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毎日の会員伝道がもたらす力

 

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毎日の会員伝道がもたらす力殻の引用36ページから

愛を持って話す 

3つ目の例:何年も前に,ハーバードビジネススクールのわたしのクラスの多くの生徒たちは,わたしにはなぜだかわからなかったが,わたしのクラスを心から楽しむことができていませんでした。わたしのコースは毎年生徒たちに人気だったため,それはわたしにとって新しい経験でした。わたしは,不機嫌な生徒たちと個人的に,またグループとして会い,彼らがよく学んでいると感じることができるように,わたしは何を変える必要があるのかを尋ねました。それぞれの生徒たちは,彼らが気に入らない個々の教授法や個々のカリキュラムを指摘しました。結局,わたしはすべてのやり方を変えなければならなくなりました。事態をさらに複雑にしたのは,ほかのほとんどの生徒たちはこのコースにとても満足しているように見えたことでした。 

わたしは,幾人かの経験豊富な教授たちに,わたしの教え方を観察してもらうことにしました。わたしが変えなければならないことを見つけてほしいと思ったのです。ところが,特に大きな改善点は見出せませんでした。わたしは,とてもいらいらしました。生徒たちは,ハーバード大学で学ぶために多額の授業料を支払っています。ですから,わたしはすべての生徒に,どのクラスでも特別に価値ある講義を提供したいと思っていました。

 そんなとき,ミネアポリスへ向かう飛行機でわたしはラコタ インディアン族の年老いた男性と隣り合わせました。彼はとても賢い人でした。わたしの職業を知ると,彼はこう尋ねました。「ハーバードで教えるのは楽しいかい。」 

わたしは,いつもならそうだがこの学期に限っては楽しくしようと努めていると答えました。そして,わたしのコースで起きているあのことを説明しました。わたしの話に忍耐強く耳を傾けた後,彼はこう言いました。「このことが起きている理由は,あなたが愛を持って教えていないからだよ。いつも愛を持って教えなければ。」

 この深淵な意見に,わたしは非常に驚きました。というのも,愛を持って教えるという概念と,ハーバードビジネススクールの事例研究法は,おそらくこれまでいかなる自由連想法の場においても組み合わされたことはなかったからです。しかし,確かにわたしは反対意見を言う人々に対し,主が助言されたように赦しと愛の方法で対応していなかったことに気づきました。

翌日講義を再開したとき,あの男性の賢明な言葉を思い出しました。わたしは事務所でひざまずき,愛をもって教えられるように,そしてわたしの教え方を通して神が生徒らに対して抱いておられる愛を彼らが感じることができるように祈り求めました。数日も経たないうちに,敵意はクラスの中から消え去り,温もりと信頼,幸福が取って代わりました。そして,そのグループの生徒の多くはそのときから今に至るまでわたしと親しい関係にあります。多くの生徒が,クラスに何が起きたのかを尋ねました。わたしは,自分が受けた賢い助言について彼らに話しました。毎日クラスの前に,神の御霊がクラスの中にあるように祈っている,と話しました。生徒の一人のロブは,次の夏に教会に加わりました。教会について知ろうと思うようになった大きなきっかけは,彼がクラスで感じた御霊だったと彼は教えてくれました。

 その日以来,講義の前に教授する際の助けをひざまずいて神に願い求めるという習慣を欠かしたことはありません。次第に,その日に交わる全ての人たちが,わたしの愛と,神が彼らに対して抱いておられる愛を,わたしを通して感じられるようにと祈るようになりました。わたしはこのことを続けようと努力しており,今のところこの努力は成功を収めていると言えることに感謝しています。これまでだれからも,親切にすることや,他の人が愛されていると感じられるよう助けることをやめるように求められたことはありません。わたしが普段の会話の中で,モルモン用語を使おうと努めているので,クラスで受けるこのような情感はこのすばらしい教会と関係があることをだれもが知っています。

あなたの職場の中で,福音の原則を使って対処することのできる課題を見つけてください。ノートを作り,課題と原則を書き留めましょう。
 

科学と学術と宗教
宗教について議論する際に最も偏狭な風潮が見受けられるのは,科学者と学者の中です。わたしの経験では,彼らは,あらゆる人の中で最も公平で偏見のない人物のように自分を装いながら,多くの学者は実際にはとても偏見に満ちていて,真理に対して心を閉ざしています。多くの人々は,次のようなことを信じるように脅されているのです。つまり,わたし達の中の最も博学な人々の中に宗教を過小評価する人がいるため,学問と宗教は相容れない,つまりその二つを同じ会話に持ち込むことができない,と思い込んでいるのです。多くの人々は,科学と学問の研究を並べると,宗教を二番目の継子のように扱います。そのため学者の多くは,公正な会話に宗教の話題を持ち出すとほかの人に軽視されると結論づけるのです。

わたしは,そのような同僚たちを知的な敵対者として捉えるのではなく,わたし達もしばしばそうであるように,サタンにだまされているのだと見るべきだと考えています。このような考え方をすると,常に同じ側にいる人たちのように同僚と交わることができます。

   わたしの考え方はこうです。神は,前世でわたし達にこのようには言いませんでした。「子供たちよ,あなた方はもうすぐ地上に降りてゆくでしょう。よく気をつけなさい。地上では,科学や学問と呼ばれる信条に直面します。あなたたちは,こういった信条をわたしについての真理と比較して,矛盾だらけであることに気付くでしょう。研究すればするほど,わたしに対する信仰を失うことになるのです。ですから,科学と学問にはとても注意しなさい。できる限り,そういったものを学ばないようにしなさい。」神はこうは言っておられないのです。

 偉大な科学者であるヘンリー・アイリングは,この原則について繰り返し教えてきました。真理は,その知識の源が何であろうと,わたし達が神のようになることができるのを助けてくれます。若きヘンリーがアリゾナ大学で工学を学ぶために家を離れる前の晩,父のエド・アイリングは,アイリング家の牛牧場の周りを一緒に散歩しないかとヘンリーを誘いました。父はヘンリーに選択的に学ぶようにとは助言しませんでした。むしろ,こう言ったのです。「この教会では,真理ではないものを信じなくてよい。アリゾナ大学へ行って,学べるものをすべて学びなさい。真理はそれが何であれ,福音の一部なんだ。」

福音の回復により,わたしたちは「科学」か「宗教」かではなく,「真理」か「偽り」かによって,物事を分類することができるようになりました。おかげでわたしは恐れを抱くことがありません。また,ビジネスや学問における問題を解決するために,学問的な概念に頼るのと同じくらい容易に,無意識のうちに宗教の概念に頼ることができます。エド・アイリングは,真理の種類に優先順位はないということを理解できるよう助けてくれました。いかなる意味においても,科学者と学者の探究が,わたしたちが宗教から学ぶ真理よりも勝っているということはありませんし,その逆もまたしかりです。正確に定義するのなら,本質的に矛盾は存在しないのです。もし一方の学問および科学と,他方の宗教が矛盾しているならば,どちらかが間違っているか,不完全なのです。あるいは,両方とも不完全または誤りであることもあるでしょう。しかし,真理が真理に対して矛盾することはありません。わたしたちは,謙遜に真理を探究している限り堅固な土台の上に立っているのです。