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編集者室より:2015年5月9日、わたしはこの記事をまだ会員になっていない友人藤井さんに送りました。彼は本気に読んでくださるように心より祈っています。

天父はわたしたちが昇栄することができるように救いの計画を定められた

全能の主は生きておられます。主は天と地,水の源を造られました。そしてわたしたちは神の子供また創造物であり,偶然にこの世に存在しているのではありません。主がわたしたちの誕生と存在の目的を定められました。主はわたしたちが使命を果たし,イエス・キリストの御姿に似た者となり,それぞれの召された場所における支配と力を得ることができるよう望んでおられます。キリストと同様に,罪なくして救われ,純粋な英知に満たされ,昇栄して御父の右に上げられて王座に着くようにです。わたしはこの教義が真実であることを証します。なぜなら,主がわたしにそのことを教え,頭のてつぺんから足のつま先まで,それが真実であることを感じさせてくださったからです

人はこの世で行った行為に対して,来世で責任を取らなければなりません。また,地上で与えられた管理の職に関して,生者と死者の審判者,わたしたちの霊の父.主の前で申し開きをしなければならないでしょうこれが神の意図されるところであり,神の偉大な目的の一部です。わたしたちは何か月,または何年か,飲み食いし,寝起きし,そして死を迎え滅びてしまうためにこの世に生きているのではありません。全能の主は,決して人をこのように短命で,役立たずの不完全な者となるように計画されてはいません

キリストのように万物の下に身を落として初めて,万物の上に昇り〔教義と聖約886参照〕,天の御父や御母.長兄のように,永遠の全能者となることができるということについて,もし〔地球に〕来る前に知らされていなければ,わたしたちは決してこの世に来ることはなかったでしょう。それは,この世に生まれて来ることの必要性や肉体を得ることの重要性,子孫の繁栄,わたしたちに授けられている神聖な特性,神が持っておられると同様の力,また選択の自由をどのように行使したかというはかりで量られる試しを受けることにより到達するという大きな目標です

わたしにとって,また人の子らにとって,人の命と救いの偉大な計画より大切なものはこの世にありません。この計画は初めより天において定められました。その後神によって召された聖なる人たちの霊感を通して,人の子の降臨まで代々伝えられてきました。なぜならば,この福音と救いの計画は最初の両親に啓示されたからです。神の天使は彼らに死と罪からの贖い,ならびに救いの計画を伝えました。そして,この計画は神の権能を持つ者によって時代から時代へと人々に明らかにされました。変更は何一つありませんでした。この計画は初めから何の過不足もなく,完全な形で定められました。御父と聖なる者たちの知恵により定められた,神の前において,人類の贖いと救いと昇栄のための完全な計画でした。……同じ福音,同じ命と救いの計画,同じ儀式,キリストとともに葬られるバプテスマ,また世の罪と人の贈いのためにささげられる偉大な犠牲の象徴が,世の創造以来,代々伝えられてきました

全能者は来世のみならず,現世における人の救いのために,この末日に命の計画を回復してくださいました。なぜならば主は,罪と罪の結果から免れる基礎を地上で築くため,そして人々が悲しみの谷を越えて神の王国で受け継ぎを得るためにこの業を始められたからです。それは,その民がこの世での最大限の祝福を喜ぶため,また来世においてはもちろん,現世においても救われるためです。イエス.キリストの福音は救いを得させる神の力です

神は僕であるジョセフ・スミスに語りかけ,御自身を現されました。御父だけでなく御子もジョセフに御姿を現されました。御父と御子はジョセフに御姿を現し,戒めと律法,そして福音と永遠の命の計画をお与えになりました。……この計画には,罪と罪による結果から現世においても来世においても救われるということだけでなく,神の子らが福音の律法と原則に従うことによって昇栄,栄光,力,主権を得られるということが含まれています

わたしたちは永遠の命に備えるために地上に来た。

わたしたちが地上に存在する目的は,完全な喜びを得ることです。文字どおり完全な意味での神の息子,娘,神の相続人,イエス・キリストと共同の相続人〔ローマ8:14-17参照]神の王となり祭司となり,栄光と支配,昇栄,王位,そして天父が持っておられるすべての力と属性を受け継ぐ、ことです。これがわたしたちの地上にいる目的です。このいと高き位を得るためには,肉体的経験もしくは試しの時期を通して,わたしたちは長兄であるイエスの助けを借り,自らがそれにふさわしいことを証明しなければなりません

わたしたちがこの地上にいる目的は,天においてなされていると同様,地においても御父の御心を行い,義を行い,悪を征服してそれを足の下に踏みつけることです。また全能者である神の霊感とその現わされたる力によって,罪に打ち勝ち,人の霊の敵を征服し,貧弱で堕落した人間の不完全さと弱さを超越し,地上における真の聖徒となり,僕となることです。

わたしたちは皆,死ぬことになっています。しかし,わたしたちの存在はそれで終わってしまうのでしょうか。わたしたちが地上へ来る前に存在していたとしたら,この世を去ってからも存在し続けるに違いありません。霊は前世で存在したように存在し続けるでしょう。そして,この試しの時期における経験を通して得たものがさらに付け加えられます。わたしたちがこの世に来て肉体を得ることは確かに必要なことでした。なぜならば,肉体がなければ,神のように,あるいはイエス・キリストのようになることができないからです。……わたしたちはイエスと'司じように、墓から出て来て,不死不滅の体を得るように定められています。すなわち,イエスの体が不死不滅となったようにわたしたちの体も不死不滅となります。霊と体は一つとなり,分離しない,別れることのない,永遠のものとなるのです

わたしは現世の段階を終え,この世で自分が幸福になるために寄与したすべての賜物と祝福などを満喫できる時が来るのを心待ちにしています。忠実であるかぎり、自分に喜びや幸福をもたらしたこの世の事柄が,来世において差し控えられることは決してないとわたしは信じていますそうでないとわたしの喜びは完全なものとなりません。……ここで言うわたしの幸福とは,天においてもそうであったように,この世において神の御心を行うときに経験する幸福感のことを言っています。夫婦が永遠であることを望みます。子供たちの永遠の父母でありたいと願っています。それがわたしの願いであり,それ以外は何も望んでいません。さもなければ,わたしは幸福になることができません

主がこの末日に啓示された福音の原則は,わたしたちを永遠の命に導きます。これがわたしたちの求めているものであり,わたしたちが創造された目的であり,地球が創造された目的です。わたしたちがこの地上にいるのはすべての愚かな行為を克服し,将来永遠の命を得ることができるように準備するためです。……

ですから,忠実かつ謙遜になろうではありませんか。キリストの宗教を実践し,肉体の愚かな行為や罪,そして弱さを捨てようではありませんか。そして神と神の真理をしっかりとつかんで心をほかに向けず,信仰の戦いを立派に戦い抜く決意を固め,最後まで堪え忍ぼうではありませんか

わたしたちが生きているおもな目的の一つはイエス・キ'ノストに似た者となることである。

わたしは救い主がすべての人の生ける模範であると信じています。……わたしたちは主が行われた業を行うよう命じられています。救い主が御父に従われたように,わたしたちも救い主に従うよう命じられています。救い主のおられる所に行き,救い主とともにいることにより救い主のようになるのです

大切なことはどれほど長く生きるかということではなく,どれほど人生の教訓を学ぶことができるかということです。また神と人に対する義務をどれほど果たすかということです。わたしたちが地上に存在するおもな目的の一つは,かつて汚れなく,清く,純粋で,染みのない肉体でこの地上に住まわれた御方に似た者となることです。キリストが降臨されたのは世の罪を贈うだけでなく,あらゆる人の前に模範を示し,神の完全さ,神の律法,御父への従順について基準を確立するためでもありました

イエスの教義以上に完全な教えはありませんでした。……キリストは,初めにおいて,曲がりくねったこの人生において,終わりのない神の王国での昇栄と栄光において,そしてそこでの新しい生活においてわたしたちに救いの道を明らかにされています。……

実際,幸福な人とは心に満足感を与えるこの証を得,安らかで,イエス.キリストの教義のみに平安の道を求める人のことをいうのです。キリストの福音は,隣人を愛し,人からしてほしいことを人にもするように教えていますまた,公正で,憐れみ深く,人を赦し,そして霊の成長のためにあらゆる善を行うように教えています。……

……「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」〔マタイ11:28]と主は人のあらゆる息子,娘たちに呼びかけておられます

キリストは全人類の偉大な模範です。キリストが人類の贖い主となるように予任されていたのと同じように,人はキリストのようになることを予任されていたとわたしは信じています。……肉体的にわたしたちは神の形をしています。ですから霊的にも神のようになり,神と同じように知識と英知,知恵,力を所有するのです。

わたしたちがこの地上に来た大きな目的は,キリストのようになることです。さもなければ,わたしたちは神の息子となりキリストと共同の相続人になることができません。

神の御子に従おうではありませんか。キリストをわたしたちの模範,導き手としてください。キリストを見習ってください。キリストの業を行いましょう。完全で罪のない御方,キリストのようになるために力の限りを尽くしてください。

わたしたちはキリストにより,またその福音に従うことによってのみ,永遠の命への希望を持つことができる。

イエス.キリストの名によらずしてわたしたちは神の王国において救いと昇栄を受けることはできません。この名はほかのだれにも与えられていません。

この試しの時期を乗り越え,忠実であり,福音の儀式を通しキリストの血によって罪を贖われ,神の王国において昇栄を得る人は,天使に勝るとも劣りません

わたしたちは,神が命じられることは何でも従うと誓うことにより,新しくかつ永遠の聖約に入りました。これは最後まで守らなければならない永遠の聖約です。……神の子として主のすべての戒めに永遠に従うことが義務でなくなる日,楽しくなくなる日,また本分でなくなる日というのは,決して訪れません。わたしたちはこの原則に基づいて,神と交わりを保ち,その目的と一致するのです。わたしたちが使命を果たし,冠を得て,神の最も偉大な賜物である永遠の命を得られるには,この方法以外ありません。ほかの方法が思いつきますか。神が示された方法に従う以外に救いを得ることはできません。「変化とか回転の影とかいうものはない」〔ヤコブの手紙l:17)命の御父が定められた律法に従わなければ,永遠の命を望むこともできなければ,これ以外に光と昇栄を得る方法もわたしたちにはありません。わたしにとってこれらは疑う余地のない確かな事実です。わたしはこれらが真実であることを知っています

祝福,特権,栄光,昇栄を受けるには,それらが基づく律法に従わなければなりません。律法に従えばその報いを受けますが,そのほかの方法では受けることができません。

キリスト御自身でさえ最初は完全ではありませんでした。キリストは最初から完全を受けたのでなく,恵みに恵みを受け続けて,ついに完全を受けられたのです〔教義と聖約93:11-13参照〕人の子らも同じではないでしょうか。完全な人がいるでしょうか。完全を一度に受けた人がいるでしょうか。神の完全,栄光そして英知を授かるところに到達している人がいるでしょうか。いいえ,だれもいません。けれども,もし,神の御子であり,わたしたちが住んでいる天地の父であるイエスが最初から完全を受けられたのでなく,受けるまで信仰や知識,理解そして恵みを増し加えていかれたのならば,女から生まれたすべての人がここにも少し,そこにも少しと,教訓に教訓,規則に規則を加え,イエスと同じようについに完全を受け,ともに昇栄し,御父の前に住むことは可能ではないでしょうか。

わたしはこの世においても次の世においても自分の救いを得るために生きています。その次に来るのが,自分の子供たちであり,彼らの愛する,尊い母親です。この栄えある終局を揺るぎないものとするためにわたしがこの世ですることは,決して犠牲と呼ぶようなことではありません。それは永遠の命と完全な喜びを目指す愛の働きです。「永遠の命を持つ者は豊かである。」〔教義と聖約67歴代大管長の教え、ジョセフ・F・スミスの教え、17章、命と救いの偉大な計画よりの抜粋

Editor's Note: I sent this on May 9, 2105 to Mr. Fujii, my friend in Japan who is not yet a member of the Church. I pray he will read it carefully and prayerfully

Our Heavenly Father designed the plan of salvation so that we can be exalted.

The Lord Almighty lives; he made the heavens and the earth, and the fountains of water; and we are his children, his offspring, and we are not here by chance. The Lord designed our coming, and the object of our being. He designs that we shall accomplish our mission, to become conformed to the likeness and image of Jesus Christ, that, like him, we may be without sin unto salvation, like him we may be filled with pure intelligence, and like him we may be exalted to the right hand of the Father, to sit upon thrones and have dominion and power in the sphere in which we shall be called to act. I testify to this doctrine, for the Lord has made me to know and feel the truth of it from the crown of my head to the soles of my feet.

Man will be held responsible in the life to come for the deeds that he has done in this life, and will have to answer for the stewardships entrusted to his care here, before the Judge of the quick and the dead, the Father of our spirits, and of our Lord and Master. This is the design of God, a part of his great purpose. We are not here to live a few months or years, to eat, drink and sleep, then to die, pass away and perish. The Lord Almighty never designed man to be so ephemeral, useless and imperfect as this.

Had we not known before we came [to earth] the necessity of our coming, the importance of obtaining tabernacles, the glory to be achieved in posterity, the grand object to be attained by being tried and tested—weighed in the balance, in the exercise of the divine attributes, god-like powers and free agency with which we are endowed; whereby, after descending below all things, Christ-like, we might ascend above all things [see D&C 88:6], and become like our Father, Mother and Elder Brother, Almighty and Eternal!—we never would have come.

There is nothing under the heavens of so much importance to me or to the children of men as the great plan of life and salvation which was devised in the heavens in the beginning, and which has been handed down from period to period through the inspiration of holy men called of God until the day of the coming of the Son of Man, for this gospel and this plan of salvation was revealed to our first parents. The angel of God carried to them the plan of redemption, and of salvation from death and sin that has been revealed from time to time by divine authority to the children of men, and it has undergone no change. There was nothing in it, in the beginning, that was superfluous or unnecessary; nothing in it that could be dispensed with; it was a complete plan devised in the beginning by the wisdom of the Father and the holy ones for the redemption of the human race and for their salvation and exaltation in the presence of God.… Through all the generations of time, the same gospel, the same plan of life and salvation, the same ordinances, burial with Christ, remembrance of the great sacrifice to be offered for the sins of the world and for man’s redemption, have been handed down from time to time, from the time of the creation.

It is the plan of life that the Almighty has restored to man in the latter days for the salvation of the souls of men, not only in the world to come, but in our present life, for the Lord has instituted his work that his people may enjoy the blessings of this life to the utmost; that they should be saved in this present life, as well as in the life to come, that they should lay the foundation here for immunity from sin and all its effects and consequences, that they may obtain an inheritance in the kingdom of God beyond this vale of tears. The gospel of Jesus Christ is the power of God unto salvation.

God did speak to His servant Joseph Smith, and did reveal Himself unto him; not only the Father, but the Son also. They did reveal themselves unto him, and they gave him commandments and their law, their Gospel and their plan of life eternal. … This plan contemplated not only salvation from sin and from the effects of sin here and hereafter, but exaltation, glory, power and dominion, that will come to the children of God through their obedience to the laws and principles of the gospel.

We came to earth to prepare ourselves for eternal life.

The object of our earthly existence is that we may have a fulness of joy, and that we may become the sons and daughters of God, in the fullest sense of the word, being heirs of God and joint heirs with Jesus Christ [see Romans 8:14–17], to be kings and priests unto God, to inherit glory, dominion, exaltation, thrones and every power and attribute developed and possessed by our Heavenly Father. This is the object of our being on this earth. In order to attain unto this exalted position, it is necessary that we go through this mortal experience, or probation, by which we may prove ourselves worthy, through the aid of our elder brother Jesus.

The object of our being here is to do the will of the Father as it is done in heaven, to work righteousness in the earth, to subdue wickedness and put it under our feet, to conquer sin and the adversary of our souls, to rise above the imperfections and weaknesses of poor, fallen humanity, by the inspiration of Almighty God and his power made manifest, and thus become indeed the saints and servants of the Lord in the earth.

We shall all die. But is that the end of our being? If we had an existence before we came here we certainly shall continue that existence when we leave here. The spirit will continue to exist as it did before, with the additional advantages derived from having passed through this probation. It is absolutely necessary that we should come to the earth and take upon us tabernacles; because if we did not have tabernacles we could not be like God, or like Jesus Christ. … We are destined to come forth out of the grave as Jesus did, and to obtain immortal bodies as he did—that is, that our tabernacles are to become immortal as his became immortal, that the spirit and the body may be joined together and become one living being, indivisible, inseparable, eternal.

I am looking forward to the time when I shall have passed away from this stage of existence, there I shall be permitted to enjoy more fully every gift and blessing that have contributed to my happiness in this world; everything. I do not believe that there is one thing that was designed or intended to give me joy or make me happy, that I shall be denied here after, provided I continue faithful; otherwise my joy cannot be full. … I refer to the happiness experienced in seeking to do the will of God on earth as it is done in heaven. We expect to have our wives and husbands in eternity. We expect our children will acknowledge us as their fathers and mothers in eternity. I expect this; I look for nothing else. Without it, I could not be happy.

The principles of the gospel which the Lord has revealed in these days will lead us to eternal life. This is what we are after, what we were created for, what the earth was created for. The reason that we are here is that we may overcome every folly and prepare ourselves for eternal life in the future. …

Then let us be faithful and humble; let us live the religion of Christ, put away our follies and sins and the weaknesses of the flesh, and cleave to God and his truth with undivided hearts, and with full determination to fight the good fight of faith and continue steadfast to the end.

I believe that our Savior is the ever-living example to all flesh.… The works he did, we are commanded to do. We are enjoined to follow him, as he followed his Head; that where he is, we may be also; and being with him, may be like him.

The important consideration is not how long we can live but how well we can learn the lesson of life, and discharge our duties and obligations to God and to one another. One of the main purposes of our existence is that we might conform to the image and likeness of him who sojourned in the flesh without blemish—immaculate, pure, and spotless! Christ came not only to atone for the sins of the world, but to set an example before all man and to establish the standard of God’s perfection, of God’s law, and of obedience to the Father.

No doctrine was ever as perfect as that of Jesus. … He has revealed to us the way of salvation, from the beginning, and through all the meanderings of this life to never-ending exaltation and glory in his kingdom, and to a newness of life therein.…

Happy is the man, indeed, who can receive this soul-satisfying testimony, and be at rest, and seek for no other road to peace than by the doctrines of Jesus Christ. His gospel teaches us to love our fellowmen, to do to others as we would have others do to us, to be just, to be merciful, to be forgiving, and to perform every good act calculated to enlarge the soul of man.…

… “Come unto me, all ye that labor and are heavy laden, and I will give you rest,” [Matthew 11:28] is his call to all the sons and daughters of men.

Christ is the great example for all mankind, and I believe that mankind were as much foreordained to become like him, as that he was foreordained to be the Redeemer of man. … We are … in the form of God, physically, and may become like him spiritually, and like him in the possession of knowledge, intelligence, wisdom and power.

The grand object of our coming to this earth is that we may become like Christ, for if we are not like him, we cannot become the sons of God, and be joint heirs with Christ.

Let us follow the Son of God. Make him our exemplar, and our guide. Imitate him. Do his work. Become like unto him, as far as it lies within our powers to become like him that was perfect and without sin.

No other name, under heaven, is given, but that of Jesus Christ, by which you can be saved or exalted in the Kingdom of God.

The man who passes through this probation, and is faithful, being redeemed from sin by the blood of Christ, through the ordinances of the gospel, and attains to exaltation in the kingdom of God, is not less but greater than the angels.

We have entered into the bond of that new and everlasting covenant agreeing that we would obey the commandments of God in all things whatsoever he shall command us. This is an everlasting covenant even unto the end of our days.… We shall never see the day in time nor in eternity, when it will not be obligatory, and when it will not be a pleasure as well as a duty for us, as his children, to obey all the commandments of the Lord throughout the endless ages of eternity. It is upon this principle that we keep in touch with God, and remain in harmony with his purposes. It is only in this way that we can consummate our mission, and obtain our crown and the gift of eternal lives, which is the greatest gift of God. Can you imagine any other way?

There is no salvation but in the way God has pointed out. There is no hope of everlasting life but through obedience to the law that has been affixed by the Father of life, “with whom there is no variableness, neither shadow of turning” [James 1:17]; and there is no other way by which we may obtain that light and exaltation. Those matters are beyond peradventure, beyond all doubt in my mind; I know them to be true.

Every blessing, privilege, glory, or exaltation is obtained only through obedience to the law upon which the same is promised. If we will abide the law, we shall receive the reward; but we can receive it on no other ground.  

Even Christ himself was not perfect at first; he received not a fulness at first, but he received grace for grace, and he continued to receive more and more until he received a fulness [see D&C 93:11–13]. Is not this to be so with the children of men? Is any man perfect? Has any man received a fulness at once? Have we reached a point wherein we may receive the fulness of God, of his glory, and his intelligence? No; and yet, if Jesus, the Son of God, and the Father of the heavens and the earth in which we dwell, received not a fulness at the first, but increased in faith, knowledge, understanding and grace until he received a fulness, is it not possible for all men who are born of women to receive little by little, line upon line, precept upon precept, until they shall receive a fulness, as he has received a fulness, and be exalted with him in the presence of the Father?

I am living for my own salvation now and hereafter; next to my own comes that of my children and their beloved and precious mothers. Nothing that I can do in the world that will secure this glorious end can be called a sacrifice. It is a labor of love, an aim for life eternal and the fulness of joy. “He that hath eternal life is rich.” [D&C 6:7.] Excerpt from Chapter 17: The Great Plan of Life and Salvation, Teachings of Presidents of the Church: Joseph F. Smith, (2011), 146–54