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人の救い、自分の救い、七十人第一定員会会員F・バートン・ハワード聖徒の道19819月号117

ここ何カ月間か私は各地を歩いてまいりましたが、その間に多くのことを学び、今まで気がつかなかったたくさんのことが理解できるようになりました。私は、神の王国を打ち建てるために働く時に教会員がどのような困難に直面するかをこの目で見てまいりました。莫大な時間とお金を教会のために費やしている人々が大勢いました。

また、子供に心を傾ける両親の気持ちをひしひしと感じました。この不安定な、ともすれば利己主義に陥り易い世の中において、自ら率先して見ず知らずの人々を慰め手厚く保護し、奉仕するといった人たちがそう多くはいないといっことがわかってきました。しかし、中には自分から進んで奉仕の業を実行している人たちも何人かいます。私は、行く先々で相手が教会員であろうとなかろうと自分の同胞(から)を愛し、見守り、そして彼らのために祈る何人かの忠実な聖徒たちに会いました。ここで、たとえを引いて(たとえと呼んでもよいと思います)他の人々に尽くす生き方を身につけている少数の人たちと、特にそうでない人たちについてお話してみたいと思います。

砂漠での物語です。とぼとぼと歩く一団の旅行者がいました。太陽がかんかんと照りつけ、おまけに長い長い道のりでした。彼らには、ただ同じ行く先を目指すという目的のほか互いに何の共通したところもありませんでした。それぞれ、旅に必要な食糧と水を携えて出かけました。しかし、出発して間もなく、ひどい砂嵐に見舞われたのです。空一面黒雲に覆われ、太陽の光は消え失せました。たつ巻で砂は空へと舞い上がワ、たちまちのうちに低地を埋ずめてしまいました。さっきまで快適だった旅が突如として危険なものに変わったのです。旅行者たちは次第に、いつ目的地に着くかということよりも、本当に目的地に着けるかどうかに疑いを持ち始めました。

一度疑えば、あとは混乱か残るだけです。ある人は避難する場所を求め、またある人は戻り始めました。中には嵐の中を先へ進んで行く人もいました。このようにして、その日の終わりには皆十分な食糧や水もないまま散り散りに砂漠の中へと消えていったのでした。翌朝は飢えと渇きと絶望が旅人たちを襲いました。しかも、嵐は勢いを増すばかりです。今や希望の灯は消えました。道標は吹き飛ばされ、天候に恵まれている時でさえ細くてわかりにくい砂漠の道が、砂に埋れて全くわからなくなってしまったのです。どうやって道を探したらよいものか、だれもわかりませんでした。人々はそのっちに、それぞれに勝手な方向を指して自分の道が正しいと主張しました。そして、結局意見がまとまらず、旅行者たちは水や落ち着ける場所を求めて一人一人違った方角に歩き出したのでした。翌日も暮れようとする頃、砂ぼこりで目もろくにあかず疲れ果てた体を引きずりながら、ふたりの旅行者が偶然にも宿屋にたどり着きました。やっと屋根と壁のある場所に落ち着いたふたりは、ほっと安堵の息をつき、幸運を喜び合ったのでした。彼らはそこで食糧を補充し、旅を続ける準備をしました。天候は未だ定まらず風が吹き荒れています。はっきりとしない道がくねくねと曲がりながらはるかかなた、深い砂に覆われた丘まで続いています。そこは、盗賊が出没しては旅人を悩ますことでその名を知られている丘でした。

ふたりの旅人のうちのひとりは、どうしても目的地にたどり着く覚悟でいました。町に大切な仕事が待っているため、彼は食糧と水を補給し、支払いを済ませると、翌朝早く宿屋を出、日暮れまでに丘を越えてしまおうと急ぎ足で旅立ちました。けれども砂嵐で行く手をさえぎられ、やむなく穴を掘ってそこに身を隠しました。やがて日が暮れ、彼は疲れと孤独感でぐったりとしてしまいました。彼が眠りに落ちると、盗賊が彼を見つけ、食糧と水を奪い、彼を見捨てて去って行きました。

もうひとりの旅人も目的地を目指したい気持ちはありましたが、後方にいるほかの旅人たちがどんな目に遭っているかを忘れていませんでした。道に迷い、水も希望もなく砂に埋もれているに違いありません。

この旅入だけが、彼らがどんな場所にいて、どんな状況に置かれ、何を必要としているかを知っているのです。彼も支払いを済ま

せると、朝早く宿屋を発ちました。行く手に希望の待つ丘を一べつすると、踵を返し、戻って行きました。空はわずかながら明る

くなってきました。道標もいくつか見つけることができます。一行が立往生している場所がほぼつかめてきました。彼は一行の人々の名前を知っていましたので、大声で名前を呼びました。そして、何時間もの間捜し回り、多くの人タを見つけ出すことができました。彼は自分の水筒から水を分け与え、安全な道を彼らに教えました。こうして人々は彼に率いられて宿屋に到着し、休息をとり体力を回復しました。食糧を補給し、水筒に水をつめ、目的地への方角を聞いて、再び嵐に向かって旅立ったのでした。

困難な旅が変化したわけではありません。相変わらず強風が吹き荒れ、太陽は深く雲に閉ざされていました。道は曲がりくねり、深い砂で覆われた箇所もあちこちにあり、また丘では盗賊が出没していました。しかし今度は旅人はひとりでなく、大勢でした。

砂で行く手が阻まれると、何人かで協力して砂を除く作業にあたり、力尽きた人には肩を貸し、日が暮れると見張りが立ちました。こうして何日かが過ぎ、ふたり目の旅人と一行は無事に目的地へ着きました。

さて、救助され水を与えられて目的地に着いた一行は、恩人である旅行者を囲んで次のように言いました。「あなたがいらっしゃらなければ私たちはここに来ることができませんでした。私たちを捜し求め、見つけ出して、水やパンを分けて下さったご恩は決して忘れません。あなたが旅を中断して、私たちを捜すために敢て荒れ狂う砂漠に身を投じて下さったことをよく知っています。私たちはどうやってこ恩をお返ししたらよいでしょう。」

すると旅人は答えて言いました。「恩を感じていただくには及びません。私自身の力で宿屋を捜し出したのではありませんから。水にしても、もし皆さんと分かち合わなかったら、私の口に苦いものがあったに違いありません。また皆さんと一緒でなかったら、この町に来ることもとうてい不可能でした。皆さんの励ましと力づけのおかげで旅を続けることができたのです。また皆さんがいたからこそ、盗賊から襲われることもなかったのです。自分の命を守るためにはどうしても皆さんを救わなければならなかったことが、私にもよくわかってきたのです。私たちが目的地に着けるかどうかは、どれほど急いで旅をするかでなく、旅の途中で何をするかにかかっているということが、今の私にはよくわかります。私に恩を感じることはありません。実際には、私が皆さんをここにお連れしたのではなく、私たちがお互いを連れてきたのです。」

私たちについてもこれと同じことが言えます。私たちのだれひとりとして、自力でこの偉大な大会に出席し、話に耳を傾ける状態をもたらした人はいません。私たちの証、今受けているこの上もない祝福の数々、キリストの教会の会員として活動できること、これらすべては、時として私たちの記憶に残っていない人々、名もない人々が、私たちが砂漠で道を見いだそうともがいている時に、時間と忍耐と愛を与えてくれたおかげなのです。彼らは私たちに、あるいは私たちの親に、あるいは私たちの親の親に、生命の水を分けてくれた人々です。私たちが気づいていようといまいと、好んでいようといまいと、また感謝していようといまいと、私たちが現在あるのはほかの人人のおかげなのです。私たちは次のような言葉を口に出すことはできません。いや、決して口に出してはならないのです。「大変な旅でしたが、到着しました。ほかの人も全力を尽くして歩いたらよいのです。今の私には時間がありませんから、道に迷った人たちに水を持って行くことなどできません。砂漠にいる入たちとは何の関係もないことです。」

主は私たちが携わっているみ業を指揮しておられます。主は私たちが故郷(ふるさと)に帰る特権にあずかるための条件を定められました。

時には暗雲が太陽をさえぎり、道が見えなくなることを主は御存じです。主は故郷に帰ることがどれほど困難なことかを御存じのはずです。主は私たちに、道を見失ったほかの人々も一緒に連れて来るように望んではおられないでしょうか。

答えははっきりしています。「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ7:12)主はほかならぬこのことを言われたのです。主は失われた羊や命の水について語られた時、人々に対する私たちの義務を心に描いておられたに違いありません。良きサマリヤ入のたとえ話を現実にあてはめてみるとするならば、それは福音を手にしている人が、福音がないために困っている人に接することにほかなりません。しかし、主はいささかの疑問の余地も残さず、末日聖徒に対してはっきりとした言葉で指示しておられます。教義と聖約にそれが記されています。

「……この福音をいまだ受けざりしすべての人々に及ぼすべきなり。されど、誠にわれ、わが王国を与えられたるすべての者たちに言う。……汝らより彼らに向いて宣べざるべからず。」(教義と聖約8475-76)主は、私たちが目的地に到着できるように、どのような指示を与えておられるでしょうか。再び主は、近代の予言者を通じて次のように明快に述べられました。「さて見よ、われ今汝に告ぐ、すなわち汝にとりて最も価値あることは、汝今の代の人々に悔改めを宣べて人々をわれに導き、以て彼らと共に父の御国に休まんことなり。」(教義と聖約15:6)したがって、主が古えの弟子たちに向かって言われたことを行なおうではありませんか。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34) 

兄弟姉妹の皆さん、私たちが主の弟子であるがゆえにその身に引き受けている義務をより一層理解できますように、へりくだり主イエス・キリストのみ名により、お祈りいたします。アーメン。

In Saving Others We Save Ourselves, F. Burton Howard, Of the First Quorum of the Seventy, April 1981 General Conference

For many months I have been away from the headquarters of the Church. I have learned much and have come to understand better many things I had known before. I have observed firsthand the challenges which confront Church members as they endeavor to build the kingdom. I have seen the time and financial burdens borne by adults. I have sensed the preoccupation of parents for their children.

I have come to know that in this age of anxiety, and sometimes selfishness, there are not many of us willing to forego comforts or hard-earned security in order to concern ourselves with the welfare of others outside of our immediate circle of acquaintance. But some are—and some do. Everywhere I have been, I have met some faithful Saints who love, pray for, and watch over their fellowmen, both in and out of the Church. By means of a parable (I believe I can call it that), I would like to speak to that comparative handful of God’s children who have learned to live for others—and more particularly to those who have not.

In a desert region one day, a number of travelers set out on a trip. It was hot and the journey was long. They had little in common except their shared desire to arrive at a distant city. Each carried provisions and water expecting to replenish their supplies along the way. Not long after leaving their homes, a great storm arose. Dust clouds darkened the sun, and the wind brought swirling sands which quickly filled the low places in the road. What at first had seemed a pleasant outing suddenly became a hazardous undertaking. The travelers soon realized that the question was not merely when they would arrive at the city, but whether they would arrive at all.

Confusion and doubt affected the company. Some sought shelter, while others attempted to turn back. A few moved onward through the storm. The end of the first day found them scattered, with inadequate provisions, wanting water, and lost in the desert. A new day brought hunger, thirst, and despair. The storm still raged. Hope was in short supply. Familiar landmarks were gone. The road, which had been narrow and hard to find, at best, was hidden by silt and debris. No one knew where to go to find it. Many claimed to know the way, but as they could not agree, each traveler wandered in his own way in search of water or the shelter of a settlement.

At the end of yet another day, two of the group, half-blinded by dust and with their strength nearly gone, came unexpectedly, with something more than good fortune, upon an inn and way station. There in the sanctuary of walls and roof, they refreshed themselves and counted their blessings. There they replenished their stores and contemplated the remaining portion of their journey. The weather remained unsettled. The wind continued to blow. The poorly marked road wound ahead through hills where the sand piled deep and where it was said that robbers sometimes preyed upon unsuspecting travelers.

One of the two was anxious to reach his destination. He had important business in the city. He gathered his supplies and water and paid his account. Early in the morning he set out in haste in an attempt to cross the hill country by nightfall. But the windblown sand had blocked the road. He was forced to dig and detour. When night came, he was far from the city, exhausted and alone. When he fell asleep, thieves found him, took his supplies, and left him without strength and without water to face almost certain death.

The second traveler was also desirous of reaching his destination. But he remembered the others in the desert behind him. They were lost and would soon perish without water and without hope. He alone knew where they were. He alone knew their condition and their need. He likewise arose early and paid his account. He glanced at the hills with their promise of the city beyond, and then turned back down the road whence he had come. The sky was a little lighter now. He recognized some of the landmarks. He knew about where he had left his traveling companions. He called out to them by name, for he knew them. After hours of patient searching, he found many of them. He shared with them life-giving water from his own containers. He told them he knew the way. He spoke as if he had authority, so they followed him, and he brought them to the way station with him. There they rested and regained their strength. They were given directions regarding how to reach the city. They renewed their provisions, filled their water containers, and went out again to face the storm.

The journey was still difficult. The wind still blew and clouds obscured the sun. The road still wound through the sometimes deep sand, and thieves were still in the hills. But this time the traveler was not alone. The group was large. When sand blocked the way, work parties were organized to remove it. When some faltered, the strong shouldered the burdens of the weak. When night came, there were watchmen to man the watch. After many days, the second man and his friends arrived safely at their destination.

When they arrived there, those who had been rescued and given water gathered around the second traveler and said, “We could not have come to this place without you. We shall ever be grateful to you for searching for us, for finding us, for sharing your water and your bread. We know that you put aside your own journey and submitted to the hardships of the desert in order to help us when we were lost. What can we do to repay you?”

And the second man replied, “Thank me not, for by no power of my own did I find the way station. The water there would have been bitter had I not shared it with you. I know that I could not have arrived at the city without you. Your strength and encouragement enabled me to continue on. Your presence prevented robbers from attacking. I have come to realize that in order to save my own life, I had to save yours as well. I know now that it is not so much the haste of one’s journey but rather what he does along the way which determines whether he will arrive at his destination. Thank me not,” he said. “In truth, I have not brought you to this place, we have brought one another.”

And so it is. None of us could have arrived at the point where we listen to and enjoy this great conference without others. Our testimonies, our greatest blessings, our membership and activity in Christ’s church—all of these we owe to the often unremembered and always unnumbered hundreds who gave of their time and their patience and their love to us when we were trying to find our way in the desert. They brought living water to us, or to our parents, or to our parents’ parents. Whether we know it or not, whether we like it or not, whether we are grateful or not, we are where we are because of others. We cannot say, indeed we must never say, “It was a difficult journey, but I have arrived. Let others get here as best they can. I don’t have time now to take water to those who are lost. I have no obligation to those in the desert.”

The Lord is the director of the work in which we are engaged. He established the conditions upon which each man and woman will be privileged to return home.

He knows that sometimes clouds block the sun and that the road is hard to find. He must know how difficult it is just to get there. Can He reasonably expect us to try to bring others who are lost with us as well?

The answer is clear. To what else did He refer when He said, “All things whatsoever ye would that men should do to you, do ye even so to them?” (Matt. 7:12.) Surely He had in mind our obligations to others when He spoke of lost sheep and living water. If the parable of the good Samaritan has application anywhere, it must apply to one who, having the gospel, encounters another in need without it. But lest there be any doubt, the Lord has directed plain language to the Latter-day Saints. His words in the Doctrine and Covenants are pointed: “The gospel is unto all who have not received it. But, verily I say unto all those to whom the kingdom has been given—from you it must be preached unto them.” (D&C 84:75–76; italics added.)

What directions has He given to help us arrive at our destination? Once again, He has clearly spoken through a modern prophet: “And now, behold, I say unto you, that the thing which will be of the most worth unto you will be to declare repentance unto this people, that you may bring souls unto me, that you may rest with them in the kingdom of my Father.” (D&C 15:6; italics added.) For, as he spoke to the disciples of old, “As I have loved you, … love one another.” (John 13:34.)

My brothers and sisters, may we better understand the duties associated with our discipleship, I pray humbly in the name of the Lord Jesus Christ, amen.

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