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元気を出しなさい」トーマス・S・モンソン大管長、リアホナ20095月号よりの抜粋

絶対的に困難な状況の中であきらめず,ついに困難に打ち勝った人の最後の例を紹介しましょう。第二次世界大戦後の東プロセインでの話です。

戦後まだ1年もたっていない,19463月ごろのことでした。当時十二使徒定員会の会員だったエズラ・タフト・ベンソンはフレデリック・W・バベルとともに大戦後のヨーロッパを訪問する特別な割り当てを受けました。目的は,聖徒たちに会って必要なものを調べ,援助することでした。ベンソン長老とバベル兄弟は,政府による統制が取られなくなった場所におる,ある教会員の姉妹の(あかし)を聞き,後にその経験談を紹介しました。

彼女は夫と,東プロセインで穏やかな生活を送っていました。そのようなとき,第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)しました。まだ年若い愛する夫は,故郷で続いた恐ろしい戦いの終わりに殺され,彼女は残された4人の子供を一人で育てなければならなくなりました。

占領軍は,東プロセインのドイツ人はドイツ西部に移住して新しい住居を探すようにと定めました。ドイツ人である彼女はその地を立ち去る必要がありました。目的地までは1,600キロを超える道のりで,しかも移動手段は徒歩しかありませんでした。持ち物は,木製の車輪の付いた小さな荷車に載るだけの,最低限の生活必需品しか許されませんでした。子供たちとわずかな持ち物に加えて,彼女が携えて行ったのは神を信じる強い信仰でした。末日の預言者ジョセフ・スミスに啓示された福音を深く信じていたのです。

子供とともに旅を始めたのは夏も終わりに近づくころでした。持ち物はわずかで,食べ物もお金もありません。日々の食べ物は,行く先々の野原や森の中で集めるしかありませんでした。パニックに陥った難民や,兵士による略奪の危険と常に隣り合わせでした。

数日,数週間,数か月と旅を続けるうちに,気温は氷点下にまで下がるようになりました。赤ん坊だった末の子を腕に抱き,来る日も来る日もいてつく地面をよろめきながら進みました。ほかの3人の子供も母親の後を何とかついて行きます。最年長の7歳の子が,所持品を載せた小さな木製の荷車を引いていました。全員,破れてぼろぼろになった麻の布を足に巻き付けていました。靴は大分前に壊れてしまっていて,足を保護するものはこれしかなかったのです。また,寒さをしのぐものは,薄くてぼろぼろの服の上に着た,薄くてぼろぼろの上着しかありませんでした。

間もなく雪が降り始めると,昼夜を問わず,旅は悪夢となりました。夕方になると,母親と子供たちは屋根のある場所を探します。納屋や物置のような所が見つかると,荷車から薄い数枚の毛布を持って来て上からかぶり,身を寄せ合って暖を取りました。

彼女は,目的地に着くまでに死んでしまうのではないかという恐怖を振り払おうと常に闘っていました。

ある朝,信じられないことが起こりました。目が覚めると,3歳の娘の小さな体が冷たく,動かなくなっていたのです。心臓が凍りつきました。娘は死んでいたのです。悲しみに打ちひしがれながらも,残る子供たちを連れて旅を続けなければなりませんでした。しかし,その前に,唯一の道具であるテーブルスプーンで凍った土を掘り,大切な子供の小さな体を納めました。

しかし,旅の間,死は彼女のもとへ何度も忍び寄りました。7歳の息子が飢えか寒さ,あるいはその両方が原因となって亡くなりました。シャベルの代わりはここでもスプーンでした。何時間もかけて墓穴を再び掘り,息子の亡骸なきがらをそっと埋葬しました。次に5歳の息子が亡くなりました。再びスプーンをシャベルの代わりにしました。

絶望は極限に達していました。小さな赤ん坊の娘だけが残りましたが,そのかわいそうな赤ん坊にも死が迫っていました。そして彼女の旅路が終わりに近づいたとき,赤ん坊は母親の腕の中で息を引き取りました。しかし,もうスプーンはありませんでした。彼女は凍った地面を,素手で何時間も何時間も掘り続けました。耐えようのない悲しみでした。雪の中で,最後の子供を埋葬した墓地の傍らにひざまずくことなどどうしてできるでしょうか。彼女は夫とすべての子供を失いました。この世の持ち物,家庭,そして故郷さえも失ったのでした。

悲しみと混乱が極限に達したこの瞬間,彼女は胸が文字どおり張り裂けようとしているのを感じていました。絶望の中で,どのようにして自分の命を絶つかを考えました。彼女と同様に故郷を追われて旅をしている多くの人がそうしていました。近くの橋げたから飛び降りるか,走って来る列車に飛び込んだら,どんなに楽だろうかと考えました。

こうした考えに襲われているときに,胸にささやく声がありました。「ひざまずいて祈りなさい。」彼女はそれを無視していましたが,ついにその声を否定できなくなりました。彼女はひざまずくと,生涯でかつて経験したことがないほど熱烈な祈りをささげました。

「愛する天のお父様,これからどうしていけばよいのか分かりません。すべてを失いました。あなたへの信仰しかありません。お父様,荒れ果てた心に感じるの は,御子イエス・キリストが果たされた(あがな)いの犠牲に対する,圧倒されるばかりの感謝の気持ちです。御子への愛を十分に表すことができません。御子が苦しみ,亡くなられたおかげで,再び家族と一緒に暮らせることを知っています。御子が死の鎖を断ち切ってくださったおかげで,子供たちと再会して,育てる喜びにあずかれることを知っています。今は生きる希望をなくしていますが,家族が再び一つになり,お父様のみもとへ一緒に帰るために,生きていきます。」

目的地であるドイツのカールスルーエに着いたとき,彼女はひどくやせ衰えていました。バベル兄弟によれば,彼女の顔は血の気が引き,目は充血して腫れ上がり,関節は突き出ていました。文字どおり,ひどい飢餓状態にありました。それから程なく開かれた教会の集会で,彼女はすばらしい証を述べ,悲しみに満ちた故郷の,病気に苦しむ人々の中でも,自分は最も幸せな者の一人だと言いました。神が生きておられ,イエスがキリストであり,わたしたちが再び生きるために主が亡くなり,復活されたことを知っているからでした。最後まで忠実であり,誠実であるなら,死んでいった家族と再会して,神の日の栄えの王国で救われることを証しました。8