モルモン

とは?

What of the

Mormons?

日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

 

 

 

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Editor's Note: To my knowledge. this talk is available only in Japanese.

約束された将来、十二使徒評議員会会長 エズラ・タフト・ベンソン1975年08月号-455

若い兄弟姉妹の皆さん、このように皆さんの前に立って、私はへりくだり、感謝の気持を覚えています。私は皆さんが神の選ばれた息子、娘であることを存じています。皆さんは貴い霊であり、特別な理由があって今この特別な時に地上に送られてきました。 

神は皆さん一人一人、またすべての子供たちを愛しておられます。神が望み、目的とされること、また神の栄光は、皆さんが神のみ前に永遠に住むにふさわしいことを証明し、清く汚れのないままみ前に帰ることです。 

皆さんはこの偉大な国における教会の将来であり、未来の指導者であり、立派な両親のもとに家庭と教会で育くまれた結実であるといえましょう。信仰のうちに強く踏みとどまり、悪にあっても揺るがないで下さい。そしてパウロが言ったように、「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」(エペソ61112) 

私は率直にまた正直にお話したいと思います。皆さんは私たちが皆さんを愛していることを御存知だと思います。教会の指導者として私たちは、この教会の若人にとって良いことは何でもすべて行なっています。私たちは皆さんに大きな信頼を寄せています。皆さんはありきたりの青年男女ではありません。選ばれた霊であって、多くの方は今日、大きな誘惑と責任と機会に満ちたこの時代に、この世に送られてきたのです。 

まず私たちは、皆さんが幸せになることを願っています。悪の中に幸せはありません。悪事を行なっていて自分は正しいと感じることはできません。それは不可能なことです。正しい生活をすれば必ず報いがあります。自らを清く保ち、世の汚れに染まらず、肉体と思いを清く保てば、それは報われます。一時のスリルを味わうために、幸福な年月を犠牲にしないで下さい。清く生活して下さい。大きな悔いや心の痛みを残すことのない生活を送って下さい。 

重大な過ちを犯した若人から教会本部に寄せられる手紙の中には、非常な悲しみを投げかけるものがいくつかあります。そのひとつを、名前を伏せて皆さんにお話したいと思います。この愛らしいモルモンの少女は次のように書いてきました。「私は今、絶望のどん底でこの手紙を書いています。ほかの人たちが私と同じ苦しみを味わうことのないように、これが警告になればと思っています。罪のしずくが私の心に落ちるまでは、幸せで楽しい日々を送っていました。もし、昔の日々をとり戻すことができるのでしたら、私は今持っているもの、これから持つことができるものをすべて差し出してもよいと思っています。人生をこれほどまでの悲しみと破壊に追いやる所に入り込んでいたとは知りませんでした。 

私は今、心に感じている苦しみと後悔の念をお伝えできたらと思います。自己嫌悪に陥り、人生で最も大切なものが失われたことを感じています。私は、この世の刺激やスリルにもう夢中でした。けれども手に残ったのは灰でしかありませんでした。 

若い女性の皆さんにお伝えしたいと思います。気どらない生活をして下さい。そして女性の友だち、お母さん、家族と親しく交わる喜びを知って下さい。清らかな自分を失わないようにしていれば、いつの日かふさわしいときに、人生の喜びと感動を味わうことが出来ます。決して急がないで下さい。急ぐと、ちょうどつぼみがふくらむ前に霜にうたれた花のように、あなたの手の中でそれはしぼんでしまいます。どうか、両親が注意するときに、その言葉に聞き従って下さい。」 

私たちはいつも神の計画に心を留めており、その神の計画は男女のひとつの標準を与えています。その標準とは道徳上の清さのことです。 

デビッド・O・マッケイ大管長はこのように述べています。「真の女性らしさが試されるのは、純潔を問われる法廷において、罪なくして立つときです。真の女性の持つあらゆる徳のうち最も気高く輝くのがこの純潔です。イエス・キリストの教会に道徳の標準はひとつしかありません。若い男性も同様に罪を犯してはなりません。清い女性と共に聖壇にぬかずくに先立ち、監督のもとへ行って推薦状を受けるとき、男性も女性と同じ純潔が求められるのです。」(Gospel Ideals「福音の理想」P.417) 

世の人々が何をしようと何を言おうと、教会と神の王国における純潔は依然として変わりません。ですから、若い女性の皆さん、自分を大切にして下さい。嘆きや悲しみを招く交際に足を踏み入れないで下さい。不道徳の上に幸せな家庭は築けません。それは不可能です。 

神の神権をもつ若い兄弟の皆さん、皆さんは女性を守らなくてはなりません。デートの相手の女性を自由に扱う特権が男性にあるわけではないのです。結婚の誓約を交わすときまで、甘く親密な交際を控えて下さい。これは神が結婚した人のために、賢明な栄えある目的をもって備えられたものです。幸福になるには、このように生活しなければなりません。

私たちは皆さんに幸福になっていただきたいと思っています。人類が現世にあるのは幸福を得るためです。主は皆さんに充実した、健全な、喜びあふれる生活を、するよう望んでおられます。そのためには福音に対する証を持たなければなりません。真理の証を持つことは実にすばらしいことです。経済的、社会的に逆境に置かれているとき、証がどれほどの力を発揮するか、私はその実例をたくさん目にしてきました。そしてこういう結論に到達しています。それはこの業が神のみ業であるという証を持っているならば、どんなことにも耐え、霊を健全な状態に維持できるということです。 

皆さんは、充実した、健全な、喜びあふれる生活を送りたいと思うなら、真理の証、この偉大なみ業に対ずる証を持たなければなりません。皆さんはこの証を求め、祈り、ふさわしい生活をする必要があります。そうすればこの証は必ず得られます。なぜならば、天におられる神は、神が生きておられること、イエスがキリストであること、ジョセフ・スミスが予言者であり、今日スペンサー・W・キンボール大管長が予言者であることをすべての子供たちが知って欲しいと望んでいらっしゃるからです。皆さん一人一人がふさわしく生活するならば、以上のことが真実であることを知ることができるでしょう。 

もうひとつ、私の信じていることがあります。それは、本当の幸福を得ようとしている若い兄弟たちが、神権の恵みを感じて生活するように神は望んでおられるということです。この教会の若い兄弟で、神権、すなわちメルゲゼデク神権を受けずに幸せを感じる人はいないと思います。この世と永遠の幸福は神権と深いつながりを持っています。この世で人が得ることのできる最大の名誉は、キリストの真の教会に籍を置き、真理に対する証を持ち、聖なる神権を持つことです。 

真の幸福を得るには、神の宮居でこの世と永遠にわたる結婚をする必要があります。このすばらしい地に皆さんの神殿を持てることは、何とすばらしい祝福でしょうか。神殿の中で行なわれる結婚と外で行なわれる結婚は全く別のものだからです。この結婚は神のみこころにかなうものです。神殿で結婚すべき理由はたくさんありますが、その中で最も大切な理由は、日の光栄の王国の最高の栄で、皆さんの両親や子供たちと一緒に、神のみ前に住むためにはこれが大前提となるということです。 

天父は、教会の若人をはじめすべての会員が日の光栄の王国で昇栄することを望んでおられるに違いありません。私たちは低い王国を目指して努力しているのではありません。私たちは月の光栄の王国や星の光栄の王国を願ってはいません。この教会の若人は日の光栄の王国とその王国の最高の栄えに入る候補者です。このためには多くのことが求められます。標準、特に日常生活での標準について非常に多くのことが要求されます。これはただ教会へ行くとか、ただ神権を持つとか、世間の標準から見て幸福であればよいとかという意味ではありません。教会のすべての標準に完全に従うことが求められるのです。 

これは肉体と心の両面で清くあるということです。現代の世に見られる呪いは、不貞です。これは殺人に次ぐ罪とされています。不道徳の上に幸せな家庭や幸せな結婚生活を築くことはできません。 

また、正しく結婚したのち、親となる祝福にあずかるのを不当に延ばしてはなりません。結婚生活の一部である甘く親密な交わりを享受する一方で、親となる責任を回避するのは、神の喜ばれることではありません。世の人々はこのことに無頓着ですが、これは神の王国の標準なのです。神は地に殖え、地を満たす責任を私たちに課せられたとき、何の留保や条件もつけられませんでした。結婚の主な目的はこの責任を果たすことにあるのです。 

皆さんは決して標準を下げてはなりません。結婚の誓約によらないふしだらな関係にふけっていて、悪い結果が生まれないはずがありません。神の律法を破れば必ず、心の痛み、悲しみ、悔い、自己嫌悪といった罰を受けなければなりません。そして、神のみたまから遠ざかってゆくのです。 

この話を聞いている皆さんの中で、悲しむべき過ちを犯してしまった人がいても、その人々は絶望だとは申しません。悔改めと赦しは、福音の一部だからです。そのことを神に感謝して下さい。しかし、本当の悔改めとは、罪を心の底から悲しみ、生活を変えることです。単に罪を告白するだけではありません。心の底から深く罪を悲しむならば、私たちは自然にひざまずいて、へりくだり、涙を流し、そして心から罪を悲しむことによって生活を変えることでしょう。その時にはじめて、天の神はその憐みと愛によって、私たちを赦すかどうかを決められるのです。地上に住む神権者ではなく、神が裁きを、しかも最終的な裁きを行なわれるのです。 

私たちは多難な時代に住んでいます。サタンは虎視たんたんと皆さんをねらっています。サタンは皆さんを堕落させようとして、甘言でそそのかすことでしょう。サタンは戒めを与えて人を正すようなことはせず、「独自の自由」、つまり、タバコを吸い、酒を飲む自由、幻覚剤を使う自由を与え、何かのとりこにして堕落させようとするのです。サタンは、皆さんが若く、活力が最も盛んで、周囲から刺激を受けやすく、感情が細やかなことを知っています。私の知る限り、今日ほど、悪魔がその力を結集させ、多くの使者を抱えているときはなかったと思います。今日サタンは攻撃のまとを若人と、私たちの基盤である家庭と家族にしぼっています。その証拠は、あらゆる所で見られます。誘惑は非常にこうかつで、数限りなく、また突然にやってきます。皆さんの両親が考えもしなかったような誘惑がこの時代ではごく当り前なのです。 

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長はこのように述べています。「教会の歴史を通じて今日ほど、多くの誘惑、落し穴、危険があり、教会員を義務の道と義からそらせようとする時はない。」(Take Heed to Yourselves「己に心を留めよ」、P.127) 

またこのようにも言っています。「現在の世は良い方向に前進してはいない……悪が増大している。」(同上P.207) 

確かに私たちは邪悪な世の中に住んでいます。私の記憶からしても、悪の軍勢がこれほどまでにその勢いを持っていたときはありません。あらゆる所で悲しい、胸の張り裂けるような出来事が目に映ります。悪魔から派生した破壊への圧力が、文学に、芸術、映画、ラジオ、服装、ダンス、テレビに、さらには言わゆる現代の音楽にも表われています。サタンは家庭、家族、特に若人を弱め、滅ぼすために、いろいろな手段を使います。これはかつてなかったことです。サタンの攻撃は現在皆さんに、私たちの大切な若人に向けられているのです。 

皆さんは、現代音楽、現代芸術、性倒錯に見られるように、悪魔の手に取り囲まれ、攻撃を受けています。特に、幻覚剤(LSD,マリファナ,その他)の使用、大衆の雑誌や若人に向けた地下出版書、テレビ、映画、ラジオ、ポルノ文学、その他いかがわしい雑誌にこの悪魔の手がはっきりうかがえます。 

よいもの、神聖なもの、精神を高めるもの、清いものは、すべて攻撃を受け、吹き飛ばされそうになっています。私の記憶では、昨日までの標準が一夜にして無くなるなどということはありませんでした。私は世界中の多くの国々を訪れてきた者のひとりとしてこのことが言えます。今日ほど、悪魔が力を得、組織的に動いている時代はありません。若人がこのようなチャレンジを受けたこともありません。若人に力と勇気と信仰がこれほど必要とされる時代もありませんでした。 

ニーファイ第二書28章で、主は予言者を通じこのように言われました。「ごらん、その時に(私は現代をさしていると思います。)悪魔はある人々の心に入って荒々しい行いをさせ、またこの人たちに善い事を怒らせる。またほかの人々をなだめ、この人たちをすかして肉欲をほしいままにさせるから、その人々は『シオンの中では万事よろしい。シオンは栄えて実に何事もみなよろしい』と言う。このように悪魔はこの人々をだまし、心を配って地獄へつれて行くのである。悪魔はまたほかの或る人々にへつらってこの人々を迷わせ、地獄はないものであると言い、このように耳にささやいて一度かかったら決して逃れられない恐しい鎖でとうとう縛ってしまう。」(IIニーファイ2820-22) 

この言葉は今日の世の中の状態を実によく言い表わしています。さて、若い兄弟姉妹の皆さん、主は、立って己が光を輝かし」、「国民の旗じるし」となるよう命じておられます。〈教義と聖約1155参照) 主はこう言われましな「そのように。あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがゆるようにしなさい。」(マタイ516) 

主は、私たちに世の光となるよう望んでおられます。皆さんが世の光となり、主が言われたように、立って己が光を輝かすとは、何とすばらしい召しであり、責任でしょうか。 

私たちは教会の若人が主が望んでおられるような生活をするよう心から願っています。皆さんは選ばれた人々です。また特別な人々でもあります。ペテロが聖徒に宛てて書いた言葉を覚えていることでしょう。「あなたがたは、選ばれた種族、王国の祭司、聖なる国民、神につける民である。」(Iペテロ29) この教会の若人は、いろいろな点で特別です。福音に従って生活しているならば、その標準において特別です。 

兄弟姉妹、このことを覚えておいて下さい。皆さんは、教会の標準と教えと理想に従って生活しているならば、必ず真の男性、真の女性と呼ばれる人々の仲間に加えられることでしょう。勧告されているにもかかわらず、世の中に合わせようとするとき、私たちは世の中の誤った標準に追従するようになってしまうのです。新しい世の中の標準が優勢を占めていますが、神の義の子らは、必ず来るよき日のために備え、その日を待って、最も高い標準に従って生活しなければなりません。 

ですから、愛する兄弟姉妹、教会の大切な若人であり、主の愛を受けている皆さん、これらのことについて真剣に考えて下さい。これらのことについて、断食し、祈って下さい。主は答えて下さいます。皆さんがそれを成し遂げ、幸福になるよう主は望んでおられるからです。 

私たちも皆さんが幸せになることを願っています。そしてそれは、たとえ邪悪に満ちた世の中であっても可能です。皆さんに安易な生活は望んでいません。問題を抱え、落胆し、心の痛みを感じることでしょう。人が成長するのは、成功と安楽の絶頂にあるときではありません。心が痛み、落胆し、逆境の谷底に落とされたときに、強い性格を身につけることがしばしばあるのです。しかし、神はこの世が基本的に満足と喜びをもたらすものとなるよう意図されました。 

申し上げたいことはまだありますが、最後に、私たちが皆さんに心から望んでいることを申したいと思います。それは、皆さんが日の光栄の王国の最高の位で昇栄することです。これはどういう意味でしょうか。この世と永遠にわたる、新しくかつ永遠の結婚の誓約を交わすということです。日の光栄の最高の位で昇栄するためには絶対必要な条件です。言葉を言いかえますと、神の神殿で結婚するということです。 

すべてのことははっきりとしています。主はしもべを通じて語られ、私たちが歩むべき道について現在も勧告が与えられています。 

若い兄弟姉妹、皆さんの上に神の祝福がありますように。私たちが神の祝福を受けて、世の人々が何を言い、何をしようとも、神の道を歩み、鉄の棒にしっかりと握り、信仰に忠実であって、また主が主の教会に定められた標い準を維持し、安全で高められる道を歩むことができますように。 

扉は開かれています。計画は示されています。権威と権能は地上にあります。ですから皆さん次第です。この計画に従って生活すれば、幸せになり、成功し、愛する人と共に日の光栄の王国で昇栄するのです。 

このことをすべての人に願い、祈りつつ、イエス・キリストのみ名により申し上げます。アーメン。