モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

 

 

真理を擁護する

Defending the Truth

 

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難しい質問と信仰の維持
マイケル・R・アッシュ  

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第4

難しい問題に対処する

また、すべてが信仰を持っているわけではないので、あなたがたは知恵の言葉を熱心に求め、互いに教え合いなさい。まことに、最良の書物から知恵の言葉を探し求め、研究によって、また信仰によって学問を求めなさい。41

ジェームズ・ファウスト長老はこう記した。「私たちは、2つの源から知識を得る。
一つは宗教的なもので、もう一つはこの世的なものである。レックス・E・リーはそれを『理性的な過程と理性を超えた過程』と呼んだ。」42
理性的で、争いを好まない議論なら、御霊による証に思いや心を開くことができる。ウィリアム・クレイトン・キンボールは、末日聖徒ではないが、キリスト教の弁護者として有名なC・S・ルイスを引用し、こう述べた。

もし我々が自分の立場を守る備えができていないなら、もし「知識人」が信仰を擁護しないなら、教育のない人は裏切られ、悪人の攻撃にさらされる。
「仮に他に存在する理由がないにしても、良い哲学はなくてはならない。悪い哲学に答える必要があるからだ。」このように、ある人には知識人として生きることが使命である。その知識を使って、神への捧げものにすることもできるし、兄弟たちに仕えることもできる。
43

またC・S・ルイスの記述について、オースティン・ファラーはかつてこう宣言した。

議論が確信を生み出さないにしても、議論の欠如は信仰を壊す。議論によって証明されたと思えることであっても、受け入れられないかもしれない。しかし、誰も擁護できない事は、すぐに捨てられる。理性的な議論によって信仰が生まれるものではないが、それによって信仰が育まれる環境を保つことはできる。44

末日聖徒の学者ジョン・ウェルチはこう記している。「証拠は、知識を明瞭に表現したり、誤りと偽説に対して防御するのに役立つ。」学者は、証拠を『明瞭にさせる者として』重要な役割を果たすことができる。そして、『従順さと奉献』が伴うと、強固な学術的研究が『王国を保護して、確立するために』役に立つ。」45同様に、B・H・ロバーツはこう述べた。「知られるためには、真理は述べられなければならない。より明確に完全に述べることができれば、聖霊もより良く御業は真実である、と人の心に証することができるであろう。」46最後に、ニール・マクスウェル長老はこう宣言した。「教会」は「敵や偽の学者に負ける」ことはないだろう。*47そして、批評家の「一方的なダンクシュート」を許さないだろう。*48「はっきり言って、我々が王国を擁護する発言が、聞く者すべてを感動させないかもしれないが、思慮深いそういった発言がなければ、信者の信仰が弱まってしまうかもしれない。我々が確信を持って述べることは、受け入れられないかもしれない。しかし、述べられない確信は、すぐに弱まってしまうことだろう。」*49

末日聖徒の学者ハイラム・M・スミスとヤンネ・M・シェダールはこう記した。「よこしまな人々の攻撃を無視することが賢明な時がある。また別の時は、恐れずに、力をもって、立ち向かうことが必要だ。」*50二人の預言者の副管長だったチャールズ・ペンローズはこう述べた。「聖徒が自分たちに対して何と言われているか知り、誰かが真実を示すことは必要だ。教会について間違ったことが伝えられるときには、反論すべきだ。」*51 191010月に、総大会説教でアンソニー・W・アイビンス長老はこう述べた。

末日聖徒イエス・キリスト教会が誤った報道に対して注意を払うことは頻繁にはない。
しかし、教義が嘲笑されるときや、ゆがんだ教義が伝えられるとき、軽蔑の意図をもって話されるときや、これらが出版され、世界に放送され、人々が伝えられた偽りの教義を受け入れるようなら、誤りを正し、末日聖徒の信仰に関して人々が誤った結論に達した根本を明らかにすることが必要となるときがある。
*52

批評家を論破する末日聖徒は誰か?ピアソン兄弟はこう記している。「適切な答えはいずれ、末日聖徒の学者が出すであろうが、彼らはいつも本職に追われ、なかなか時間を見出せないでいる。」*53

擁護(Apologetics):この言葉の意味は、「人の地位または信仰を守ること」である。そして、ギリシア語のapologetikosに由来し、「謝罪(apology)」の語源でもある。擁護に係わる人々は、彼らが信じているものについて謝罪するのではなく、むしろ信じているものを擁護する人々である。他のキリスト教宗派の多くはキリスト教の信条を守る擁護に係わってきた。そして、末日聖徒の一部も同様にモルモンを攻撃する人々から守ることに従事している。良い擁護者は理にかなった論証を形成し、特定の信条がもっともであり、守るべきものであることを示す。(この世的な手法で、霊的なものを「証明」することはできない。)末日聖徒の擁護者はしばしば、批評家に訴えられたとき、B・H・ロバーツ長老と似たようなアプローチを採る。「私は、どのような方法でも訴えを退けるつもりはない。私はしっかりと組み合うつもりで、彼らに会う。」*54

末日聖徒のほとんどは擁護論に精通しておらず、まして擁護論に従事している者は少ないのに、一般の教会員はどこで難しい質問に対する答えを見つけたらよいのだろうか。

1.「みたま」に真理を教えさせる

祈り。聖典の研究。霊的な経験を、求め、思い出す。そして聖霊が、強さと霊感の、変わらぬ源になるような生活をする。そのようにして、キリストの神性と、ジョセフ・スミスの預言者としての使命、およびモルモン書の力に対しての強い霊的な証を得られれば、難しい質問は答えが見つかるまで棚上げすることができる。確固とした福音への証があれば、確固とした信仰の土台ができあがる。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。*55

世にある知識は増え続けている。昨日は真実だったのに、明日には誤りになる事実もある。我々が「肉の腕」を頼るなら、物事が非常に頻繁に変わることを思い知らされるだろう。たとえば、19世紀のある聖徒が、当時の批評家による、「アルマ」は「明らか」に女性の名前であるのに、モルモン書では男性の名前として使われている、という主張を受け入れ、教会を離れたとしよう。その聖徒は、20世紀の研究の結果、「アルマ」は確かに古代のセム族の男性名であったことが確認できたのにかかわらず、当時の批評家の主張を受け入れたため、永遠の恵みを失ったかもしれないのである。*56

この世的な証拠は、その時代には説得力があるが、次の時代には説得力がないことが時々ある。霊的な証を持つことによって、流れが我々に反するような風潮を乗り切ることができる。また、霊的な真理の中には現在の科学とは相容れないようなものもあることを覚えておく必要がある。水の上を歩き、死者を蘇らすイエスの能力は科学の法則に反する。それらは信仰によって受け入れられなければならない。

.聖典と預言者に対する原理主義的アプローチを避ける

聖典の目的は人々が福音を理解するように助け、「みたま」のささやきに彼らの心を開くことである。末日聖徒の擁護者ロス・バーロンがかつてこう言った。「教会は、聖書に基づいていない。教会は、聖書が基づくもの、つまり預言者を通して与えられる啓示に基づいている。」*57聖典は目的への手段であり、救いの源ではない。伝統的な言葉の意味での「歴史」でなく、むしろ神がどのように人々とかかわってきたかの記録である。科学的な記録でもないし、全ての質問に対して答えているというわけでもない。(全ての質問に対して答えているなら、絶えざる啓示は必要がないだろう。)預言者モルモンによると、聖典には時折、間違いがある。言い換えると、完璧ではない。そのように、過去も現在も預言者は、神に指示され、霊感を受けた指導者であるが、完璧ではない。ロレンゾ・スノー大管長は、ジョセフ・スミスが神の預言者であったという確固たる証を持っていたが、このようにも言っている。

「私はジョセフ・スミスに欠点を見た。私は欠点を持つ人に、神が力と権威を与えられることを感謝した。というのも、私自身が弱点を持つことを知っているからだ。そして、私のように欠点がある者でも仕えることが許されていることを知った。私は彼に欠点を見たことを神に感謝した。」*58

預言者と教会幹部もまた、あなたや私のように、彼ら独自の意見を持つ権利がある。
教会の承認を得ているモルモン百科事典にこう記されている。

聖典で明らかにされていない事柄で、教会が公式な声明を発表していないものは多くある。そのような事柄に関しては、教会員の間でも指導者の間でも意見の違いがあることは珍しくない。これらの事柄に対しては、啓示によって真理が知らされるまで、様々な異なる理解や解釈が存在し続けることであろう。*59