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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

日本地域総大会1975

 

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Editor's Note: Given at the 1975 Area Conference in Japan, to my knowledge, this talk by Elder Gordon B. Hinckley is only available in Japanese.

「神はこの国にみ手を置いておられる」十二使徒評議員会会員 ゴードン・B・ヒンクレー、聖徒の道19758月号-431

愛する兄弟姉妹の皆様、再びこの日本を訪問し、この歴史的な大会に出席できるのは、すばらしいことです。私は皆様の多くを昔から知っています。皆様と共にいられることは実にすばらしいことです。 

私が初めて日本を訪問したのは19605月のことでした。その時から、日本の聖徒を知り、愛するようになりました。その愛は変わっていません。むしろ年と共に強くなり、深くなっています。かつて8年間、日本を担当する責任が与えられました。この間に私は日本中を旅し、北は北海道から南は沖縄まで数多くの支部を訪れました。その頃の集会は、例外なく、小さな古びた家で開かれました。ほとんどが借家でした。当時アジアには、ひとつも教会堂がありませんでした。 

私はこの国で、土地の購入を手伝い、教会堂の建築を推せんし、鍬入れ式を行ない、献堂式を執り行ないました。教会としては、アジアで初めての大事業でした。 

私はこの偉大な国の聖徒たちが主の予言者の指示のもとに教会の総大会に集うこの日の訪れを長い間待ち望んできました。 

私が担当していた頃、この地域にはひとつの伝道部しかなく、韓国も同じ伝道部に属していました。支部はまだ小さく、会員も方々に広く分散していました。しかし今では3つのステーキ部と6つの伝道部があります。きょうの皆様のお顔を拝見して、感謝の言葉もありません。会場には、民族こそ違え、1万人以上の兄弟姉妹が、同じ信仰と同じ神権と、同じ聖約のもとに、生ける神と御子イエス・キリストを礼拝するために集っています。この国に起きたことを見れば、神のみ業は否定できません。神はこの国にそのみ手を置かれ、みたまが人々に注がれています。そして証を聞くたびに、この国民は、心を動かされてきたのでした。 

しかし一朝一夕にこうなったのではありません。古代のエレミヤの予言のように、「町からひとり、氏族からふたりを取って」(エレミヤ314)宣教師は働いてきたのです。教会に加入しようとしていろいろ悩んだことでしょう。胸のさける思いで、両親が涙を流すのを見、先祖伝来の信仰を捨てなければなりませんでした。しかし、聖きみたまが、教えの真実であることを証し、皆様はそれを否定しませんでした。ですから、バプテスマを受け、聖霊の賜を授かりました。しかし、このように真理を受け入れた人の数も多いですが、宣教師の証を拒んだ人もまた数多くいました。時の初めからそうでした。今日ここには、私たちの目には見えない聴衆も集っていると思います。その中には、ヒーバー・J・グラント大管長もいます。グラント大管長は、1901年に3人の同僚と日本で伝道を始めました。この地を福音の地として奉献しました。彼らには言葉の問題もありました。機会をとらえて、人々に教えましたが、23年後に伝道部は閉鎖になりました。この23年間で、200人に満たない人が改宗しました。その中には、今この会場におられる、東京の奈良兄弟や大阪の桂兄弟、札幌の熊谷姉妹がいました。 

戦後、み業は再開され、以来、実り多い収穫が続いています。今私は戦前、戦後を通じて働いた伝道部長や宣教師のことを考えています。その方々が生きておられたら、皆この偉大な大会に出席して欲しいと願っています。 

伝道部長としては、エドワード・L・クリソード、バイナル・G・マース、ヒルトン・A・ロバートソン、ポール・C・アンドラス、ドウェイン・N・アンダーセン、アドニー・Y・小松部長。この方々のときには、日本も沖縄も、そして韓国も含まれていました。それから、分割した後では、ビルス、岡崎、堀内、アボ、清水、渡辺、そして現在の伝道部長。さらに何千という若い男女が、宣教師として予言者の召しに応えて、全くなじみのない言葉を話す国にやって来たのでした。言葉の問題と言えば、言語訓練伝道部ができる前はもっと大変でした。宣教師たちが、異言を語る賜を求めて主に祈ったということを何度も耳にしました。全く落胆しきった宣教師と面接したこともあります。彼は、どんなに努力しそも言葉がわからないと言いました。彼は涙を流しながらその苦労を語りました。家族も断食し、祈っていました。そして彼は私に祝福を求めましたので、私は頭に手をおいて、神権の権能によって、確信をもって、その言葉を語れるよう祝福しました。その祝福は神の力でかなえられました。彼は偉大な宣教師となり、帰国後、大学を卒業すると、日本語の知識を生かして大学院の奨学生となり、博士号もとりました。そして政府の役人となり、現在、その日本語が上手なために、ここのアメリカ大使館で信任ある地位についています。また教会でも責任ある職についています。皆様も御存知の方です。彼もこの会場にいて、感謝の念に打たれています。彼の生涯は、聖典の成就と言えましょう。「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日ののち、あなたはそれを得るからである。」(伝道111) 

また、言葉の障害のなかった宣教師のことも考えています。それは、この日本で福音を受け入れ、日本で働いた青年たちのことです。私は数年前の証会のことを思い出しています。その会で若い日本人長老が証をしました。その会には皆断食して集いましたので、主のみたまがありました。その長老は、立ち上がると、初めて英語で証をしました。忘れもしません。「天のお父様を愛しています。主イエス・キリストを愛しています。予言者ジョセフ・スミスを愛しています。」そのあとはつまって声になりませんでした。それで十分でした。その言葉は何よりもすばらしい説教でした。 

私たちは皆涙を流しました。私はみたまに促されて立ち上がると、「菊地長老、主のみ名によって約束します。忠実で、戒めを守り、教えによく従ったら、人々の中で成功し、教会でも素晴らしい指導者になるでしょう。」 

彼も今日この会場にいて、目に涙しています。この言葉が与えられたとき、彼はまだ若い宣教師で、財産も教育も将来の約束もありませんでした。しかし、今では日本東京ステーキ部部長となり、私は昔を思い出して、深い愛を感じております。 

これは皆、現代の奇跡です。主は、その業をはやめると言われました。今がそのときです。私たちは神の王国の,建設に努めるよう、大管長から大きなチャレンジを受けました。1848年、教会員は、合衆国のあちこちに散在していました。グレートソルトレークの盆地には、少数の開拓者しかいませんでした。他の聖徒は、はるか東のミズーリ河畔でキャンプしていました。ブリガム・ヤングは第一隊をソルトレーク盆地まで導くと、ミズーリのキャンプへ引き返しました。その当時あるものと言えば、背負えるだけの衣服、それに幌馬車の中味が少しだけでした。教会は小さく、ひ弱でした。しかしみ業の将来を見通していたブリガム・ヤングは丸太造りのタバナクルで言いました。主なる神はこの王国がこのように進展するまで、育て、導いて下さった。今後もそれは続き、あらゆるものが完成し、教会は勝利をおさめるであろう。」(ブリガム・ヤング The Man and His Work「人物と功績」ニブレー、p.117)

信仰のためには、生命をもかける程の証を持っていたヤング大管長たちは、家も、お金も、友もない中で、荒野を進み、ロッキー山中に道を切り開き、一大社会を建設したのでした。そしてそこから、世界各国に福音を宣べ伝える人々を送り出したのでした。 

現在、教会の基盤は万全です。教会に反対する人がいることも事実ですが、それでも教会は50年前には考えられなかった尊敬を受けています。このような強い基盤に立って、素手と信仰で仕事を始めた開拓者以上の業を果たそうではありませんか。日本の国ほど様々な機会に恵まれた国はありません。きょうから偉大な未来が始まるのです。私は日本での主のみ業に満足しています。そして、私たちは弱くとも、主の器にならなければなりません。日本に美しい神殿が建つのも偶然の結果ではありません。皆様は、ハワイやソルトレークの神殿訪問に際し、多大な犠牲を払ってこれらました。会員の中には、貧しい人々を助けるため、第1日曜日以外にも断食した人が大勢います。また、インフレとたたかい、断食をして食費をきりつめ、親子そろって永遠の結び固めを受けるために海を越えて行った方々もいます。聖なる神様のもとに、死にも時にも動じない誓約を受けに渡っていったのです。また、主の宮居へ行くために衣食住を共に切りつめた家庭が多いことも知っています。 

私は、主が皆さんのこうした心からの犠牲を捧げる姿に目を留めて、それに報いて下さり、この日本の地に主の宮居を建てるという祝福をお与え下さったのだと思います。私はきょうここにおられるすべての若い兄弟に、誉れと徳と善の道を歩み、主の宮居に入るにふさわしい者となるようにチャレンジします。また若い姉妹にも、そのように生活することにより汚れのない身で監督や支部長の前に出て、主の宮居に入るにふさわしい者となれるようにチャレンジします。教会員の中から伴侶を見つけて下さい。そうすれば今も永世にもわたる結婚ができるでしょうし、皆さんの子供もまたその子供も誓約のもとに生まれることになるのです。 

昔から、日本人は先祖を敬う民でした。真実の福音はありませんでしたが、先祖を敬う伝統は神聖なものです。「父と母を敬え、これは、あなたの 神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出エジプト2012) 

これはシナイ山で主がその指で書かれた言葉です。過去の人々に感謝する気持がなければ、決して偉大な人物にはなれません。 

これから皆様方教会員は、本当の意味で先祖を敬う機会を持つようになります。この感謝と愛に満ちた本当の精神は、神の啓示を通して与えられたものです。祖先を敬う精神が最も美しい形で表われるのは、すでに幕のかなたに去った人々に神の御子の福音に伴う大きな祝福を分け与えるときです。死者は、永遠の祝福をもたらす儀式を受けることはできません。しかし救われるためには、バプテスマ、神権、聖なるエンダウメントとその指示、約束、誓約、家族が永遠にひとつとなる結び固めの儀式などが必要です。教会の初期の頃、予言者は敵に捕えられたとき、次のように叫び祈りました。「おお神よ、汝はいずこにおわしたもうや。」これに対し、主は次のような偉大な啓示で答えられました。 

「流水いつまでか濁りてあちん、如何なる力かよく諸天の運行を止めんや。何人かよくかよわき腕をさし伸べて、神の命じたまえる水路を流るるミズーりの流を止め、またはこれを逆流せしむることを得んや。もし、よくこれを為し得れば全能の神が末日聖徒の頭上にいと高き所より知識を注ぎたもうを止むることを得ん。」(教義と聖約12133) 

このみ業を妨げようとする人がいるかもしれません。教会の敵は、あざけり、愚弄するかもしれません。しかし、神はその力を持ってこの民に天から知識を注がれることでしょう。 

このみ業を開始するにあたって、主はこのみ業の4つの目的を次のように宣言されました。 

1.「されどこは、あらゆる人々主なる神すなわち世の救い主の名によりて語らんため、

2. 信仰もまた世に高まり、

3. わが永遠の誓約は確立せられ、

4. 完全なるわが福音、弱き者たち単純なる者たちによりて世界のいやはてまでも宣べられ、また王と統治者との前に宣べられんがためなり。」(教義と聖約120-23) 

これ以上の祝福はあるでしょうか。世の救い主である主なる神のみ名によって語り、聖なる神権の力を使って神の務めに携わる権能に勝るものがあるでしょうか。 

このみ業の回復によって、信仰が高まったということを疑う人がいるでしょうか。今日皆様がここにおられることそれ自体が、この信仰が増した証拠です。ここに集いたいという夢、そのために払った犠牲、これは皆純粋で強く大きな信仰がある証拠です。 

エホバはアブラハムと誓約を交わし、「わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう」(レビ2612参照)と告げられました。 

この永遠の誓約は、バプテスマの時、忠実に奉仕の業に励むとき、そして、主の宮居で神聖な義務を引き受けるとき、再確認されます。 

完全な永遠の福音は、私たち弱い者、単純な者によって世界の果てまでも広められ、また王と統治者の前で宣べられています。そして彼らは主の告げる真理を理解しつつあるのです。 

愛する兄弟姉妹の皆様に、神の祝福がありますように。そしてこのすばらしい大会の会場をあとにするときに、主の道を歩み、主の思いを知る決意をさらに強くできますように。このみ業に対する証を共に分かち合ったこの素晴らしい大会を共に過ごし、もっと忠実に奉仕したい、もっと良い家庭を築きたい、もっと愛と感謝を示し合いたいという気持が強くなったことでしょう。証申し上げます。永遠の父なる神は生きておられ、肉における神の独り子イエス・キリストは私たちの救い主であり、またこのみ業の隅のかしら石です。私たちには予言者がいて、今この大会は予言者により管理されています。皆様に平安があり、あふれんばかりに神の祝福がありますよう、イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。 

 

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