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末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史と情報

教会の指導者ーChurch Leaders

 

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1970年04月6日

大管長デビッド・O・マッケイ、教会出版局長ヘンリー・A・スミス

末日聖徒イエス・キリスト教会の予言者、聖見者、啓示を受くる者として、人々から愛されたデビッド・O・マッケイ大管長は、1970118日、ユタ州ソルトレークの自宅で逝去した。96年の生涯を終えた予言者の葬儀は1月22日ソルトレークのタバナクルで挙行された。 

デビッド・オーマン・マッケイは教会の第9代大管長として195149日ソルトレークタバナクルで開かれた厳粛な集会において支持された。時に77歳であった。 

予言者、聖見者、啓示を受くる者の死去により、およそ20年間にわたり続いた地上における神の王国の進歩の行軍の一つが、他に類を見ない時代として終止符を打った。 

彼が大管長会に在任期間中、教会は歴史を通じて類を見ない驚異的な進歩と発展を遂げた。 

マッケィ大管長は、「聖霊と共にいることができるようにベストを尽くす」との誓いのもとに教会の指導者という責任を引き受けた。霊感あふるる指導、彼に率いられた大管長会の業績は、マッケイ大管長が聖霊と共にあったことの証である。それはまさしく「黄金時代」であった。本当の意味で、教会が国際的視野に立った時代である。 

1952年の夏、マッケイ大管長が聖任後初めて欧州を訪れたとき、彼は「アメリカの教会とヨーロッパの教会員との接近」を確信した。この訪問申、スイス神殿用地を選び、現在建造なったロンドン神殿の用地の購入を考えたのだった。 

これがマッケィ大管長の考え方である。すなわち、世界の国々に住む末日聖徒が、もし神殿の霊にかかわる大きな祝福を受けることができるとすれば、聖徒は祖国にとどまり、教会を建てるであろうと。彼は大管長会在任期間に、5つの神殿を奉献したが、そのうち3つがアメリカ以外の国々、すなわちスイス、イギリス、ニュージーランドであったという事実はこの点において彼がいかに努力したかの証拠となろう。 

さらに、「国際的視野に立った方針」という彼の言葉の証ともなるべき事柄があげられる。すなわち、大管長会在任期聞中に、イギリス、ヨーロッパ、南アメリカ、さらに太平洋諸島において最初のステーキ部が組織されたのである。これらの最初は、1961年に組織されたマンチェスターステーキ部であった。

デビッド・O・マッケイは劇的な情況のもとに教会の大管長となった。第121回年次総大会は4月の678日に予定され、数週間前から計画が練られていた。大会の開かれる2日前、すなわち195144日、ジョージ・アルバート・スミス大管長は自分の誕生日にあたるその日にソルトレーク・シティーの自宅で逝去されたのである。そのとき、ベッドの傍らにはスミス大管長の家族と、大管長の後継者が見守っていた。大管長会の責任が重く彼の肩にのしかかってきたのであった。 

2日後、総大会は大管長空席のまま開かれた。管理権は十二使徒評議員会にあり、デビッド・O・マッヶイはその会長であった。出席した人人やラジオ、テレビで大会の模様を見聞きした多くの人々の記憶によると、十二便徒評議員会管理のもとに総大会が開かれたのはこれがはじめてであった。 

土曜日の大会はスミス大管長葬儀のため中止となり、マッケイ会長が葬式を管理した。そして、大会は月曜日にも開かれ、午前の大会でマッケイ大管長が支持され、同時に大管長会が組織された。副管長は、スティーブン・L・リチャーズとJ・ルーベン・クラーク・ジュニァであった。 

マッケイ大管長が在任した20年近くの間の教会員数、ステーキ部、ワード部、伝道部の数には教会の成長が顕著に示されている。 

1951年マッケイ大管長が就任したとき教会員の数は約115万人であったのに対し今日では300万人近くに急増している。1951年ステーキ部数は180であったのに対し、現在は500である。当時ワード部と支部の合計は1541であったのに対し、現在では4200を越える。1951年伝道部数は43であったのに対し、現在は80を越えている。 

この成長は、マッケイ大管長の霊感に満ちた進歩的な指導性によるところが非常に大きい。教会の支部組織のある世界のいたる所で、彼の影響力を感じることができる。彼は大管長として最も旅をした人である。近代輸送機関を利用して、文字通り地球の隅々にまで旅し、聖徒たちと会い、宣教師を力づけ、礼拝堂や神殿を献堂し、いたる所で教会のために友を作った。その旅行の中には、イギリスとヨーロッパを数回、中南米およびメキシコ、南アフリカ(マッケィ大管長は南アフリカを訪れた最初の教会幹部である)また、かって大管長が足を伸ばしたことのないニュージーランドやオーストラリアを含む太平洋諸国の伝道部訪問がある。 

マッケィ大管長の教会幹部としての在任期間は約64年の長きにわたった。十二使徒評議員会に指名されたのが19064月、32歳のときであった。 

デビッド・O・マッケイは、187398日、スコットランドからの改宗者デビッド・マッケイを父とし、ウェールズ出身のジェネット・エバンズを母として、ユタ州オグデンバリーのハンツビルに生まれた。七歳のとき、父は2年間英国で伝道する宣教師に召され、ハンツビルに残った母と子供たちは農耕に従事した。(マッケイー族は長年ハンツビルの家を別荘として使っており、マッケィ大管長も最後の病にふせるまで、家族と共に生家で過ごすのを楽しみとしていた。

デビッド・O・マッケイはハンッビルで初等教育を受け、!894年ソルトレーク・シティーのユタ大学へ入学、1897年の卒業のときには総代をつとめた。 

卒業後宣教師に召され、父に続いてイギリスで伝道し、教会の傑出した宣教師の一人という評判を得た。このようにして、宣教師と指導者としての人生が始ったのである。18983月、グラスゴー地方部長に任命され18999月に帰国するまで一年以上その召しにあった。 

1899年、現在はウェーバー州立大学となっているユタ州オグデンのウェーバー・アカデミーの教師に任命され、1902年にはこの学校の校長になっている。 

マッケイ大管長は190112日ソルトレーク神殿において、ソルトレーク・シティー出身のエマ・レイ・リッグスと結婚した。二人は世界中の末日聖徒の範となる理想的な伴侶であった。二人には七人の子供がいる。デビッド・ローレンス・マッケイ、ロウェリン・R・マッケイ博士、ロイヤル・リッグス・マッケイ(死亡)ラッセル(ロウ・ジーン)ブラッド夫人、コンウェイ(エマ・ラエ)アシュトン夫人、エドワード・R・マッケイ博士、ロバート・R・マッケイである。 

1906年マッヶイ大管長は使徒に召された数ヵ月後、デゼレト日曜学校協会副管理会長になった。1918年、同管理会長に召され、1934年大管長会に召されるまでこの職にあった。マッケイ大管長は「日曜学校近代化の父」としてよく知られている。多くの貢献のうち、日曜学校プログラムの統一化や日曜学校レッスンの技術と方法の改善に関してはだれも及ぶものがない。幼稚園から大人のクラスまで、年令別で進んでゆく学習コースが始められ、全教会で教師養成プログラムが採用された。 

マッケイ大管長は教会の教育フ。ログラムに多大の貢献をなしている。1906年から1919年まで、彼は教会教育管理会の会員であり、1919年から1921年まで教会教育理事であった。また、ユタ大学の理事、ユタ州立大学の評議員であった。死去した時にも、彼はプリガム・ヤング大学の理事長、教会教育管理会長の職にあった。 

1921年マッケイ大管長とヒュー・J・キャノン長老は世界各地の伝道部を巡った。このような訪問は教会幹部としては、はじめての事だった。二人は南アフリカを除く全伝道部を訪れた。距離にして10万キロにも及ぶ旅行であった。 

1922年、イギリスに本部を置くヨーロッパ伝道部を管理するよう任命され、2年間その職にあった。

その後10年間は、十二使徒として責任を果たし、教会の全世界にわたる活動の指導にっとめた。そして1934年、彼はヒーバー・J・グラント大管長により、大管長会第二副管長に召された。彼は1951年大管長になるまで、グラント大管長、後にジョージ・アルバート・スミス大管長の副管長の職にあった。 

教会役員として多忙な中にも、マッケイ大管長はri眠としての多くの義務、責任を果たしてきた。1938年ユタ州知事は19477月のモルモン開拓者ソルトレーク峡谷到着百年記念を迎えるにあたって、マッケイ大管長を百年記念祭準備委員長に任命した。1947年になって、一年間にわたる州百年記念祭が行なわれたが、ここでマッケイ大管長の指導性がフルに発揮された。そして、ソルトレーク・シティー東部の丘に美しく感動的な、かの「まさにこの土地だ」の記念碑を建て、奉献した。そこは、ブリガム・ヤングとモルモンの開拓者が最初にグレート・ソルトレーク峡谷に足を踏み入れた地である。 

マッケィ大管長は多くの説教、著書を残した。数々の書籍や月刊誌「インプルーブメント・エラ」、「インストラクター」、「聖徒の道」にそれらが見られる。この宗教的な文献は、人々から愛された偉大な指導者の霊感あふれる指導性の記念碑として長くその名をとどめるであろう。 

彼は多くの栄誉を受けた人であった。ブリガム・ヤング大学、ユタ州立大学、ユタ大学、ペンシルバニァ州フィラデルフィアのテンプル大学より名誉博士号を受けた。1951年テンプル大学より名誉博士号を受けたときの表彰状の一部を引用してみよう。「氏の生涯は、教会の評議員、教会の学校の指導、外国伝道の進展、教義と教えに関する著作活動、教会関連企業の指導で占められてきた」19549月イリノイ州シカゴのサージョン国際大学は、マッケイ大管長の「人類の福祉に対する貢献と教育および人道主義確立への努力に対して」名誉会員称を贈った。その他、マッケイ大管長の人類に対する顕著な働きに対して数々の栄誉や表彰が贈られている。 

偉大な人道主義者、模範者たる父、社会の指導者、霊の指導者、霊感あふれる神の予言者を失った今、何百万という人々は彼の死を悼んでいる。(「聖徒の道」に掲載された、ヘンリー・A・スミスによる追悼記事より)