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末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史と情報

教会の指導者ーChurch Leaders

 

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教会の預言者、聖賢者、と啓示者

ジョセフ・フィールディング・スミス

予言者ジョセフ・フィールディング・スミス以上に、長年にわたる献身的な奉仕を通じて備えられ、教会の大管長会に入った人はいない。ジョセフ・フィールディング・スミスの名は、彼の父であり、1901年から1918年にかけて教会を管理したジョセフ・F・スミスにちなんでつけられた。ジョセフ・フィールディング・スミスはまた、予言者ジョセフ・スミスの傍らにあって不変不動に立ち続けた忠実なハイラム・スミスの孫である。

ジョセフ・ブイールディング・スミス大管長は十二使徒評議員の空席を満たすべく、1910年に33歳で召され、以来60年以上にわたって主イエス・キリストの使徒として忠実に働いた。また前大管長の重責を担い5年間大管長会の副管長を務めた。

教会幹部としての驚異的な記録に加えて他の分野でのスミス大管長の働きと貢献も教会史上ほとんど比類のないものである。スミス大管長は、49年の間教会歴史家として働き、教会の歴史と教義に関する特別な知識は、教会中で長年にわたって権威あるものとして認められてきた。彼の手になる著作の多くは福音を学ぶ者にとって欠かすことのできないものとなっている。

スミス大管長は、1876719日に生まれた。18984月、21歳のとき、最初の妻となったルイー・エミラ・シャートリフと結婚した。そして結婚後わずか1年後の1899512日、スミス大管長は父親によって七十人に按手聖任され、翌日伝道地に向けて旅立った。スミス大管長にとって、このような個人的な犠牲を払うことは、今日の私たちのように容易ではなかった。しかし、スミス大管長はその召しを受け、2年間ノッチンガム・カンファレンス(英国中部)で働き、19016月に帰国した。

帰国後、スミス大管長は、教会歴史事務局で働くことになり、生涯の大部分をそこでの仕事に捧げた。さらに1907年系図協会の書記に任命された。

ジョセフ・ブイールディング・スミス大管長は、故デビッド・O・マッケイ大管長が使徒に召されて4年後の191047日、使徒に聖任され、十二使徒評議員となった。使徒としての在任期間はこの神権時代最長、十二使徒評議員会会長としては一番の高齢である。また十二使徒評議員会会長と副管長兼任は彼が初めてであった。そしてマッケイ大管長の死去に伴い、激動の時代の新たな予言者、第10代大管長として召されたのは93歳の高齢を数えるときであった。しかし19727月の逝去の日までは、まさに、愛と奉仕の現世の生涯をしめくくるというにふさわしく、多くの人々に感銘を与える献身の日々であった。

十二使徒評議員会会員になる2年前、スミス大管長は最初の妻ルイー・エミラを失った。また1908112日、エセル。ジョージナ・レイノルズと結婚したが、彼女は1937826日に亡くなった。最初の妻ルイー・エミラとの約10年間の結婚生活ではふたりの娘に恵まれていた。2度目の妻ジェシー・エバンズと結婚した。ジェシーは以前タバナクル聖歌隊のアルト歌手で独唱者であった。生来、陽気で快活なジェシーが33年間大管長の傍らにあって、大管長を元気づけ、愛と献身をもって大管長の世話をする姿には、全く美しいものがあった。ジェシーは生存中にスミス大管長が教会の大管長になるのを目にし、大管長が数多くの教会の任務を帯びて旅行する際に同行し、広く各地を旅した。大管長の厳しい旅行日程に従うだけでなく、多くの国々で聖徒たちの愛にあふれた歓迎会にも出席した。197183日、ジェシーが心臓病で亡くなった折には、大勢の人々が、スミス大管長の悲しみと寂しさを共にした。当時、ハロルド・B・リー副管長が、スミス大管長に深い関心と同惰を示すと、スミス大管長は副管長に向かって、自分の義務を続けて果たしてゆけるように、主が自分を強めてくださるだろうと自信をもって語ったと言われる。