝統的な信条や慣行が、真実の原則なら、変える必要はありませんが、それがよいことかどうかは、少なくともそれを研究し、事の真偽を確かめてから、知ることができるのです。 

モルモン経には、この原則の一例が記されています。神の予言者リーハイは、神から、破壊が迫っていると警告されたとき、神を信じました。リーハイは家族を連れてエルサレムを去り、神が正しい人のために備えられた地に向けて旅立ちました。この家族は、度々苦難に遭いましたが、これはすべて、彼らを安全な良い土地に導くためでした。この旅行中、息子のレーマンとレミュエルが父親に背き、父親が与えた教えを信じることを拒みました。ふたり共、心がかたくなで、頑固であるばかりか、ことごとく神の道に反したことを行なおうとしました。リーハイは彼らをきびしくしかり、心を入れ変えて、神を信じるように言いました。神の教えに従って、神の加護を得て幸せになるようすすめたのです。それでも息子たちの争いは絶えず、父の教えに背いて、父が予言者であることを信じませんでした。これはちょっと変わった例ですが、神はすでに家族のために奇跡を行ない、またふたり共、父の言葉を証する神の天使さえも目にしたのです。しかし、頑固で無関心な彼らは、神の命令に従おうとはしませんでした。 

父リーハイは、たとえを借りて、神は義しい人々をその地で守られると教え、かんらんの木のたとえで、良い枝をつぐと良い実が得られると説明しました。木の根が弱くなった場合、野性の枝をついで、良い実を結ばせるというものです。こうして、よく面倒をみれば、良い実がとれます。リーハイの言うこのかんらんの木のたとえ話は、地上の義しい人々を守られる主の計画のことを言っています。このために彼らは旅立ち、忠実である限り、彼らとその子供たちに栄光ある将来が約束されたのです。 

しかしながら、レーマンとレミュエルは、父リーハイの言葉に耳を傾けず、これを理解できませんでした。耳では聞いても、心では聞いていなかったのです。一方弟のニーファイは、この真理を皆信じ、自ら主に祈り、父である予言者リーハイの教えたことを解き明かしてくれるよう願いました。ニーファイはみたまに感じ、父親の教えてくれたことを悟りました。ニーファイは兄たちがそれについて言い争うのを聞いて、暗い気持になりました。そこで、兄たちに争論の原因を尋ねると、次のように答えました。「見よ、われらの父は『かんらん』の木の元の自然の枝と異邦人とのことについて話をしたが、その言葉は何のことだかわからない。」(Iニーファイ157) ニーファイは答えて、「それで私はあなたがたは主に尋ねたかと言ったら、兄弟たちは『主に尋ねてはいない。主はこんなことをわれわれに知らせないからである』と言った。」(Iニーファイ1589) 

この答えは、世界中の人々からよく聞きます。神は過去におけると同様に今日も予言者を通じて語っておられますが、人々はそのことを信じようとはしません。そのために現状に満足し切って、無知、盲目のうちに過ごしているのです。 

偉大な予言者ニーファイは、兄たちの「神はそのようなことを人にはなされない」という言葉を聞き、これに対して、偉大な真理を教えました。神のみ言葉を引用して、ニーファイは次のように答えました。 

「もし汝らその心をかたくなにせず、答えを受くと信じ、固き信仰を持ち、わが誠命を勤勉に守りてわれに願わば必ずこれらのことを汝らに示さるべし」(Iニーファイ1511) 

私たちは、神の命令に従い、みこころを行ない、それについて祈るならば、知識ばかりでなく、祝福も受けて、家族をさらに幸福にし、人生の大きな喜びを見出すことができます。神の戒めに完全に従った生活を送りさえすればよいのです。たとえ、光や知識を求めても、自分の生活を変えようとしなければ、神の祝福ではありません。これは両親とても同じです。もし不従順な息子がいて、言いつけを守らなければ、相応の報いや祝福は与えられません。息子を愛していても、報いを与えるのは、彼が行ないを改めて、勤勉で従順になった時です。神との関係でも同じことが言えます。神の教えに従ってはじめて、さらに偉大な光と知識が与えられるのです。 

天には、私たち一人一人の父であり、生命と行動の源である神が存在します。神は生きておられ、私たちを導く予言者を召されて、御自身をあらわされ、真理や知識を啓示されるのです。 

私が考えますに、これ程、平安をもたらすメッセージは他にないと思います。神は生きておられます。私は孤独ではありません。私は神の子なのです。誰でもその心に神聖なきらめきがあります。これを皆、深く悟り、真の知識を持って欲しいと願っています。この知識は何という慰め、何という確信をもたらすことでしょうか。小さな例をあげて、神の啓示によって、いかに信仰の面で認識が深められるか、みてみましょう。 

東洋には、両親と先祖を敬う伝統があります。これは本当にうるわしい伝統です。しかし、一体、何人の人が、この伝統の起源や存続理由を御存知でしょうか。この伝統は、神の神聖な真理に基づくものです。しかし、長年のうちに、この習慣の真の目的と理由が失われてしまいました。神はこの末の日に予言者を通して、偉大な真理を示されましたが、それは、「私たちは皆、神の子」ということにつきます。 

神権すなわち神の権能に基づく祝福は、族長の権威によって私たちにもたらされます。私たちの血管を流れる血液は、私たちの実体に満ちている霊によく似ています。その霊が、神のみたまと交わって、その影響力を感ずると、神の教えに従う、信仰と勇気がわいてきます。 

こうして、血統により、私たちは、報いと祝福を受け、また神が約束された光と知識を受けています。これを「先祖になされた約束」と言います。 

義なる両親に忠実になることによって、正統の権利や祝福を受けついで、子孫に伝えることができます。これこそ真の意味で、両親を敬うことなのです。幸いにも、日本には、両親を敬う習慣が残っています。この偉大な価値ある習慣を残すには、両親が、神に忠実でなければなりません。両親が、その光と知職を失い、神の戒めを守らないようになると、子供たちも離れて、祝福を受けられなくなります。そして闇に迷い込んでしまうのです。ですから、両親に従うことは、子供にとって、祝福にものろいにもなるわけです。これはひとえに、光と、知識と、両親の行動にかかっています。 

先祖が自らの力ではどうにもできない状況の下に置かれたために、神に関する教えを受け入れることができなかった場合でも、神はやはり彼らを愛し、決して拒まれないのです。このことは末日に与えちれた啓示から明らかです。事実、神は、私たち子孫がその先祖を救える方法を備えて下さいました。 

死んでも霊は生きていますから、霊界で、宣教師の教えを受けていることでしよう。先祖が霊界で、真理を受け入れて信仰を持てば、私たちが地上で身代わりの儀式を受けることによって、彼らも完全な栄光を受けることができます。ただし、福音を信じ、受け入れることが必要です。 

ですから、祖先を敬うことは、真理が基になっているわけです。しかし、もっと先祖のために働く必要があります。思い出したり祈ったりするだけでは不十分です。地上で、実際に祖先のために働く必要があります。祖先には自分の手でできないことがあるからです。花やお供えではなく、祖先のために本当の犠牲を払って働かなければなりません。バプテスマや他の祝福を代わって受けることです。これを理解する時に、両親を敬う東洋の伝統も、真理が基礎になっていることがわかるのです。そして、ひとたび、本当の理由を理解すると、もっともっと先祖を敬うようになります。他の人たちは、ただ理由も知らずに習慣に従っているだけです。そのような人は、それ程先祖を敬っていません。でも真理を悟った私たちは、完全に敬うことができます。神の真の予言者を持つ価値は、ここにあります。 

最初に申しましたように、知識に飢えることがないようにして下さい。神の望んでおられる豊かな家庭生活が可能となるよう、真理を求め、その知識を用いましょう。 

証申し上げます。神は生きておられ、イエスは神の独り子であり、イエスのおかげで、私たちは、完全な祝福を受けることができるようになったのです。ジョセフ・スミスは確かに神と御子にまみえて、言葉を交わし、また確かに私たちを神のみ前に導くための権能を授かりました。 

この末日聖徒イエス・キリスト教会は、神が組織された教会です。完全な知識と権能を持つ唯一の教会です。私たちは神に召され、権能を授かっている予言者に導かれています。「主がこのように言った」とは予言者の言葉です。隣人や友人の習慣に押されて道をそれないようにして下さい。皆さんも、正しい生活をして、真理を求められますように。 

それから、キリストの福音の回復について証を自分で得ることができるよう、神に願い求めて下さい。このような知識を得られ、更に努力をつづけると、一層深い、光と知識を得、神の祝福を受けることができます。イエス・キリストのみ名により証します。アーメン。