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天使長アダム 十二使徒定員会会員マーク・E・ピーターセン、聖徒の道1981年04月、26(写真グーグルからのアダム‐オンダイ‐アマン)

「ミ力エルのラッパは,末の日に復活を告げて鳴り響くことてしょう。そ.して彼は,主の軍勢の長となって戦うのです。」

ある夏の日、私は、ミズーリ州にあるアダム・オンダイ・アーマンの地を訪れました。初めての訪問でしたので,私は,強い期待を抱いて出かけました。

緑の草原となだらかな丘。そこは,人の目に何かを焼きつける美しいながめの所でした。

しかし,その風景以上に私を感動させたのは,その場所の持つ意味です。そこは,まさにアダムとイヴ,そしてその家族が住んでいた場所なのです。そう考えると,その場所の持つ測り知れない価値が,私の上にずっしりとのしかかってくるのでした。

人類は,ここから始まったのです。啓示がそのことを教えています。(モーセ134;教義と聖約10753;8416参照)

アダムとイヴは,神を身近に知っていました。彼らは,神を見,神と話しました。そして初期の時代からイエス・キリストの福音を教えられていたのです。それは,イエス・キリストが地上においでになるずっと以前のことでした。と言うのは,イエス・キリストは前世において世の救い主となるように任命されていたからです。

したがって救いの計画は,まずこれら最初の人間,すなわちアダムとイヴまたその子供たちに天使によって伝えられたのでした。彼らは,それを信じてバプテスマを受け,神に仕えるようになりました。(モーセ5参照)

聖典には,アダムが土地を耕し,家畜の世話をしている時,イヴも「彼と共に働きたり」(モーセ51)と書かれています。

彼らは,知性にあふれた人間であり,ある人々が人間の先祖として主張するような類人猿や原始人とは,まったく異なっていました。アダムとイヴは,主御自身から直接教えを受けた教養のある人々です。その教育とはどのようなものか,想像できるでしょうか。また,彼らを教えられたのは,主御自身なのです。

これについてよく考えて下さい。そして,「神の栄光は英智なり。すなわち,光明と真理なり」〈教義と聖約9336)ということを思い起こして下さい。これらの賜は,まさにアダムとイヴ,およびその家族に与えられたのです。彼らは,最初の人類であったため,だれも教える人がなく,その責任は,主とその使いに残されていたのでした。

アダムとイヴには,たくさんの息子,娘がいました。すべての事柄において主に忠実であったセツやアベル。そして,カインもいました。

アダムとイヴは,神から授かった「清くして汚れ」のない言葉によって,子供たちに読み書きを教えました。(モーセ66参照)

また,彼らは,アダムの言葉で「一部の覚えの書」をつけていましたが,その清くて汚れのない言葉は,聖霊の「みたま」によって,神を呼び求めるすべての人々に与えられました。(モーセ65-6参照)

「かくの如くして,福音は最初より説き始められて,神の御前より遣わされし聖き天使たちにより,神自らの声により,また聖霊の賜によりて宣べられたり。」(モーセ558)

「この時よりアダムの息子娘たちは二人ずつ地に分れて土地を耕し,羊の群を飼い始め,彼らもまた息子娘たちを生みたり。」(モーセ513)

サタンが足を踏み入れる時まで,そこは,栄光に満ちた所でした。しかし悪魔は,神の教えにいどんでアダムの子供たちにこのように言ったのです。「信ずるなかれ。」この時から,家族の中には,神よりもサタンを愛する者が出てきたのです。(モーセ513参照)そして,真理から遠ざかっていきました。

それらの人々は,神のみたまを失い,その結果,肉体,肉欲,悪魔に従う者になったのです。(モーセ513参照)悪の帰するところは,常に退化です。こうしてみると,時の初めに原始人がいたとしても,何ら不思議ではありません。

そのような人々の中に,カインがいました。彼は,ルシフェルと恐るべき誓約を交わし,他の人々をもいざなったのでした。「而してアダムとその妻は,カインとその兄弟らの故に主の御前に悲しめり。」(モーセ527)

カインは,義人のアベルを憎み,その羊を何とか自分のものにしたいと思っていました。そして,それにつけこんだサタンは,彼に,アベルを殺してその持ち物を奪い,羊を自分のものにするようにけしかけたのでした。

こうして,初めて殺人が行なわれました。カインは,主に叱責され,自らの悲惨な罪ののろいを受けてアダム・オンダイ・アーマンの地を去り,ノドと呼ばれる所に住んだのでした。(モーセ541)

イエス・キリストの教会は,アダムの時代に既に確立していました。(Teachings of the Prophet Joseph Smith「予言者ジョセフ・スミスの教え」pp.157169参照)そしてセツ,イノスといった人々が,教会の初期の祝福師となるに至り,彼らから神権指導者の長い系統ができあがっていったのです。

当時大管長会の鍵を握っていたのはアダムであり,彼は,権能から言えば救い主のすぐ下に位置していました。(「予言者ジョセフ・スミスの教え」p.168参照)アダムは,万物の創造の時にこの鍵を受けたのです。予言者ジョセフ・スミスは,これについて,さらにこのように述べています。「イエス・キリストは,偉大な大祭司であり,アダムはそれに続く者である。」(「教え」pp.15758)

この地上において人類の始祖となる特権を得たアダムとは,一体どのような人物だったのでしょうか。前世において,彼は何か特別な存在だったのでしょうか。

確かに,アダムは特別で重要な人物でした。現世に来る前,彼はミカエルと言われていました。予言者ジョセフ・スミスは,明らかにアダムとミカエルを同一人物と見なしており,さらに天使の(かしら),すなわち天使長であって神とイエス・キリストの特別な僕であると言っています。

ミカエルは,現世に来ると,最初の人アダムとして知られるようになりましたが,彼自身は以前とまったく同じ人物でした。アダムという別名を与えられただけで,ミカエルに変わりはありません。

さて,アダムは,現世で死を遂げた後,天においてミカエルという以前の名前を持って天使の頭,あるいは天使長として仕えるために,再び天使になりました。

天使長であるアダム,またはミカエルには,将来,福千年の前と後に,大きな役割を果たす使命があります。これは,驚くべきことですが,聖典にはっきりと記されています。

まず,ひとつの重要な役割は,死者の復活を告げてラッパを吹くことです。聖典には,このように書かれています。「されど見よ,われ誠に汝らに告ぐ,この世の過ぎ行く前,わが天使長ミカエルはその持てるラッパを吹き鳴らすべし。それより,すべて死にたる者は眼を覚し,墓の開かるるが故に正に皆ことごとく出で来らん。」(教義と聖約2926)

アダムすなわちミカエルのこの召しは,何と栄えあるものでしょうか。しかし,このような役割を果たす時でさえ,彼は天使であるということに注目して下さい。確かに天使の長ではありますが,彼が天使であることには変わりはありません。

教義と聖約107章は,今から百数十年前の1835328日に書かれたものですが,その時でさえ彼はまだ天使として表わされ,「ミカエル,王の君,また天使の長」(教義と聖約10754)と言われています。

さて,福千年の間,悪魔は縛られますが,その後しばらく自由にされます。この間に,悪魔は軍勢を寄せ集めて神に最後の戦いをいどむのです。

この時,主の軍勢を指揮するのはだれでしょうか。天使長の位にあるミカエル自身のほかに主の軍勢の長となる資格のある者がいるでしょうか。彼こそは,天使の頭なのです。したがって,彼が指揮をとってルシフェルと戦うのは当然のことではないでしょうか。

さらに,アダムは,地上の事柄に関して主のみ業を助けるために続けて仕えます。彼の最終的な昇栄は,もちろん完全に保障されていますが,それでも,ここでの仕事をすべて終えなければそれは得られません。

次に,7人の天使たちが,救い主の再臨に先立って起きる出来事を知らせるためにラッパを吹き鳴らしますが,ミカエルは,その7番目の天使です。

聖典では,彼についてこのように述べています。「また第七の天使,すなわち天使の長ミカエルは……。」さて,ここでも主は彼を天使としてはっきり区別していることに注意して下さい。それが彼の役目だからです。この聖句をもう一度読んでみましょう。

「また第七の天使,すなわち天使の長ミカエルは,彼の軍勢すなわち天軍を寄せ集めん。……それより大いなる神の戦起り,悪魔とその軍勢とは皆その居るべき所に投げ込まれ」(教義と聖約88112114)

ここまで述べれば,アダムまたはミカエルがどのような人物かということについて,誤解をする人はいないでしょう。彼は,福千年の千年という期間が終わった後も,天使すなわち天使長として,復活したひとりの人物としてとどまらなければなりません。

1842年,予言者ジョセフ・スミスは,彼を訪れたミカエル,またはアダムについて述べていますが,その時でさえ,彼を天使,または天使長と呼んでいます。そして,このよっに言っています。「天使長ミカエルの声,……およびミカエルすなわちアダムより現在に至るまでの天使らは,……」(教義と聖約12821)このように,ジョセフ・スミスは,ミカエルを他の天使たちと同じように見ているのです。

したがって,1842年にまだ天使であったミカエルまたはアダムは,この地球の最後の時まで,その状態でいるわけです。

アダムは,私たちの神でもなければ救い主でもありません。しかし,彼は,天使という役目を持って,この御二方の忠実な僕として働いているのです。

では,アダムと救い主および神とはどのような関係があるのでしょうか。

イエス・キリストは,神の聖なる御子であり,霊においては天父の長子,肉においてはその独り子です。

イスラエルの聖者とは,イエス・キリストのことであり,アダムでもほかのだれでもありません。私たちは皆,天父の霊の子供ですが,イエス・キリストは,時の初めから天父の肉における独り子であられました。それは,アダムでも他のだれでもありませんでした。(モーセ59参照)このことは,主御自身が証しておられます。

アダムに福音が授けられた日,聖霊が彼に下り,当時エホバと呼ばれていたイエス・キリストのみ声が聖霊の力によってもたらされました。「われは太初より,……父の生みたまえる独子なり。」(モーセ59)

これで,イエス・キリストは,アダムやその他の人々とはまったく異なることがおわかりになるでしょう。イエス・キリストは,まさに,世の初めから天父の生みたまえる独り子であられたのです。

これほど明確に聖典に記されている教義を,確固たる信仰を持って受け入れない理由があるでしょうか。

イエス・キリストこそ私たちの主であり,ただひとりの救い主であられます。

使徒パウロは,ヘブル人に宛てた手紙の中で興味深い言葉を残しています。彼は,救い主について書いているのですが,救い主を天父の姿を象徴する御方として宣言しています。そして,このように尋ねています。「いったい,神は御使たちのだれに対して,『あなたこそは,わたしの子。きょう,わたしはあなたを生んだ』と……言われたことがあるか。」(ヘブル15)と。答えは,簡明です。ひとりの天使もそのように言われたことはありません。天使の頭であるアダム,すなわちミカエルでさえ例外ではありません。

ナザレのイエスこそが天父の生みたもった独り子なのです。

この箇所では,パウロ信,救い主イエス・キリストについてだけ話しています。次の節でも,同じくイエスのことを述べていますが,その貧しいナザレ人を神の長子と呼んで,「神の御使たちはことごとく,彼を拝すべきである」と述べています。そして,事実天使たちは,そのようにしたのです。その中にはアダムもおり,彼は,神のひとり子である救い主イエス・キリストを敬い,常にその助け手となりました。

使徒ヨハネの書いた有名な言葉のひとつに,次のようなものがあります。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」(ヨハネ316)

私たちのために神から遣わされ,十字架におかかりになった御方とは一体どなたでしょうか。カルバリの丘で,贈いのみ業を果たされたのはどなたでしょうか。ナザレのイエスにほかなりません。イエス・キリストは,神の肉における独り子であられます。アダムは,全人類の始祖という意味においてのみ,救い主の先祖であるということにすぎないのです。

神は,肉体を持つ者としては,ただひとりの御子しかお生みになりませんでした。しかし,アダムは,カインやアベル,セツなどを含め多くの子供をもうけたのです。彼はおよそ千年もの間生きていたのですから,その間に何百人という子供を持つことができたはずです。

このことから考えて,アダムが「独り子」を持っていたと言えるでしょうか。もしそうであれば,他の子供たちはどうなるのでしょう。彼らは皆,肉体を持つアダムの子供ではないでしょうか。

カインやアベル,セツそして他の兄弟たちは,すべて孤児であったと言うのでしょうか。父親なくして生まれた子供がいまだかつているでしょうか。アダムは,確かに彼らの父親であり,多くの子供をもうけたのです。アダムには,肉体においてただひとりの子供を持つという資格はまったくないのです。

しかし,永遠の父なる神は,肉体におけるただひとりの御子を持っておられました。それは,イエス・キリストです。

では,アダムは神であり神がアダムになったと言えるでしょうか。とんでもないことです。

アダムは,神でも,神の独り子でもありません。彼は,私たちと同じように,神の霊の子供のひと1)なのです。(使徒1729参照)イエス・キリストは,霊においては長子であり,肉においては神の独り子であられます。

神は,御自身でイエス・キリストを,長子また独り子と繰り返し呼んでおられます。だとすれば,アダムはだれなのでしょう。アダムは,神とイエス・キりストにより人類の始祖となるよう任命された天使長ミカエルにほかなりません。1980年現在においても,彼は天使長の座につき,末の日に復活を告げてラッパを吹き鳴らすのを待っているのです。そして,彼は,ルシフェルとの最後の戦いで,主の軍勢の先頭に立って戦うのです。

アダムは,予言者ダニエルの語る「日の老いたる者」その人であり,彼の名前を取ってつけられたアダム・オンダイ・アーマンの谷のまさにその同じ場所で,忠実な人人にその姿を現わすことでしょう。(ダニエル79-22;教義と聖約116参照)

この神権時代の幕が閉じる時,アダムはそこで,自らの管理の職を,救い主,主エホバであるイエス・キリストに手渡します。そして,次に主イエスが,御自身の働きについて永遠の父なる神に報告をするのです。(「教え」pp.122157167-68237参照)

皆さんの中で,偽りの教師に惑わされたり誤った教義を主張する人々に攻撃されたりしている人があれば,どうか,神権指導者に相談して下さい。神権指導者は,皆さんを迷路にはまらせることなく,真理と救いの道に導いてくれることでしょう。私は今へりくだり,この末日聖徒イエス・キリスト教会が真実の教会であり,神の王国であることを証申し上げます。イエスはキリストです。また,スペンサー・W・キンボールは主の予言者です。そして私たちは,正式に神から任命された真理の管理者です。このことを,すべて,イエス・キリストのみ名により証します,アーメン。

Adam, the Archangel,Mark E. Petersen, October 1980 General Conference (Pictures above of Adam-Ondi Ahman from Google)

On a warm summer day I visited the land of Adam-ondi-Ahman in the state of Missouri. I had looked forward to this visit with keen anticipation, for I had never been there before.

The place was beautiful: The fields were green, the hills were rolling, the entire landscape was something to remember.

But more impressive than the landscape was the significance of the place, for here Adam lived—and Eve—and their family. The stupendous importance of it all weighed heavily upon me.

Here is where the human race began. This we are told by revelation. (See Moses 1:34D&C 107:53D&C 84:16.)

Adam and Eve knew God personally. They saw him and talked with him. They were taught the gospel of Jesus Christ even in that early time—which was long before the Lord’s earthly ministry, for Jesus had been appointed to be the Savior during our premortal existence.

The plan of salvation, therefore, was instituted among these first human beings, Adam and Eve and their children. Angels taught them. The family believed. They were baptized and began to serve God. (See Moses 5.)

The scriptures say that as Adam tilled the ground and cared for the cattle and the sheep, Eve “did labor with him” (Moses 5:1).

They were highly intelligent people, not at all like either the hominids or the cavemen some claim the first humans to have been. They were well educated, having been taught by the Lord himself. What an education! What an instructor!

Think of it, and remember that “the glory of God is intelligence, or in other words, light and truth” (D&C 93:36). These gifts were imparted to Adam and Eve and their family. No one else could teach them, because they were the first human beings. That task was left to the Lord and his angels.

Adam and Eve had many sons and daughters. Among them were Seth and Abel, faithful to the Lord in all their ways. And then there was Cain!

They taught their children to read and write, “having a language which was pure and undefiled,” given them by God (see Moses 6:6).

“And a book of remembrance was kept” among them, recorded in the language of Adam, and all who called upon God were allowed to write in this pure and undefiled tongue, by the spirit of inspiration (see Moses 6:5–6).

“And thus the Gospel began to be preached, from the beginning, being declared by holy angels sent forth from the presence of God, and by his own voice, and by the gift of the Holy Ghost” (Moses 5:58).

“And from that time forth, the sons and daughters of Adam began to divide two and two in the land, and to till the land, and to tend flocks, and they also begat sons and daughters” (Moses 5:3).

It was a glorious period—until Satan came among them. That evil person defied the teachings of God and said to the children of Adam, “Believe it not,” and from that time some of the family loved Satan more than God (see Moses 5:13). They apostatized from the truth.

These dissenters lost the Spirit of God and as a result became carnal, sensual, and devilish (see Moses 5:13). With these evil attributes always comes retrogression. We should not be surprised, therefore, to hear of cavemen living in the dawn of time.

One of these dissenters was Cain. He made a dreadful covenant with Lucifer and persuaded others to follow him. “Adam and his wife mourned before the Lord, because of Cain and his brethren” (Moses 5:27).

Cain hated righteous Abel and coveted his flocks. He was encouraged by Satan, who told him he could obtain Abel’s sheep if he would kill his brother and thus seize possession.

The first murder resulted. Rebuked by the Lord and cursed because of his tragic sin, Cain left Adam-ondi-Ahman and went to live in a place called Nod.

The Church of Jesus Christ was well established in the time of Adam (see Joseph SmithTeachings of the Prophet Joseph Smith,comp. Joseph Fielding Smith, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1938, pp. 157, 169). Men like Seth and Enos grew to become the early patriarchs of the Church, and through them a long line of priesthood leaders was established.

Adam held the keys of the First Presidency and stood directly after the Savior in authority (see Teachings, p. 168). He received those keys in the Creation, according to the Prophet Joseph Smith, who added, “Christ is the Great High Priest; Adam next” (Teachings, pp. 157–58).

Who was Adam that he was privileged to begin the human race here on earth? Had he been some very special personage in the premortal world?

Indeed, Adam was very special and very important. Before coming into mortality, he was known as Michael. The Prophet Joseph Smith clearly identifies both Adam and Michael as one and the same person, an angel, the chief angel, or archangel, of heaven, the special servant of God and Christ.

When Michael came into mortality he was known as Adam, the first man, but he was still his own self. Although he was given another name, that of Adam, he did not change his identity.

After his mortal death he resumed his position as an angel in the heavens, once again serving as the chief angel, or archangel, and took again his former name of Michael.

In his capacity as archangel, Adam, or Michael, will yet perform a mighty mission in the coming years, both before and after the Millennium. This is startling, but the scriptures declare it.

One important assignment that awaits him is to be the angel to sound the trumpet heralding the resurrection of the dead. The scripture reads, “Behold, verily I say unto you, before the earth shall pass away, Michael, mine archangel, shall sound his trump, and then shall all the dead awake, for their graves shall be opened, and they shall come forth” (D&C 29:26).

What a marvelous calling for Adam, or Michael. But note that even in this assignment, which is yet future, he still will be an angel—the archangel, but an angel nevertheless.

Section 107 of the Doctrine and Covenants, dated March 28, 1835, identifies him as an angel as of that date—little more than a hundred years ago—and calls him “Michael, the prince, the archangel” (D&C 107:54).

During the Millennium the devil will be bound, but afterward will be freed for a short time, during which he will rally his evil forces to make one final assault upon God.

Who will lead the defending armies of the Lord? None other than Michael himself, whose position as archangel qualifies him to be the captain of the Lord’s host. Is he not the chief of the angels? Then should he not lead them into battle against Lucifer?

As the archangel he continues to serve the interests of the Lord with respect to this earth. His ultimate exaltation, of course, is fully assured, but it must await the completion of his work here.

Seven angels are to sound trumpets to announce a series of events to precede the second coming of the Savior. Michael will be the seventh of those angels.

Says the scripture:

“And Michael, the seventh angel, even the archangel”—and please note here how the Lord still identifies him strictly as an angel, for that is his status—and now I repeat this scripture:

“And Michael, the seventh angel, even the archangel, shall gather together his armies, even the hosts of heaven. … And then cometh the battle of the great God; and the devil and his armies shall be cast away into their own place.” (D&C 88:112, 114; emphasis added.)

Then can anyone honestly mistake the identity of Adam, or Michael? Even after the thousand years of the Millennium are over he will still retain his status as an angel—the archangel—and a resurrected man.

In the year 1842 the Prophet Joseph Smith spoke of Michael, or Adam, who visited him. Joseph identified him as an angel even then—the archangel—and said, “The voice of Michael, the archangel; … and of diverse [other] angels, from Michael or Adam down to the present time” (D&C 128:21). He thus listed Michael, or Adam, with the other angels.

So, in 1842 Michael, or Adam, was still an angel and will continue to be so through the final winding up scene of this earth.

Adam was not our God, nor was he our Savior. But he was the humble servant of both in his status as an angel.

Then what is his relationship to the Savior and to God our Father?

Jesus Christ is the divine Son of God, the first born to our Heavenly Father in the spirit and the Only Begotten in the flesh.

Jesus is the Holy One of Israel, not Adam, not anyone else. Although we are all spirit children of the Father, Jesus is the Only Begotten of the Father, in mortality, even from the beginning, not Adam, not anyone else (see Moses 5:9). This the Lord himself says.

In the day that the gospel was given to Adam, the Holy Ghost fell upon him, and the divine voice of Jesus Christ—the Jehovah of that time—said to him by the power of the Holy Ghost: “I am the Only Begotten of the Father from the Beginning” (Moses 5:9).

Then, can anyone claim that distinction for Adam, or for anyone else? Of course not! Jesus Christ is the Only Begotten of the Father, even from the very beginning.

Shall we not in full faith accept this doctrine, which is so clearly set forth in scripture?

Christ is the Lord! He alone is our Savior!

The Apostle Paul has an interesting passage in his epistle to the Hebrews. He spoke of the Savior and declared him to be in the express image of his Father’s person. Then he asked this question: “Unto which of the angels said he [God] at any time, Thou art my Son, this day have I begotten thee?” (Heb. 1:5; emphasis added). And of course the answer is immediate and obvious—none of them—none of the angels, not even Adam, or Michael, the chief of the angels.

Jesus of Nazareth was the Only Begotten of the Father.

In this passage Paul was speaking only of Jesus the Christ. In the very next verse, as he continued to speak of Jesus, Paul called the lowly Nazarene the first begotten and declared, “Let all the angels … worship him,” and this they did—including Adam, who adores the Only Begotten of God, the Savior Jesus Christ, and is always subservient to him.

When the Apostle John wrote one of his most familiar passages he said, “For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life” (John 3:16; emphasis added).

And who was thus given of the Father to be crucified? Who wrought out the atonement on Calvary? Jesus of Nazareth! He was the Only Begotten of God. He alone was the Sacrificial Lamb slain from the beginning of the world. Adam was the Savior’s progenitor only in the same sense in which he is the ancestor of us all.

God had only one begotten son in the flesh. But Adam had many, including Cain and Abel and Seth. He lived nearly a thousand years. He could have had hundreds of children in that time.

Then how could it be said by anyone that he had “an only begotten” son? How could all of his other children be accounted for? Were they not all begotten in the flesh?

Were Cain and Abel and Seth and their brothers and sisters all orphans? Was any child ever begotten without a father? Adam was their father, and he had many sons. In no way whatever does he qualify as a father who had only one son in the flesh.

Yet God our Eternal Father had only one son in the flesh, who was Jesus Christ.

Then was Adam our God, or did God become Adam? Ridiculous!

Adam was neither God nor the Only Begotten Son of God. He was a child of God in the spirit as we all are (see Acts 17:29). Jesus was the firstborn in the spirit, and the only one born to God in the flesh.

The Almighty himself repeatedly called Jesus both his firstborn and his Only Begotten.

Then who is Adam? He is Michael the archangel, appointed by God and Christ to be the mortal progenitor of the race. At this very moment, in the year 1980, he is still in his position as the archangel whose trumpet in the final days will herald the resurrection and who will be the captain of the Lord’s hosts in the final defeat of Lucifer.

He is the “Ancient of Days” spoken of by Daniel the prophet and as such will meet the faithful in that same valley of Adam-ondi-Ahman, which is named after him (see Dan. 7:9–22D&C 116).

At the close of this dispensation he will there deliver up his stewardship to Christ, his Master and his Savior, the Lord Jehovah, who in turn will give his accounting to the Heavenly and Eternal Father of us all (see Teachings, pp. 122, 157, 167–68, 237).

If any of you have been confused by false teachers who come among us, if you have been assailed by advocates of erroneous doctrines, counsel with your priesthood leaders. They will not lead you astray, but will direct you into paths of truth and salvation.

I bear you my solemn testimony that this—The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints—is indeed the church and kingdom of God. Jesus is the Christ. Spencer W. Kimball is his prophet. We are the legal and divinely chosen custodians of the restored truth. This I testify in the name of Jesus Christ, amen.