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主の愛のとりこ、七十人ボーン・J・フェザーストーン、リアホナ19920747

神にまみえる備えとして,人生の締めくくりのこの時期に,伝道に出る以上にすばらしい備えがあるでしょうか。

今晩私は,特に熟年期を迎える方々に向けてお話ししたいと思います。皆さんの多くは神と国家に仕え,同胞のために奉仕してきた,強固な精神力と高いモラルを併せ持った年代の方々です。また皆さんは偉大なことを成し遂げてきたにもかかわらず,多くを語らぬ賢明さも持ち合わせています。この年代にある人々を,主は今一度必要とされているのです。

私が申しあげているのは,夫婦の伝道活動についてです。伝道活動が重要であればこそ,救い主の弟子たちに対する最後の教えもまた,伝道についてでした。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。……わたしがあなたがたを選んだの〔は〕……あなたがたが行って実をむすび,その実がいつまでも残るためであ……る。」(ヨハネ151316)

熟年期の夫婦たちから成る主の軍勢が地の隅々までも出て行き,伝道の実を残すことが,今ほど必要とされている時代はありません。豊かな刈り入れが待っているにもかかわらず働き手が足りないのです。アンモンの言葉を思い起こしてください。

「私たちの同胞(はらから)のレーマン人は暗黒の有様に()った。しかも最も暗い淵に沈んでいた。しかし,今は神の驚嘆すべき光を受けている者がいかにも多いではないか。私たちが神の御手に使われてこの大きな事業を()し遂げたのは,本当に神の(たま)うた祝福である。」(アルマ263)

今年何千組もの夫婦の宣教師が伝道に出,続いて年々ますます多くの夫婦が伝道に出るとしたら,どんなにすばらしい業が達成できるか想像してみてください。刈り入れを待つ畑に出て行くこともあれば,育て,世話をし,束を集めることもあるでしょう。穀物の束は「無駄にならぬように倉の中へ納められるから,終りの日に(あらし)に吹き落されること」はありません。(アルマ265-6)

私たちが開拓者と同じ試練を受けることはないでしょう。当時はすべての所有物を捨て,家や家族や友人まで後に残して大平原を渡り,乾燥し荒れ果てた土地に移住するよう召されました。彼らは赤ん坊,子供,そして連れ合いを墓標すらない大平原の浅い墓に葬りました。物質的,肉体的には想像を絶するような悲惨な経験をしたのです。このような貴い人々の犠牲から,今日この地上で最も強力な善の力となっている神の王国,すなわちこの教会が生まれたのです。

現在では家を離れるよう召されても,それは一時的なことです。伝道が終われば,忠実な働きにふさわしい祝福が待っています。皆さんの子供も孫も共に祝福にあずかるでしょう。善を行なう力はシオンから出て行くのです。「良き音ずれをもたらし,平和を()〔く〕……者の足は山の上にいと美しきかな」と聖句にあるとおりなのです。(モーサヤ1221)

改宗者を守り育てることよりも,クリスチャンらしい奉仕があるでしょうか。

夫婦の宣教師たちは人々を育て強め,教え導くために支部に送られます。教会を強め,意気消沈している人々を元気づけ,愛するようになります。フィリピン人やアフリカ人,ノルウェー人,ハイチ人,そしてポリネシア人などを……。

遠い伝道地にあって主に本当に必要とされることがどういう意味を持つのか思い浮かべてみてください。

私の世代の人なら記憶に残っている歌があります。歌詞は多少変えてありますが,共に思い返してみてください。

この夜家を遠く離れ

身を縛る鎖は固く,この身は弱い

鎖なくとも私は愛につながれている

私は主の愛のとりこ

プリズナー・オブ・ラヴ

私は立って待ち望む

私の運命を握るお方の命令を

逃げ出すには遅すぎる

私は主の愛のとりこだから

主の愛を分かち合おうとしないなら

人を愛することに

何の益があるだろう

主の愛を知らない人は多くても

主の愛から逃れられない私には

人は皆兄弟

寝ても覚めても主を夢に見る

ひざまずいて主に近づく私

この命そのものは主のみ手の中

私はただ主の愛のとりこ

プリズナー・オブ・ラヴ

私も主の愛のとりこになっているのです。

ルネ・ド・シャルダンは,「いつの日か,われわれが風や波,潮や引力を治める時が来れば,その時には愛のエネルギーも神のために集結することができるだろう。その時こそ人類は歴史上2度目の火の発見に匹敵する偉業を成し遂げた,と言えるであろう」と語っています。

主を愛するがゆえにこの偉大な業に志願し,召しを受け入れるすばらしい夫婦の皆さんもまた,主の愛のとりこと言えるでしょう。

プロ野球界の哲学者と呼ばれ,その言葉がしばしば引用されてきたヨギ・ベラはこう言っています。「人生の分岐点に差し掛かったら……決断を下すことだ。」皆さんの多くはすでに分岐点に行き着いているかもしれません。

今こそ召しを受け入れ,あるいはみずから志願すべき時なのです。

ある老人ホームでの話です。年配の女性が,隣に座っていた同じ年配の男性に言いました。「あなたの年を当てられるわよ。」

男性は,「当たるものか」と言い返しました。

「当てられるわよ。まず最初にお風呂に入ってひげをそってね。髪をとかしてから清潔なシャツを着てネクタイを締め,靴を磨いて来たら教えてあげるわ。」

男性は1時間ほど姿を消しました。そして再び現われた時にはきちんと清潔にし,髪はとかして,靴はピカピカ,スーツまで着込んでいました。そこで女性は「あそこの壁を背にして立ってごらんなさい。」と言いました。彼は言われたとおりにして言いました。

「さあ,何歳か当ててごらんなさい。」

「あなたは89歳よ。」

「そのとおり。どうしてわかったのかね」と聞く彼に,彼女は,

「きのうあなたが教えてくれたのよ」と答えました。

ひとりの男性を診察した医者が,その妻にこう言いました。「ご主人は診たところあまり芳しくありませんね。」

妻が答えて言いました。「ええ,見栄えはよくないかもしれませんが,子供たちには良い父親なんですよ。」

私たちの中には,いくらかくたびれて見える人もいるでしょうが,きちんと身なりを整えれば,まだ捨てたものではありません。

アラスカ,バルバドス,ハイチ,ナイジェリア,マニラなどの支部で奉仕すれば,多くの祝福が得られるでしょう。教会は愛と奉仕する心に満ちた夫婦の宣教師を必要としています。彼らの主たる責任は,伝道活動の実である改宗者の定着を図ることです。経験を積んだ熟年期にある方たちは,それだけでその務めを果たす資格があるのです。

感謝祭もクリスマスも元日も,伝道中はまったく特別のものとなるでしょう。想像してみてください。大した飾りつけもないクリスマスツリーとクリスマスキャロルに質素なアパート。そして妻とそれまでに増して分かち合う愛。クリスマスの精神が狭いアパートの部屋を神殿のように聖めてくれます。白いバプテスマ用の衣服をかばんに詰め,妻の手を取って礼拝堂まで歩いて行きます。そこにはある家族が,バプテスマの水をくぐって神の王国へ入る時を根気よく待っています。あなたには奇しき星がベツレヘムの空ではなく,謙遜(けんそん)な改宗者の目の中にあるのが見えるはずです。あ.なたと奥さんは見つめ合い,喜びに満ちて言葉もありません。

12カ月,あるいは18カ月は短い期間ですが,思い出は永遠に残ります。神の恵みにあずかった者は,それを分かち合う責任も神より賜っているのです。

使徒パウロはエペソ人にこう書き送っています。「また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って,神に満ちているもののすべてをもって,あなたがたが満たされるように,と祈る。」(エペソ3:19)私たちは神に満ちているもののすべてをもって満たされるのです。

ヤコブの言葉を借りて尋ねましょう。「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても,もし行いがなかったら,なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」(ヤコブ214)

同じ書簡の最後の節で,この使徒は奉仕について教えています。「罪人(つみびと)を迷いの道から引きもどす人は,そのたましいを死から救い出し,かつ,多くの罪をおおうものであることを,知るべきである。」(ヤコブ5:20)

改宗者を育て,助ける者への報いも同じです。ハロルド・B・リー大管長は,自分の身を完全に主の思いにゆだねてこそ,キリストの弟子と呼ばれるふさわしさを得ると教えられました。ほかにもすばらしい約束があります。道を誤った家族のために私たちは心配し,悲しみ,悩みます。そのような人々にとっては,教義と聖約第315節が大きな慰めになるでしょう。

「この(ゆえ)に,(なんじ)の全身全霊を()げて鎌を入るべし。さらば汝の罪は(ゆる)され,汝は背に多くの刈り束をつけ加えられん。そは働く者がその値を得るは相応(ふさわ)しき故なり。これを(もっ)て汝の家族は生きん。」

私たちは人に与えることのできる世代です。家族が祝福に恵まれるように,今一度奉仕をしてはいかがでしょうか。神の約束は「これを以て汝の家族は生きん」とあるように確かです。祝福は道をそれ,さまよう私たちの子供たちにもたらされるのです。たとえ彼らが結婚し,子供がいてもそうです。

私たちの世代は大恐慌,第二次世界大戦,朝鮮戦争,ベトナム戦争をくぐり抜けてきました。そして今や善が悪となり,悪が善とされる時代に生きています。私たちが大切に思っている祈りや神に対してさえも抗議の声が上がっています。麻薬や堕胎,同性愛,そのほかのいかがわしい原理を合法化しようとする動きさえあります。今の世にあって最も頭脳明晰(めいせき)な人々の中にも,誤った考えに欺かれている人々がいます。私たちは親として完壁(かんぺき)ではなかったかもしれませんが,子供を愛し,この教会と祖国を愛し,世界中の人々のために尽くしてきました。私たちの年代では,善良な多くの人々が自由を守るために自らの命を犠牲にしてきました。また,後から来る人々が自分たちよりも良いものを得られるように,多くを犠牲にしてきたのです。今伝道に出ることは,もう一度人のために働く機会になるでしょう。

ジョセフ・F・スミス大管長は,次のように述べています。「真理の業のためにできることをすべてし,人々がもたらした悪事に耐えた後,……私たちはなお耐えていかなければならないのである。私たちはあきらめることはできない。私たちは横たわってはならない。偉大な業は一世代でできるものではない。すべてのことをした後,さらに圧倒されるような反対に耐えて堅く立つことが信仰の勇気である。信仰の勇気は,進歩の勇気である。この神聖な特質を持った人は前進していく。もし望むなら,一カ所にとどまっている必要はない。このような人は,自分の力と自分の知恵だけで働くただの生き物ではない。高い律法と神の目的の器なのである。」(「福音の教義」pp.116-117)

神の聖い目的の裏にはいつも主のみ手があります。私たちも主の目的を遂げる「器」となれるのです。

私たちの多くの人々の余生はあまり長くありません。人生のこの終章にあって,霊的に成熟した知識と理解を受けています。これから迎える歳月を,神のために,宗教のために,妻や子供たちのために重要で偉大な意義のある働きをすることができます。今こそ私たちは新たな旗を掲げるべきです。自由の旗ではなく,愛の旗を掲げるのです。その旗は,私たちが天に召された後も永く残ることでしょう。

神にまみえる備えとして,人生の締めくくりのこの時期に,伝道に出る以上にすばらしい備えがあるでしょうか。

私たちは主の愛のとりこです。愛する兄弟の皆さん,どうぞ私たちの世代で偉大な気高い業が行なえるように力を貸してください。何千人もの人々と共に,主のぶどう園に入って福音を受け入れたばかりの新しい枝に養いを与え,教え,祝福しましょう。主の収穫である改宗者を守り,助けましょう。収穫の束を倉に入れ,世の嵐から守りましょう。そこは(きよ)い場所で,悪の嵐は入り込めないからです。

ある善良な人がこう言いました。「優れた人物かどうかを測る尺度は謙遜(けんそん)さである。謙遜さといっても自分の能力を疑うことではない。真に偉大な人物は,その偉大さは自分の中にあるのではなく,自分を通して来るという特別な認識を持ち,ほかのすべての人々の内に神聖なものを見いだし,限りなく慈悲深い。」

私たちの世代のことを言われているようではありませんか。私たちが人のために何をしなければならないかは,神が教えてくださるでしょう。ですから,旗を高く掲げ,愛と思いやりの心で共に伝道地へ行進して行きましょう。

共に考え,祈ってください。そして準備を始めましょう。私たちは後に続く人々のために偉大な業を行なうことができるのです。きょうお話しした伝道のみ業に就くために,皆さんは今まで強められ,備えられてきたのではないでしょうか。世界中から夫婦の宣教師が続々と集まって,収穫の実がいつまでも残りますように。イエス・キリストのみ名により申しあげます。アーメン。

A Prisoner of Love by Vaughn J. Featherstone, Brethren, I would talk tonight to the generation who are moving into their mature years, many of whom have served God, country, and fellowman—a strong, principled, and committed generation, which did great things but had the wisdom not to talk about them much. There is another need for us now.

The cause to which I speak is of missionary work as couples. It was of such great consequence that the Savior, in his final instructions to his disciples, charges them with it: “Greater love hath no man than this, that a man lay down his life for his friends. … I have chosen you … that ye should go … and that your fruit should remain.” (John 15:13, 16.)

There has never been a greater need than now for an army of mature couples to go out into every far corner of this earth and retain the fruit of the harvest. The harvest is truly great, and the laborers are few. Remember the words of Ammon:

“Our brethren, the Lamanites, were in darkness, yea, even in the darkest abyss, but behold, how many of them are brought to behold the marvelous light of God! And this is the blessing which hath been bestowed upon us, that we have been made instruments in the hands of God to bring about this great work.” (Alma 26:3.)

Imagine what thousands of couples could do this year, followed by hosts more in succeeding years. We could move into the fields of harvest, and we could nurture, care for, and gather them “into the garners, that they are not wasted. Yea, they shall not be beaten down by the storm at the last day.” (Alma 26:5–6.)

I think we will not be tested in the way the pioneers were tested. They were called to leave all worldly possessions, homes, even family and loved ones, to cross the prairies to dry and desolate, forbidding lands. They buried their babies, children, and companions on the Great Plains in shallow, unmarked graves. Physically, they suffered beyond belief, nor can tongue tell the sad, pitiful story. Out of the ashes of sacrifice of so noble a people this kingdom has emerged to become the most powerful force for good on the face of the earth today.

There is a need—not to leave homes forever, but for a time—then return and reap the rich harvest of the faithful labor. Your children and grandchildren will be blessed. The power of good will go out from Zion. “How beautiful upon the mountains are the feet of him that bringeth good tidings; that publisheth peace.” (Mosiah 12:21.)

Can you imagine any more Christlike service than to secure the harvest?

Missionary couples are sent into the branches to minister and nurture. They strengthen the Church, lift up the hands that hang down, and fall in love with the Filipinos, the Africans, the Norwegians, Haitians, and Polynesians.

Imagine what it means to be truly needed by the Lord in a far ministry.

There was a popular song that our generation may remember. Review the slightly adjusted lyrics with me:

Away from home tonight you’ll find me,

Too weak to break the chains that bind me;

I need no shackles to remind me

I’m just a prisoner of love.

For one command I stand and wait now

From one who’s master of my fate now.

I can’t escape for it’s too late now;

I’m just a prisoner of love.

What’s the good of my caring,

Unless I am sharing his love for me;

Although there may be others,

I must be a brother, for I’m not free.

He’s in my dreams, awake or sleeping.

Upon my knees to him I’m creeping,

My very life is in his keeping.

I’m just a prisoner of love.

I am a prisoner of love.

René de Chardin said, “Someday, after we have mastered the winds, the waves, the tides, and gravity, we will harness for God the energies of love: and then, for the second time in the history of the world, man will have discovered fire.”

Wonderful couples who simply love the Lord and will enlist in this great work and accept a call will also be prisoners of love, His love.

Yogi Berra, an oft-quoted baseball philosopher, said; “When you come to a crossroads … take it.” Thousands of you may have reached a crossroads.

Now is the time to accept a call or volunteer for one.

A little old lady at a rest home turned to the old man next to her and said, “I can guess your age.”

“You can’t,” he replied.

“Yes, I can,” she said. “You go take a bath, shave, brush your hair, put on a nice clean shirt and a tie, and shine your shoes, and I’ll tell you.”

The old man was gone for about an hour. When he returned he was neat, clean, hair brushed, shoes polished, and in his suit. She said, “Now you go stand up against the wall.” He did.

He said, “Now, how old am I?” She said, “You’re 89.”

He responded, “That’s right, but how did you know?”

She said, “You told me yesterday.”

After examining a woman’s husband, the doctor said, “I don’t like the looks of your husband.”

“Neither do I,” said the woman, “but he is good to the children.” Some of us may look a little old, but if we get all dressed up we don’t look half bad.

You can imagine what a wonderful blessing it would be to serve in a branch in Alaska, Barbados, Haiti, Nigeria, or Manila. We need couples filled with love and a desire to serve, whose chief responsibility is to bless the harvest so that the fruit will remain. Experience alone from a mature life qualifies us to become nurturers.

Thanksgiving, Christmas, and New Year’s will never be the same again once you have celebrated them while serving a mission. Imagine a small Christmas tree with a few decorations, Christmas carols, a humble apartment, never more in love with your wife—a Christmas spirit that makes that little apartment seem as a sacred temple. You pack your white baptismal clothing and walk, hand in hand, to the chapel, where a little family waits patiently to enter God’s kingdom through the waters of baptism. You see the star of wonder, not hanging over Bethlehem, but in the eyes of the humble, sweet converts. You look at your wife, she looks at you; nothing need or can be said, both of you overcome with joy.

The twelve or eighteen months will seem as a small moment, but the memories will last through the eternities.

Those of us who have partaken of the goodness of God have a divine charge to share.

The Apostle Paul asked the Ephesians “to know the love of Christ, which passeth knowledge, that ye might be filled with all the fulness of God.” (Eph. 3:19.) We should be filled with all the fulness of God.

We ask along with James, “What doth it profit, my brethren, though a man say he hath faith, and have not works? Can faith save him?” (James 2:14.)

And in the last verse of the book of James, the Apostle gives us a key to our service. “Let him know, that he which converteth the sinner from the error of his way shall save a soul from death, and shall hide a multitude of sins.” (James 5:20.) Should the reward be less for the nurturer, the garnerer, the carer?

President Harold B. Lee taught the principle that only as we make ourselves totally available are we worthy disciples of Christ and obtain another promise that reaches beyond us. We worry and ache and pain over family members who have erred. The thirty-first section of the Doctrine and Covenants provides a great key in verse five:

“Therefore, thrust in your sickle with all your soul, and your sins are forgiven you, and you shall be laden with sheaves upon your back, for the laborer is worthy of his hire. Wherefore, your family shall live.” [D&C 31:5]

Ours has been a giving generation. Why not one more time, that our families should live?

We do not know the blessings or condescensions of God. The promise is sure, “Wherefore, your family shall live.” Blessings will come to our wayward or wandering children, even those who are married and have children of their own.

Our generation came through a depression, World War II, Korea, and Vietnam. We live in the season of the world when good has become evil and evil, good. We have heard outcries against the things which we hold precious and dear—prayer and God. We see attempts at legalization of drugs, abortion, homosexuality, and other compromising, drifting philosophies. Some of the brightest in our generation have been swept by giant waves onto treacherous shoals. We may not have been all that we should have been as parents, but we have loved our children, this church, our homelands, and cared for people in all nations. Some of the best blood of our generation has been spilled to preserve freedom. We have sacrificed many things to provide those who would follow better things than we had. This may well be another opportunity to reach our own by serving others.

President Joseph F. Smith said:

“After we have done all we could do for the cause of truth, and withstood the evil that men have brought upon us, … it is still our duty to stand. We cannot give up; we must not lie down. Great causes are not won in a single generation. To stand firm in the face of overwhelming opposition, when you have done all you can, is the courage of faith. The courage of faith is the courage of progress. Men who possess that divine quality go on; they are not permitted to stand still if they would. They are not simply the creatures of their own power and wisdom; they are instrumentalities of a higher law and a divine purpose.” (Gospel Doctrine: Selections from the Sermons and Writings of Joseph F. Smith, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1939, p. 119.)

There is a holy hand behind the divine purposes of God. We can be His “instrumentalities.”

Most of us do not have many years left to live. As we come to the latter years of life, we come to a mature spiritual understanding. We have these next years to do something great, important and significant for God, our religion, our wives, and children. We ought to raise a new title, not a title of liberty, but of love—a banner that will remain long after we are gone.

What better way have we to prepare to meet our God than to serve a mission when the autumn and winter of life is upon us?

We are prisoners of love. Come, my beloved brethren. Let our generation do something great and noble, come join our ranks. Let us march by the thousands out into the vineyards to nurture, teach and bless the tender branches. Let us protect and bless the fruit of the harvest. Let us gather the sheaves into the garners, away from the storm, safe from the whirlwind, a holy place where the storm cannot penetrate.

A good man said: “I believe the test of a great man is humility. I do not mean by humility the doubt in one’s own personal power; but really, truly great men have the curious feeling that greatness is not in them but through them and they see the divine in every other human soul and are endlessly, foolishly, incredibly merciful.”

That sounds like our generation. Who knows but what God will grant for us and ours what we do for others? Come, lift your banner high and march with us into the mission field in the spirit of love and caring.

Ponder and pray together. Begin to prepare. Our generation can do something great for those who follow. Have we been “steeled” for the very purpose about which I have been speaking? Let the ranks of missionaries swell with couples from every broad reach of this earth that the fruit will remain, I pray in the name of Jesus Christ, amen.

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