モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

 

 

真理を擁護する

Defending the Truth

 

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難しい質問と信仰の維持
マイケル・R・アッシュ 著
 
長老定員会のレッスンの準備をしている時、過去の総大会で引用された文が、ふとビルの頭をかすめた。これはレッスンに使える、と彼は思った。正確な文を覚えているわけでもないし、誰がいつ言ったのかもわからない。そこでビルはインターネットで、いくつかのキーワードと「モルモン」という言葉を検索した。
検索エンジンはいろいろな該当するウェブページを出して来たが、よく読んでみると、それらのページのいくつかは教会に敵対するものであることがわかった。最初のうち、彼はただこれらのページを無視し、教会に忠実なウェブサイトの検索を続けていた。
しかし、ちょっと見ただけでは、敵対的なウェブサイトと忠実なウェブサイトを見分けるのは難しい、ということがわかってきた。敵対するサイトの中には、読み進んで行くまでは害がないように見えるものもあったのだ。彼は、特にあるひとつのサイトに注意を引かれた。そのウェブサイトの著者が書いた主張をどんどんと読み始めた。最初、ビルはそれらの主張を気にも留めなかった。伝道中に同じような反モルモンの論争を聞いたことがあったが、それによって何か影響を受けるようなことはなかった。しかし、読み続けていくうちに、彼は答えを出すことのできない非常に困難な質問にぶつかった。教会とジョセフ・スミス、モルモン書に対する非難のいくつかに、彼は心を乱された。

ビルは、「こんなことは本当であるはずがない。」と自分に言い聞かせた。それでも、その記事はよく調査されているかのように、脚注まで付いていた。彼は、自分は神からの霊的な証によって教会が真実であるということを知っている、と心の中で思い返した。それにもかかわらず、彼は何か落ち着かない気持ちを感じた。このような非難に対する答えがあるのだろうか?ビルは、最も大いなる宗教的真理(例えば神の存在のような)は、信仰によって受け入れなければならないということを十分に理解していた。それにもかかわらず、彼は、モルモン書がどのように真実であり得るか、批評家が主張していることが正しいのかどうか、疑う気持ちを抱いたのだ。ビルは自分の霊的な証にしっかりしがみついた。しかしそれは揺れていた。

彼は、これらの批判に対して何か知的な答えはないものだろうかと思った。

前述の話はフィクションであるが、多少なりとも同じような経験をした教会員はいるはずである。ジョセフ・スミスの最初の示現以来、彼の名前、業、遺したものに悪口をあびせることを目的とした者たちがいた。そして、モルモン書が出版されて以来、それが作り話や妄想、冒涜的なものであるかのように、批判する者がいた。
なぜ、教会を攻撃する人がいるのだろうか?私たちは、このような批判に対応しなければならないのだろうか?このような難しい質問や言いがかりに、どのように対処しなければならないのだろうか?どこに答えを見出せるのだろうか?
 

なぜ教会を攻撃する人々がいるのだろうか?

モロナイが最初にジョセフを訪れた時、この天使は17才の預言者になるべき少年に、このように語った。「あなたの名は良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられる、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られる」1この預言が成就したことは確かである。1842年から1846年の間イリノイ州の知事で、ジョセフの殉教につながる事件の中心人物だったトーマス・フォードは、このように主張した。


 

「ジョー・スミスはこの時代において最も成功した詐欺師だった。彼は無学で粗野だけれども、 一時的な成功は納めた。しかし、永続的に成功する体系を確立することはまずないだろう。」2

それにもかかわらず、ほぼ2世紀経った今、教会は1100万人を超える会員を抱え、神殿は世界中に点在している。非末日聖徒の社会学者ロドニー・スタークは1984年にこう述べている。「この教会は『ひとつの新しい世界宗教の興隆』の兆候を全て示している。」そして彼は、「モルモンは、すぐにイスラム教、仏教、キリスト教、ヒンズー教、その他の有力な世界の宗教に匹敵する、世界的な信者の獲得を得るだろう。」3と予測した。そして私たちは、モロナイの預言通り、聖徒の数が増加するにつれ、中傷する者、批判する者の数も増えていることを目撃している。
 
私たちの信仰を攻撃する者は誰だろうか?「反モルモン」という言葉は、元々は、初期のモルモンによる選挙での投票に反対していた政党のメンバーが自ら付けたものだった。4今日、信じない者から、中傷する者、徹底した反モルモンまで、 様々な批評家がいる。ある者は元教会員であり、ある者はこれまで教会員になったことのない人々である。またある人々はいわゆる自称「知識人」で、彼らは神の存在を信じていない。そして、ある人々は他の宗教の指導者である。
 
批判する者、信じない者のすべてが現代の反モルモンだと言えるだろうか?そうは言えない。末日聖徒の教義に同意しないということだけでは反モルモンにはならない。
しかし、末日聖徒イエスキリスト教会の消滅を見たいと望む批評家はいる。私たちは、どのように意見の異なる不信者と反モルモンを区別することができるだろうか?そのような批評家を分類するための条件を設定することは、いくつかの点で困難がある。
かつて裁判官のポッター・スチュアートは、ポルノグラフィーを定義しようと試みて、このように言ったことがある。「私はそれを見ればわかる。」5反モルモンはよく、事実や最近の調査研究、末日聖徒の神聖な信条を無視することがある。彼らは、しばしば証が弱い末日聖徒や求道者の信仰を打ち砕くことに忙しく、通常、理解のための対話や真理に到達することについて、関心を持っていない。多くの批評家は、非末日聖徒や求道者に、モルモンの教会員や宣教師が差し出すものに対して、彼らの思いや心、扉を閉じさせることによってしばしば「井戸に毒を入れる」といったことをする。そのような批評家にとっては、モルモンの教えが詐欺的であるということを証明することによって論争に勝つということが、モルモン教徒が実際に何を信じているかということを理解することよりもっと重要なことなのである。6
 
なぜこれらの中傷者は、教会が滅びるのを見たいのだろうか?理由は様々である。
ある人々は、教会員に気分を害された、あるいは末日聖徒の指導者の人間的な側面を見たために、憎しみを抱いている。他の人々は、自尊心‐彼らが持つと考える知性における自尊心‐から、教会を攻撃するかもしれない。彼らはもはや、宗教という「支え」を必要としない。また他の人々は、自分たちの方が、一般に日曜学校、セミナリーまたはインスティチュートで教えられている初期の末日聖徒の歴史についてもっとよく知っていると思い、それによって、預言者よりも霊的な事柄についてもっとよく知っていると信じ込むようになるのである。そのような人々は、彼らが、真の末日聖徒の信仰にとってインサイダー情報である「特ダネ」を持っているのだ、うぶで無知な者だけが、教会で話される物語を信じることができるのだ、と決めてかかることがよくある。高慢が謙遜に取って代わる時、他人(特に指導者)のあら探しが同時に起こることはよくあることだ。キンボール大管長はかつてこのように述べた。
 

背教は通常、疑問、不信、そして批判から始まる。それは、ひとつの後退と退化の過程である。疑いの種は、良心的でない、あるいは誤って導かれた人々によって蒔かれ、 最初は教義に対して向けられることはまれで、それよりも指導者に対して向けられることが多い。7

他の者は、彼ら自身の罪を隠蔽するために教会を攻撃するという手段に訴える。「暗闇の行いで身を包んで教会を離れる人々」があまりに多い、とマッコンキーとミレーは、述べている。「彼らは教会のことを暴露するか、その教義を卑しめようとしていることがわかる。それは彼らの罪悪感によってそうせざるを得なくなっているのである。
彼らは、もし教会が真実であるならば、彼らが暗闇の僕であって、悔い改めなければらないということを理解しているからである。」8
 
ある人々は敵対するものの霊に導かれているかもしれないし、またある人々は、彼らがモルモン教という虚偽を暴くことによって、人類(または神)に奉仕していると思っている誠意ある人々であるかもしれない。誠意ある批評家にとっては、末日聖徒は欺かれ、誤って導かれていて、偽りのキリスト教から救われる必要があると感じていることだろう。
 
また単に、もはや信じていないので、教会を離れるという教会員もいる。そのような人々は、一般に霊的な証を持っていないし、彼らが難しい問題とみなすものに答えはないものと信じきっている。かつて教会員だった人の中には、単に教会から逃げて、彼らなりの幸福探しに乗り出す者もいる。他の人々は教会から離れるが、復讐しようとまた教会に戻ってきて、自分たちはだまされた、欺かれたと怒りながら主張する。彼らは、モルモンに対する恨みから、人々が教会に加わらないようにさせようとするかもしれない。ニール・マクスウェル長老はこう述べている。
 

教会員は、福千年までこの小麦と毒麦の状態の中で生活する。本物の毒麦の中には、小麦のふりをしている者さえある。 そのようなふりをしている者の中には、自分では信じてもいない教義を、他の教会員に熱心に説教する者がいる。彼らは、自分たちではもはや貢献していない教会の資財の使用に関して批判する。
彼らは、自分たち以外の誰に対しても対決しようとし、教会から離れているにもかかわらず、自分たちだけで教会を離れることもできずにいる。9

悪口を言いふらす者が言った言葉や書いたもののせいで、自分の証を失う危険にさらされているのは誰だろうか?

にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。10

私たちは一般に、この聖句が私たちに当てはまるとは思っていない。誰が「偽キリスト」や「偽預言者」を受け入れるだろうか?そして、教会から末日聖徒を誘い出すために、そのような偽預言者が一体どんな「大いなるしるしと奇跡」を示すことができるというのだろうか?
 
「偽キリスト」とは何だろうか?「偽キリスト」とは、本当のキリストに成り代わっている人または物である。つまり、金や権力、高慢、哲学あるいはその他多くのものが、偽キリストになり得るのである。従って、偽預言者とは、私たちをキリスト以外の何かにそそのかす者、あるいは真のキリストを拒む人々である、と言えるだろう。そのような預言者は、一体どのような「しるしと奇跡」を、用意しているのだろうか? おそらく、科学的または経験的なデータを聞こえの良い議論に都合の良いように使って、キリストは本物ではない、あるいは、回復された福音は誤りだということを示唆しようとすることであろう。私たちは、個人でのあるいは団体での背教が、過去に起こったということを知っている。それには次のようなものがある。前世において、3分の1の霊が失われた。ジョセフ・スミスの最も親しい友人の何人かが背教した。「だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりする」11ことにより、教会員が今日でも失われている。

批評家に反論すべきだろうか?

答えは、「いいえ」と、条件付きの「はい」であるべきであろう。主はこのように言われた。「それゆえ、あなたがたの敵を言い伏せなさい。公にも、ひそかにも、あなたがたと会うように彼らに呼びかけなさい。あなたがたが忠実であれば、彼らの恥が明らかにされるであろう。それゆえ彼らに、主に反対するしっかりした論拠を示させなさい。」12少数の見識ある末日聖徒が、直接批評家と意味のある論争をすることは可能であるとはいえ、一般的には、中傷者との論争に勝つことによって得られるものはあまりないであろう。しかし、批判的な主張によって動揺している教会員や求道者など、純粋に真理を探求している者の疑問に答えることによって、福音の力強さを示し、それによって彼らの証を救うこともできるのである。
 
ハロルド・B・リーはかつてこのように言った。
 

メルキゼデク神権の全ての保持者に適用される「長老」という言葉は、信仰の擁護者を意味する。それは、私たちの主要な責任と召しである。すべてのメルキゼデク神権保持者は、信仰の擁護者であるべきである。13

同様に、ジョセフ・フィールディング・スミスはかつてこのように言った。「全ての教会員は、モルモン書が真実であることを知るべきである。そして、私たちはそれを非難する全ての批評家に対して答えられるようにすべきである。」14長年、教会は反モルモンの訴えに対して反論を公表するか、特定の教会員に中傷者への対処をするよう促してきた。例えば、教会がオハイオにあった時期、メッセンジャー・アンド・アドボケイト誌は、当時におけるチャーチ・ニューズのような役割を果たし、しばしば反モルモンの攻撃に対する反論を出版した。15ジョージ・Q・キャノン(四人の預言者の副管長をした)は、モルモンに敵対する論説に反論するため、頻繁に全国の新聞社へ手紙を送った。16ジョージ・A・スミス(ブリガム・ヤングの第一副管長だった)は、若い時から「自分はモルモン書の擁護者であり、これまでそれを中傷されたり、非好意的に話されたりすることを許さなかった。」と言った。17他の時には、教会の指導者たちは、見識のある末日聖徒が、教会への攻撃を論破するよう奨励した。18教会の公式ウェブサイトも最近、DNA研究がモルモン書の誤りを明らかにしているという、何人かの中傷者による主張を取り上げ、それに対する反論記事を掲載している。19
 


私たちが中傷者に反論すべきかどうかという質問について、「はい」に条件が付く理由は何だろうか?少なくとも4つの考慮すべき理由がある。

1.議論でなく、「みたま」が改宗させる

霊的な事柄は霊的に識別しなければならないと理解することが重要である。主はこのように言われた。「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう。」20
キリストが死すべき状態にあった間、ペテロは主から直接教えられた。それにもかかわらず、彼の救い主に対する証は死すべきメシアからでなく、むしろ天父から来た。「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。」21キリストとその福音に対する証は、ある人から別の人に伝わるといったものではなく、直接、また個人的な啓示という方法で来なければならない。ヒーバー・C・キンボールはこのように言った。「男性も女性も、借り物の光では耐えることができない時が来る。各々は、自分自身の内なる光で導かれなければならない。あなたがそれを持っていないのならば、どのように、立っていることができるだろうか?」22
 
パウロはこう書き記している。「聖霊によらなければ、だれもイエスは主であると言うことができない。」23同様にヨハネはのように書いている。「イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」24神の存在も、復活が実際にあるということも、キリストの神性、神の言葉としての聖書やモルモン書の正統性も、世の方法によって断定することはできない。たとえば、考古学はどの旧約聖書の預言者の存在も、いまだ確認していない。そして、考古学が、預言者が実際に生きていたという証拠をいつか提供する可能性があるとしても、その預言者が示現や啓示を受けたという主張を証明したり、反証したりすることはできないであろう。25
 
これと同じ原則が、モルモン書とジョセフ・スミスにも当てはまる。B・H・ロバーツはこのように書いている。「聖霊の力が、常に、モルモン書が真実だという最重要な証拠でなければならない。他の証拠はすべて補足的なものである。説得力のありそうな証拠も、どんなに立派な議論も、聖霊の力による証に取って代わることはできない。」26
 


2.優先すべきもの

ベンソン大管長はこのように述べた。「私たちの第一の務めは福音を宣言すること、しかもそれを効果的に行なうことである。私たちには、すべての批判に答える義務はない。最終的には、私たちの取る立場は、信仰に基づいたものとなる。」27答えることのできる疑問もあるが、答えを待たなければならないものもある。グレン・パーソンはこう書いている。「(批評家に対処するために)人が必要とするだろう適切な答えを、全て身につけておくようにするなどということは不可能である。たとえその人が今日必要とする何百もの事柄を全て学んだとしても、明日は必要とする事柄がさらに何百とあるだろう。」28すべての反モルモンの非難に答えようとすることについて、チャールズ・ペンローズはこう説明した。「それをするには、私たちはそのことに注意を集中させ過ぎて、もっと有益なことができなくなってしまう。」29ジョージ・A・スミスは、かつてこう述べている。
 

私たちは、何度もこのように尋ねられて来た。「なぜ、あなたがたは、自分たちについて流布されているこれらの偽りに関して、真実を発表しないのか?」
私たちが、キリスト教界で発行される新聞を全て所有していたならば、そうしたかもしれない。誰が、私や私の兄弟たちからの手紙を公にするだろうか? 誰が私たちから出る真実を公にするだろうか? そのような手紙が送られてきても、カウンターの下か、どこか他の所にしまい込まれ、それが日の目を見ることはないだろう。彼らは、たやすく私たちに関する偽りを送り出すだろう。古い格言は、「真実が扉から出て来るとき、同時にうそが鍵穴から抜け出し、1000マイル進む」と言っている。そして、私たちの経験がこれを証明している。私たちについて流布されている偽りを論破するために必要な、影響力や権力を、私たちは持っているわけではない。私たちにできることは、天に座しておられる神を信頼することである。30

3.反論は必要か?

擁護する必要のないものもある。B・H・ロバーツ長老はこう述べている。「一部の批評家は、よく『個人的な意見を述べたに過ぎない言葉』をあたかも教会の公式な教えかのように引用して、自分たちの批判を展開している。」31
 

長老たちが弁護する義務があるのは、教会が所有する聖典(聖書、モルモン書、教義と聖約、高価な真珠)だけである。これらの本は、神のみ言葉が載せられたものとして教会が認めているものである。これらの本は、長老たちが本国においても、また外国においても、絶対的に真実として擁護すべきものである。その他の本に関しては、非常に有用で教訓的かもしれないが、上述の4冊の本に与えられたのと同じ威厳を持つものではなく、教会の聖典に合致する範囲内においてのみ受け入れられるものである。32

たとえば、末日聖徒の批評家は、よく説教集(the Journal of Discourses)を参照するが、これは、大部分は、ユタ州外に住んでいる聖徒のために、19世紀の説教を書き記し編集したものである。しかし、そのような批評家は、説教集が末日聖徒の標準聖典の一部でないという事実はもちろん、これらの説教がなされ、(手書きで)記録された当時の状況を正しく認識していない。回復された教会の初期においては、ほとんど全ての説教は、即興で行われた。19世紀のモルモン教会では、暗記するか予め書面で準備した説教は、ほとんど考えられなかった。33初期の聖徒たちは、「みたま」によって説教をしなければならないと厳格に感じていたのである。
これは、時に興味深い説教へと導くものであった。オーソン・プラットがこう述べているように、彼、あるいはおそらく他の話者も時々、「心が完全に閉じているかのよう・・・」な時に説教をした。そのような出来事を思い出し、プラットはこう述べている。「私が会衆の前で、どもりながら言えたわずかな言葉は、私自身全く心に満足のいくものではなかったし、私の話を聞いた人々も同様の気持ちを感じたことであろう。」34説教集の中のいくつかの事柄は、私たちが現在、福音の原則として知っているものからはかけ離れているように見られるのも不思議ではない。
 


4.論争を避ける

また、あなたは喜びのおとずれを告げ知らせなさい。 山々の上で、すべての高い所で、またあなたが会うのを許されるすべての民の中で、それを告げて広めなさい。また、あなたは謙遜の限りを尽くしてそれを行いなさい。わたしを信頼し、またののしる者にののしり返すことのないようにしなさい。35
 
まことに、まことに、あなたがたに言う。争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの父である悪魔につく者である。悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。見よ、互いに怒るように人々の心をあおり立てるのは、わたしの教義ではない。このようなことをやめるようにというのが、わたしの教義である。36
 
ブルース・R・マッコンキーはこう説明している。
 
私たちが神から託された仕事は、聖句の意味について他の人と言い争うことではなく、喜びの福音を宣言することである。もちろん、私たちにこぞって反対する人々の偽りの主張の全てに対し、答えはある。 しかし、改宗というものは、議論の場で見出されるものではない。それは、むしろ、モロナイの勧める方法に従ってモルモン書を読む人々に起こることである。大多数の教会員にとっては、反モルモンを専門とする人々の主張は、単に無視した方が良いであろう。37
 
マービン・J・アシュトン長老は、「私たちは、全ての教会員に対して、反・反モルモンにならないよう奨励する。」38と書いている。アシュトン長老はこのように説明している。
 

非難、皮肉、中傷、あるいは偽りが、ささやかれようと、あるいは露骨に叫ばれようと、いずれにせよ、イエス・キリストの福音は、私たちが報復することも争うこともすべきでない、ということを思い出させてくれる。39

平安と憎しみは、決して同一の魂に留まることはできない。永続する平安は、自分と信条が異なる人々を非難し、評判を落し、ののしり、破壊することを目的とした個人またはグループが入って来るのを拒むものである。憎しみに生きようとする人々は、力の限り他の人々を撲滅させようとするだろう。真のキリスト教徒は、争いに時間を費やさない。私たちが他の人々をののしったり、憎んだりしているうちは、不変の平安が築かれることはない。憎しみと嘲笑と偽りを説く人々は、平和を作る人になることはできない。彼らは、悔い改めるまで、憎しみによる業に携わった人々に与えられる収穫を刈り入れるだろう。敵意と悪意という感情が、平安という感情と調和することはあり得ない。40

論争がある所に、「みたま」が留まることはできない。論争が、誰かに福音を受け入れさせることはないし、反モルモンの偽りをはねつけることもないだろう。
では、どのように反モルモンの主張に対処しなければならないだろうか?

難しい問題に対処する

また、すべてが信仰を持っているわけではないので、あなたがたは知恵の言葉を熱心に求め、互いに教え合いなさい。まことに、最良の書物から知恵の言葉を探し求め、研究によって、また信仰によって学問を求めなさい。41
 

ジェームズ・ファウスト長老はこう記した。「私たちは、2つの源から知識を得る。
一つは宗教的なもので、もう一つはこの世的なものである。レックス・E・リーはそれを『理性的な過程と理性を超えた過程』と呼んだ。」42理性的で、争いを好まない議論なら、御霊による証に思いや心を開くことができる。ウィリアム・クレイトン・キンボールは、末日聖徒ではないが、キリスト教の弁護者として有名なC・S・ルイスを引用し、こう述べた。
 

もし我々が自分の立場を守る備えができていないなら、もし「知識人」が信仰を擁護しないなら、教育のない人は裏切られ、悪人の攻撃にさらされる。
「仮に他に存在する理由がないにしても、良い哲学はなくてはならない。悪い哲学に答える必要があるからだ。」このように、ある人には知識人として生きることが使命である。その知識を使って、神への捧げものにすることもできるし、兄弟たちに仕えることもできる。43

またC・S・ルイスの記述について、オースティン・ファラーはかつてこう宣言した。

議論が確信を生み出さないにしても、議論の欠如は信仰を壊す。議論によって証明されたと思えることであっても、受け入れられないかもしれない。しかし、誰も擁護できない事は、すぐに捨てられる。理性的な議論によって信仰が生まれるものではないが、それによって信仰が育まれる環境を保つことはできる。44
 

末日聖徒の学者ジョン・ウェルチはこう記している。「証拠は、知識を明瞭に表現したり、誤りと偽説に対して防御するのに役立つ。」学者は、証拠を『明瞭にさせる者として』重要な役割を果たすことができる。そして、『従順さと奉献』が伴うと、強固な学術的研究が『王国を保護して、確立するために』役に立つ。」45同様に、B・H・ロバーツはこう述べた。「知られるためには、真理は述べられなければならない。より明確に完全に述べることができれば、聖霊もより良く御業は真実である、と人の心に証することができるであろう。」46最後に、ニール・マクスウェル長老はこう宣言した。「教会」は「敵や偽の学者に負ける」ことはないだろう。*47そして、批評家の「一方的なダンクシュート」を許さないだろう。*48「はっきり言って、我々が王国を擁護する発言が、聞く者すべてを感動させないかもしれないが、思慮深いそういった発言がなければ、信者の信仰が弱まってしまうかもしれない。我々が確信を持って述べることは、受け入れられないかもしれない。しかし、述べられない確信は、すぐに弱まってしまうことだろう。」*49
 
末日聖徒の学者ハイラム・M・スミスとヤンネ・M・シェダールはこう記した。「よこしまな人々の攻撃を無視することが賢明な時がある。また別の時は、恐れずに、力をもって、立ち向かうことが必要だ。」*50二人の預言者の副管長だったチャールズ・ペンローズはこう述べた。「聖徒が自分たちに対して何と言われているか知り、誰かが真実を示すことは必要だ。教会について間違ったことが伝えられるときには、反論すべきだ。」*51 1910年10月に、総大会説教でアンソニー・W・アイビンス長老はこう述べた。
末日聖徒イエス・キリスト教会が誤った報道に対して注意を払うことは頻繁にはない。
しかし、教義が嘲笑されるときや、ゆがんだ教義が伝えられるとき、軽蔑の意図をもって話されるときや、これらが出版され、世界に放送され、人々が伝えられた偽りの教義を受け入れるようなら、誤りを正し、末日聖徒の信仰に関して人々が誤った結論に達した根本を明らかにすることが必要となるときがある。*52
 
批評家を論破する末日聖徒は誰か?ピアソン兄弟はこう記している。「適切な答えはいずれ、末日聖徒の学者が出すであろうが、彼らはいつも本職に追われ、なかなか時間を見出せないでいる。」*53
 
擁護(Apologetics):この言葉の意味は、「人の地位または信仰を守ること」である。そして、ギリシア語のapologetikosに由来し、「謝罪(apology)」の語源でもある。擁護に係わる人々は、彼らが信じているものについて謝罪するのではなく、むしろ信じているものを擁護する人々である。他のキリスト教宗派の多くはキリスト教の信条を守る擁護に係わってきた。そして、末日聖徒の一部も同様にモルモンを攻撃する人々から守ることに従事している。良い擁護者は理にかなった論証を形成し、特定の信条がもっともであり、守るべきものであることを示す。(この世的な手法で、霊的なものを「証明」することはできない。)末日聖徒の擁護者はしばしば、批評家に訴えられたとき、B・H・ロバーツ長老と似たようなアプローチを採る。「私は、どのような方法でも訴えを退けるつもりはない。私はしっかりと組み合うつもりで、彼らに会う。」*54
 
末日聖徒のほとんどは擁護論に精通しておらず、まして擁護論に従事している者は少ないのに、一般の教会員はどこで難しい質問に対する答えを見つけたらよいのだろうか。
 

1.「みたま」に真理を教えさせる

祈り。聖典の研究。霊的な経験を、求め、思い出す。そして聖霊が、強さと霊感の、変わらぬ源になるような生活をする。そのようにして、キリストの神性と、ジョセフ・スミスの預言者としての使命、およびモルモン書の力に対しての強い霊的な証を得られれば、難しい質問は答えが見つかるまで棚上げすることができる。確固とした福音への証があれば、確固とした信仰の土台ができあがる。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。*55

世にある知識は増え続けている。昨日は真実だったのに、明日には誤りになる事実もある。我々が「肉の腕」を頼るなら、物事が非常に頻繁に変わることを思い知らされるだろう。たとえば、19世紀のある聖徒が、当時の批評家による、「アルマ」は「明らか」に女性の名前であるのに、モルモン書では男性の名前として使われている、という主張を受け入れ、教会を離れたとしよう。その聖徒は、20世紀の研究の結果、「アルマ」は確かに古代のセム族の男性名であったことが確認できたのにかかわらず、当時の批評家の主張を受け入れたため、永遠の恵みを失ったかもしれないのである。*56
この世的な証拠は、その時代には説得力があるが、次の時代には説得力がないことが時々ある。霊的な証を持つことによって、流れが我々に反するような風潮を乗り切ることができる。また、霊的な真理の中には現在の科学とは相容れないようなものもあることを覚えておく必要がある。水の上を歩き、死者を蘇らすイエスの能力は科学の法則に反する。それらは信仰によって受け入れられなければならない。
 

2.聖典と預言者に対する原理主義的アプローチを避ける
 

聖典の目的は人々が福音を理解するように助け、「みたま」のささやきに彼らの心を開くことである。末日聖徒の擁護者ロス・バーロンがかつてこう言った。「教会は、聖書に基づいていない。教会は、聖書が基づくもの、つまり預言者を通して与えられる啓示に基づいている。」*57聖典は目的への手段であり、救いの源ではない。伝統的な言葉の意味での「歴史」でなく、むしろ神がどのように人々とかかわってきたかの記録である。科学的な記録でもないし、全ての質問に対して答えているというわけでもない。(全ての質問に対して答えているなら、絶えざる啓示は必要がないだろう。)預言者モルモンによると、聖典には時折、間違いがある。言い換えると、完璧ではない。そのように、過去も現在も預言者は、神に指示され、霊感を受けた指導者であるが、完璧ではない。ロレンゾ・スノー大管長は、ジョセフ・スミスが神の預言者であったという確固たる証を持っていたが、このようにも言っている。
 

「私はジョセフ・スミスに欠点を見た。私は欠点を持つ人に、神が力と権威を与えられることを感謝した。というのも、私自身が弱点を持つことを知っているからだ。そして、私のように欠点がある者でも仕えることが許されていることを知った。私は彼に欠点を見たことを神に感謝した。」*58
 

預言者と教会幹部もまた、あなたや私のように、彼ら独自の意見を持つ権利がある。
教会の承認を得ているモルモン百科事典にこう記されている。
 
聖典で明らかにされていない事柄で、教会が公式な声明を発表していないものは多くある。そのような事柄に関しては、教会員の間でも指導者の間でも意見の違いがあることは珍しくない。これらの事柄に対しては、啓示によって真理が知らされるまで、様々な異なる理解や解釈が存在し続けることであろう。*59
 

3.難しい質問に対する答えを持つ末日聖徒の擁護者の主張を知る

そのような主張の情報源リストの一部

・LDS.org
教会の公式サイトは、膨大な情報源である。聖典、エンサイン、リアホナなどの現在と過去の教会誌から研究することができる。また、総大会説教、神権会と扶助協会のマニュアル、そして、レッスン教材からも見つけられる。
「News Media Resources」の「Mistakes in the News」というセクションでは、よく知られる反モルモン発行物のいくつかを論破している記事の一部にアクセスできる。
 
・FARMS (古代調査・モルモン研究団体)
1979年に独自に始まり、1997年にBYUの傘下に入ったが、おそらくあらゆる末日聖徒の関連組織で最も学術的な組織だろう。古代の言語と文化、人類学と考古学、哲学と歴史に精通した末日聖徒の学者が定期的に、モルモンの信条を擁護し、末日聖徒が聖典や問題視されている事柄に関して理解するのを助けている。FARMSウェブサイトには、多くの記事やマルチメディアのプレゼンテーションを無料で提供するセクションがある。また、現在および過去に出版されたモルモン書研究(Journal of Book of Mormon Studies)とFARMS 書評の記事が読め、その他にも価値ある情報の宝庫を有する登録者用セクションもある。
 
・FAIR (擁護情報調査団体)
この草の根の、国際的、非営利の組織は、1997年に始まり、最も代表的なオンラインの末日聖徒の擁護ウェブサイトとして、急速に成長した。FAIRは、特に末日聖徒に対する批評家によって示された難しい質問と告発に答える会議、記事、マルチメディアによるプレゼンテーションと本を提供してきた。FAIR のウェブサイト(www.fairlds.org)では、批評家によって出されるほとんどの議論に対処する無料のオンライン資料を提供している。また、誠実な末日聖徒の擁護者の電子リストを提示しており、難しい質問を彼らに送り、答えを求めることもできる。
 
・その他の末日聖徒の擁護関連サイトの一部には以下のものがある
www.MormonFortress.com,
www.SHIELDS-Research.org,
www.jefflindsay.com/LDSFAQ/.
「それは、すべての事物には反対のものがなければならないからである。」*60難しい質問は、人生と信仰の試練の一部である。もしこの世的な証拠が神の回復された福音を証明するならば、信仰の必要がないであろう。難しい質問に対して、満足できる知的な答えがあることを知るのは大切である。我々が答えられない難しい質問に直面するときでも、心配したり絶望したりする必要はない。答えを得るのに時間がかかるものもある。答えはすでに存在していても、見い出さなければならないものもある。末日聖徒の学者と擁護者は、今までも中傷者の告発に答えてきたように、これからも答え続けるであろう。そのような答えの一部は、すでに多くの印刷物や電子媒体から入手できる。しかし何よりも大切なことは、天父との関係を強め、聖霊を感じられる状態を保つことである。答えが見つからない時には、証の力が我々を支える。福音の真実さ、つまりイエス・キリストの神性、ジョセフ・スミスの使命、モルモン書の力は、この世的な証拠でも支えられ、擁護されることがよくあるが、完全に知ることができるのは、ただ、聖霊の力だけによるのである。「そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」*61

FAIR(擁護情報調査団体)ウェブサイトにて2004年3月発行


参考文献

ウェイン・D・アーネット著
「末日聖徒イエス・キリスト教会の擁護:参考ガイド」
カリフォルニア州、レディング:擁護情報調査団体、1989年。

リチャード・L・ブッシュマン著
「ジョセフ・スミスとモルモン教の始まり」
イリノイ州、アーバナ:イリノイ大学出版、1984年。

アラン・デニソンとD・L・バークスデイル著
「あなたと一緒に朝食を取りたい人を考えてみよ:
反モルモンの戦術と戦略に関する宣教師ガイド、第2版」
カリフォルニア州、レディング:擁護情報調査団体、2002年。

テリール・ギブンズ著
「モルモンの手によって:新しい世界宗教を起こしたアメリカの聖典」
ニューヨーク:オックスフォード出版、2002年。

マイケル・W・ヒッケンボッサム著
「挑発的なモルモンへの質問に答える」
ユタ州、バウンテフル:ホライゾン出版、1995年。

ダニエル・C・ピーターソンとステファン・D・リックス著
「言葉の犯罪者:
反モルモンが末日聖徒の攻撃に使う言葉遊びの手法」
ソルトレーク・シティー:アスペン書店、1992年。

ギルバート・W・スカルフズ著
「『神を作る人々』についての真実、第2版」
ソルトレーク・シティー:パブリシャーズ出版、1989年。



1 ジョセフ・スミス‐歴史 1:33.

2 トーマス・フォード著, イリノイの歴史 (ニューヨーク: S・C・グリッグス,1854年), 354-355.

3 ジョージ・W・コーネル引用, チャーチ・ニュース, デゼレト・ニュース (1987年4月18日), 10.

4 デニス・ロウレイ著, 「ウィスコンシン松林でのモルモンの経験, 1841-1845年」BYU スタディーズ, 32:1-2 (冬と春, 1992年), 158.

5 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=378&invol=184
を参照。(この引用を、ケビン・バーニーが知らせてくれたことに感謝する。)

6 一般に反モルモンの出版物を示す要因の例,デイビス・ビットン著, "反モルモンの本を見抜く"
Meridian.com http://www.meridianmagazine.com/historybits/030922spotting.html,
または FAIR, http://www.fairlds.org/apol/antis/200301.html

7 スペンサー・W・キンボール著, スペンサー・W・キンボールの教え,エドワード・L・キンボール編集 (ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1982年), 462.

8 ジョセフ・フィールディング・マッコンキーとロバート・L・ミレット著,モルモン書の教義注釈, 全4巻.(ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1987-1992年),1:122.

9 ニール・A・マックスウェル, 「子供のようになる」 エンサイン(1996年5月) 68.

10 マタイ 24:24.

11 エペソ 4:14.

12 教義と聖約 71:7-8.

13 ハロルド・B・リー, 大会報告, 1970年4月, 一般神権者部会, 54.リー大管長が「長老」は「擁護者」を意味すると話したとき、彼は「長老」の語源的な定義について述べたのでなく、むしろ、長老である人々の特質を定義したのである。

14 ジョセフ・フィールディング・スミス著, 「モルモン書, 神の記録」インプルーブメント・エラ (1961年12月), 925.

15 ピーター・クロウリー著, 「ニューヨーク、オハイオ、ミズーリ‐での末日聖徒イエス・キリスト教会誌」参照 BYU スタディーズ 12:4 (1972年夏), 494.

16 クレイグ・フォスター著, 「反モルモンの変わらぬ手法」2003年 FAIR 末日聖徒擁護大会演説.著者所有のビデオ・コピー.

17 ジョージ・A・スミス著, 「ジョセフ・スミスの家族など」 説教集,G・D・ワット報告 1857年8月2日, 第5巻(ロンドン: 末日聖徒の書庫, 1857年), 103.

18 例えば、ギルバート・スカルフズ著「『神を作る人々』についての真実」は教会指導者の依頼によって書かれた。(ギルバート・スカルフズ著, 「宣教師解答小本」参照[ユタ州アメリカン・フォーク: カバナント・コミュニケーションズ, 2002年], 1).リチャード・ターレイ著「ジョン・クラッカワー『天国の旗の下』への返答」も参照。http: //www.lds.org/newsroom/showrelease/0,15503,3881-1-17190,00.html

19 http://lds.org/newsroom/mistakes/0,15331,3885-1,00.html 参照

20 ルカ 16:31.

21 マタイ 16:17.

22 オーソン・F・ホイットニー著, ヒーバー・C・キンボールの人生 (ソルトレーク・シティー: キンボール・ファミリー, 1888年), 450.

23 第1コリント 12:3.

24 黙示録 19:10.

25 ヒュー・ニブレー著「考古学と我々の宗教」 (ユタ州プロボ: FARMS, 1984年), 6.

26 B・H・ロバーツ, 神の新証人たち, 全3巻. (ソルトレーク・シティー: デゼレト・ブック, 1909年),2:vi-viii, ジョン・ウェルチ引用, 「善と真実」 信仰の表現:末日聖徒の学者の証,スーザン・イーストン・ブラック編集,(ユタ州ソルトレーク・シティー: FARMS と デゼレト・ブック, 1996年), 233-234.

27 エズラ・タフト・ベンソン著「モルモン書は神のみ言葉」エンサイン (1975年5月),65.

28 グレン・L・ピアソン,モルモン書,改宗の鍵(ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1963年), 4.

29 チャールズ・W・ペンローズ, 「寸評」 1891年10月6日, 講話集,編さん、編集.ブライアン・H・スタイ (ユタ州、サンディ: BHS, 1988年), 2:270-271.
この論文に使われている初期の擁護的な引用の幾つかはジェラルドとサンドラ・タナー著、「モルモンの学者に答える: モルモン擁護者による批評への返答」への返答として著作されたマシュー・ローパーの「答えられていないモルモンの学者達」に最初に参照された。FARMS 書評 9:1 (1997), 87-145.

30 ジョージ・A・スミス著、 説教集、 全26巻.(ロンドン: 末日聖徒の書庫, 1854-1886年), 13:178.

31 B・H・ロバーツ著, 「聖職者協会の批評に対する答え」インプルーブメント・エラ(1907年7月), 703.

32 B・H・ロバーツ著, 「モルモン書に対する批判への答え」インプルーブメント・エラ (1902年3月), 347-348.

33 デイビス・ビットン著, 「『不思議な広がり』: 初期のモルモン教での説教の理想と実践」BYU スタディーズ 41:1 (2002年), 8.

34 オーソン・プラット著, 「光と真実のみたま,など」 説教集、デビッド・W・エバンズ報告 1872年11月24日, 第15巻(ロンドン: 末日聖徒の書庫, 1873年),229.

35 教義と聖約 19:29-30.

36 第3ニーファイ 11:29-30.

37 ブルース・R・マッコンキー著, ブルース・R・マッコンキーの説教と著作(ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1998年), 233.

38 マービン・J・アシュトン, 「元気を出しなさい」(ソルトレーク・シティー:デゼレト・ブック, 1987年), 10.

39 同書, 9.

40 同書, 88.

41 教義と聖約 88:118; 強調追加.

42 ジェームズ・E・ファースト, 「光に手を伸ばす」(ソルトレーク・シティー: デゼレト・ブック, 1990年), 24.

43 ウィリアム・クレイトン・キンボール著「キリスト教徒の献身: C・S・ルイスと教義の擁護」BYU スタディー 12:2 (1972年冬), 194, C・S・ルイス引用,「戦時中の学び」栄光の重さ (ニューヨーク: マクミラン, 1949年), 43-54.

44 オーストン・ファーラー著, 「キリスト教の擁護者」 C・S・ルイスの光の中で,ジョスリン・ギブ編集 (ニューヨーク: ハーコート, Brace & World, 1965), 26.

45 ジョン・W・ウェルチ著, 「信仰を育くむ上での証拠の力」モルモン書を通して信仰を育くむ: 24周年 シドニー・B・スペリー 討論会 (ソルトレーク・シティー:デゼレト・ブック, 1995年), 157.

46 B・H・ロバーツ, 神の新証人たち, 全3巻. (ソルトレーク・シティー: デゼレト・ブック, 1909年),2:vi-viii, ジョン・ウェルチ引用, 「善と真実」 信仰の表現:末日聖徒の学者の証, スーザン・イーストン・ブラック編集,(ユタ州ソルトレーク・シティー: FARMS と デゼレト・ブック, 1996年), 234.

47 ジョン・ウェルチ, 「証拠の力」 156-157, ニール・A・マックスウェル引用,「学者の弟子」弟子であり学者である上で, ヘンリー・B・アイリング編集(ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1995年), 5; ニール・A・マックスウェル,「弟子の罷免」ソルトレーク・シティー: デゼレト・ブック, 1976年), 49.

48 ギルバート・W・スカルフズ引用, 「質問があります」 エンサイン (1995年1月),60.

49 ニール・マックスウェル著, 「すべての地獄は動かされる」 1977年、年次ディボーショナル演説(ユタ州プロボ: ブリガム・ヤング大学出版, 1977年), 179,ニール・A・マックスウェル引用本の引用, コリー・H・マックスウェル編集(ソルトレーク・シティー: ブッククラフト, 1997年), 343.

50 ハイラム・M・スミスとジェーン・M・シェダール著, 教義と聖約注釈(ソルトレーク・シティー: デゼレト・ブック, 1978年), 423.

51 ペンローズ著, 「寸評」 講話集, 2:270-271.

52 アンソニー・W・アイビンズ著, 大会報告, 1910年10月, 第2日午前の部会41-42.

53 グレン・L・ピアソン著, モルモン書, 改宗の鍵 (ソルトレーク・シティー:ブッククラフト, 1963年), 4.

54 B・H・ロバーツ著, 「聖職者協会の批評に対する答え」インプルーブメント・エラ (1907年7月), 703.

55 マタイ 7:24-25.

56 ジェフリー・R・チャドウィック著, 「エレファンティネ・パピルスの中のサライア」モルモン書研究誌 2:2 (1993年秋), 199-200.

57 ロス・バーロン,著 「大勢の人を養うこと:人の漁師であること」2001年 FAIR 末日聖徒擁護大会演説.http://www.fairlds.org/pubs/conf/2001BarR.html

58 ニール・A・マックスウェル著, 「世の注目を集める」 エンサイン (1984年11月),10.

59 M・ジェラルド・ブラッドフォードとラリー・E・ダール著,「教義」 モルモン百科事典,全4巻 ダニエル・H・ラドロウ編集 (ニューヨーク: マクミラン, 1992年), 1:395.

60 第2ニーファイ 2:11.

61 モロナイ 10:5.
ケビン・バーニーとアレン・ワイアットのコメントと提言に特に感謝する。

著者について

マイクは生まれも育ちも末日聖徒で、家族とユタ州オグデンに住んでいて、小売店で家電部門を管理している。彼には3人の娘と1人の孫がいる。マイクは長老定員会の会長会に在席したり、祭司、長老定員会、福音教義クラスを教えてきた。1980年代中頃から末日聖徒擁護活動に関わっている。マイクは、現在、 FAIRの庶務を担当している。彼は2000、2002、2003年のFAIR 末日聖徒擁護大会で演説し、「ダイアログ」および「FARMS書評」で論文を発行している。マイクは、MormonFortress.comを所有、運営している。これは、反モルモンの批判に答える擁護記事のウェブ宝庫である。そして、FAIRまたはMormonFortress.comウェブサイトに収録されている数十に及ぶ記事を書いている。

FAIRについて

擁護情報調査団体(FAIR)は末日聖徒の教義、信念、実践に対する批判に証拠文献で答えを提供することを目的に設立された非営利団体である。一般会員や学者が、悪意のある、もしくは善意から来る、個人の信仰への攻撃に対応するのを助けることを目的にしている。FAIRは末日聖徒イエス・キリスト教会を擁護する記事と本を出版するのを援助している。また、ウェブサイトを運営し、サイトには毎日何千ものアクセスがある。そして、末日聖徒の学術的なコミュニティに、彼らが得た情報を、一般会員に提供する研究プロジェクトと会議を支援している。FAIRは、米国国税局から501-C(3)条の非営利団体として認められており、現在5,000人を超えるメンバーと協力者による寄付によって運営されている。

FAIRについてさらに知りたい方は、ウェブ・サイトを参照のこと。
http://www.fairlds.org

書面での問い合わせはこちらまで。
FAIR
PO Box 2144
Mesa, AZ 85214

(日本語翻訳は、この記事の著者であるマイケル・アッシュ氏、およびFAIR会長のスコット・ゴードン氏の許可を得て行なわれている。)

End

1

 

モルモンとは?

 

ここ一世紀以上に亘つてまじめに問はれて来た質問がある。多年に亘つてそれに対し返答が与えられて来た。これ等の質問に対して書かれて来た書籍だけでも図書館の書棚の数十尺に及ぶそれは無数の雑誌記事、新聞物語、パノフレツト及説教集と主題となつて来た。 

モルモンの初期に於てはこれ等の記事又は諸話は大部分盲目な偏見に起因していた。何となれば殆どの質問が無智と頑迷の零囲気の内でなされたからである。幸にもえは変って来た。まじめな質問はまじめな返答に値いする。 

モルモノとは?彼等は如何なる人か?彼等は何を信じているか?彼等伽プログラムは何か?彼等の組織は何か?彼等の歴史は如何

本書はこれ等の質問に対する簡単な答である。必要性に鑑み主題に対する重点のみを取扱つた。 

更に学ばんと欲する学生、或は求道者の為には数多の刊行物が普く提供されている

 

目次

質問

モルモンの日(現況) 

一、 彼等は如何なる人か?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三

二、 彼等は信じているか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八

三、 彼等のプログラムは何か?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・十九

四、 彼等の組織は何か?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二六

モルモンの昨日(歴史)

五、起源・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三二

六、天使と書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三七

七、人に与えられた神権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四九

八、教会は組織された・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五七

九、オハイォ州に於けるモルモン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六四

十、ミズーリ州に於ける教会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七四

十一、美しい市ノーヴー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八三

十二、殉教・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九二

十三、出ノーヴー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一00

十四、約束の地へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一0

十五、荒野を開拓する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一八

十六、闘争の歳月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一二九

十七、忍耐の歳月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四0

十八、恵の光・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一四六

モルモンの今日現況

彼等は如何なる入か?

彼等は何を信じているか?

彼等のプログラムは何か?

彼等の組織は何か

一、彼等は如何なる人か

モルモンと言うのは、末日聖徒イエスキリスト教会のあだなである。叫世紀に於てキリストの教会に改宗した人だちがクリスチヤンと呼ばれたように十九世紀に於てモルモン経を信する事を告白した者達がモルモンと呼ばれた。 

その称号は残存してそれを変更したいような空気はあまり見受けられなかつたが漸次末日聖徒、イエスキリスト教会と言う名称に変つて来た。 

これも又言葉・の説朋を要する。「聖徒」とはローマカトリツクの伝統と実用に起因しているものではない。むしろその通念に於てパゥロが初代教会に受入れられて居た会員に対し使つたもの唱である。何となればモルモンは彼等自身をイエスキリストを信じ仮の教会の会員である事に於てのみ聖徒と考えているからである。 

プロテス汐ントか或はカトリツクか?唱彼等はカトリツクでないので普通にプロテスクントと見なされている。実際に於て彼等はヵトリツクと相違している以上プロテスタントとも相違しているのである。歴史的に見ても又現在の協調性にかんがみても神学的に又実際生活に於て彼等は両者何れにも組分けされないのである。

如何なるキリスト教宗派から募離して生じたものではない。又如何なる宗教社会の分裂に結果されたものでもない。その起源の詳細に就ては後に宇ぼう。その神学、組繊及びあらゆる面に於けるその実際生活は今日のクリスチヤン宗派聞に於て全く独特のものであると言うことが出来る。 

それはキリスト教界に於ける興昧ある異例である。その信奉有は彼等の組織の広範さとその効果的な実質に於て現代的なものとして組分けされるが冊も彼等が我々が復帰せねばならない新約の教会と原則から背教があつたと言う信奉を保持する限りこの点に於て彼等は原始的である。