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モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

真理を愛しているの皆様へ

 

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東京でバプテスマを受けました

わたしたちの今のホームティーチャー、チャールズ・ショット兄弟は朝鮮戦争の時アメリカ海軍に入っていたのです。その時モルモンの友人ができて、改宗されました。1952年に太平洋で船にのっていまして、横須賀に入って、彼はバプテすマを受けたいでしたので、東京まで行って、伝道本部でバプテスマを受けたのです。

名誉幹部のハートマン・レククー・ジュニア も同じ年に同じところでバプテスマを受けたのです。レクター長老のストイーリは下記のとおりです。

「愛の心で最後まで耐え忍ぶ」からの抜粋、七十人第一定員会名誉会員ハートマン・レククー・ジュニア

聖徒の道19951月号27

ほとんどの皆さんがご存じのように,私は改宗者です。朝鮮戦争中に合衆国海軍で働き,1952年に日本の東京でバプテスマを受けました。生まれ育ったのは,この教会の初期の歴史の舞台となったミズーリ州ですが,モルモン教会については何も聞いたことがありませんでした。私は真理を探し求め,聖書を読み,イエス・キリストが地上で生活し復活されたことを信じていました。しかし,疑問がたくさんありました。たとえば次のようなことです。神はなぜ聖書が書かれた古代と同じように,今日も人に語りかけてくださらないのだろうか。イエスがご自身の父であり,聖霊であるということがあり得るだろうか。なぜイエスは罪がないのにバプテスマを受けなくてはならなかったのだろうか。私は生まれる前どこにいて,死んだ後はどこへ行くのだろうか。神の十戒を守っていないのに,キリストを信じるだけで,どうして救われるだろうか。 

きっとこれまで耳にしたことのない答えがあるに違いないと思っていました。そしてその答えは, 

カリフォルニア州サンディエゴで,テッド・レイバン長老とロナルド・フライゲール長老が私の家を訪れた時に与えられました。妻のコニーがふたりを中に入れ,モルモン経を受け取ったのです。その時私はハワイにいました。 

朝鮮戦争での軍務に就く前に,14週間にわたる訓練を受けていたのです。家に戻ると,コニーがモルモン経を渡してくれたので,私は早速読み始めました。ニーファイ第二書を読み終えるころまでには,その本が真実であるとわかりました。ニーファイのおかげで私は改宗へと導かれたのです。そして,サンディエゴにある,当時のバレンシアパークワード部の教会に出席し始めました。しかし,軍務に伴う準備のために,モルモン経の勉強や教会への出席が不可能になり,再びできるようになる日を待ちこがれていました。 

間もなく,その時はやって来ました。「フィリピン・シーズ」という航空母艦に配属されている間に,最良の書物と思われるものを14冊も読めたのです。その中には教会の標準聖典に加え,ジョセブ・スミス(二代目)からデビッド・0・マッケイまでの歴代大管長の著書,パーレー・P・プラットやオルソン・プラット,そのほかの人の本がありました。飢え渇いた人がようやく食べ物や飲み物にありついた時のように,私は夢中になって読みました。日本に到着するころには,同船していた末日聖徒のグループから,バプテスマを受けるべきだと言われました。そこで彼らとともに東京の伝道本部を訪ね,バプテスマを受けたいと申し出ました。 

しかし,求道者としてまだ1年たっていないために条件が満たせず,バプテスマは施せないと告げられました。それでも私はあきらめずに面接をお願いし,1時間半の面接の末に,ついにバプテスマと確認の儀式のための推薦状を手にしました。 

「フィリピン・シーズ」に乗船していた末日聖徒のリーダーであったマクドナルド・B・ジョンソン兄弟がバプテスマを,ブレッド・ゲイロード・ピーターソン兄弟が確認の儀式をそれぞれ施してくれました。 

こうして私は1952226日に教会員となったのです。同じ日,私は執事の職に聖任されました。その後,船が日本に帰還するたびに,神権の職の昇進を受け,1952726日には長老の職に聖任されました。8月にサンディエゴに戻った私は,妻が同じ年の31日にバプテスマを受けていたことを知りました。こうして私たちはイエズ・キリストの福音により結ばれた家族となったのです。さらに私たちは3人の子供たちとアリゾナ州メサにあるアリゾナ神殿で結び固められることを待ち望みました。その願いは19535月に実現しました。 

バプテスマを受けてから16年後,デビッド・0・マッケイ大管長から七十人最高評議員会会員に召されました。19684月のことです。ジョン・モーガン長老以来,改宗者が幹部に召されたのは86年ぶりのことでした。それから26年間,私はその召しを果たしてきました。