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モルモン

とは?

What of the

Mormons?

 

真理を愛しているの皆様へ

 

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塩はどのような味がするか 

わたしがまだ教会幹部に召される前に体験した出来事を紹介したいと思います。それは私自身に大きいな影響を与えました。飛行機に乗っていた時のことです。私は無神論者を自認する男性と隣合わせた席に座りました。その人が神を信じていないということを執拗に言い張るので、私は証しました。「あなたは間違っています。神は実在しているのです。私は神が居られることを知っています。」 

彼は反論してきました。「そんなこと分かるはずないでしょう。一体全体だれに分かるというんですか。分かるはずがありませんよ。」私がどうしても折れないと見てとると,弁護士だというその無神論者は,証というテーマに関して決定的な意味を持つと思われる質問をしてきました。彼は人を見下すような態度でこう言いました。「まあいいでしょう。それでは,あなたは知っていると言うが,一体どういうふうに知っているのか説明してもらいましょうか。」 

私は学位も取得していましたが,いざ説明しようとすると,何と表現してよいのか.途方に暮れてしまい、ました。 

冷笑家,懐疑論者の質問すべてに答えることができずにさげすまれ,当惑する宣教師がいます。そのような(あざけ)りを受け,うづむいて恥じ入る人もいます。(鉄の棒,大き

な建物,人々の嘲りを思い起こして下さい。〔1二一ファイ828

私が「みたま」「証」などの言葉を使うと,その無神論者は「何を言っているのかさっぱり分かりません」と答えてきました。「祈り」「識別の賜」「信仰」などの言葉も彼には何の価値のないものでした。彼がこう言いました。「いいですか。あなたは本当は分かっていないんですよ。もし分かっているなら説明できるはずじゃないですか。」 

私は彼に対する証がまずかったのではと思い,どうしたらよいのか当惑してしまいました。その時です。何かが私の心の中に注がれました。ここで予言者ジョセフ・スミスの言葉を引用したいと思います。「人は啓示のみたまの最初のささやきを自覚しただけで祝福を受ける。例えば聖い知識が心に流れ込むのを感じた時,あなた方の心にはいろいろな考えが閃光のように次から次へと浮かんでくるだろう。そしてそれがその日のうちに,あるいは間もなく実現するのである。すなわち神のみたまによりあなた方の心に示された事柄はその通りになる。そして神のみたまがどのようなものかを知り,理解する時,あなた方は啓示の原則を自分のものとして進歩し,やがてイエス・キリストにあって完全な者となるであろう。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith,p.151) 

そのような考えが頭にひらめき,私は彼に言いました。「それでは私にも質問させて下さい。あなたは塩がどのような味かを知っていますか。」 

「当たり前ですよ。」

「一番最後に塩を口にしたのはいつですか。」 

「さっき機内食で味わったばかりです。」 

「それなら,塩の味がどんなものか本当に知っているのですね。」 

「塩の味だけじゃない,何でも知っていますよ。」 

「あなたに塩と砂糖を一杯ずつ与えて,両方をなめてもらうとします。塩と砂糖の味の違いを説明できますか。」 

「随分子供じみたことを言いますね。当たり前でしょう。塩の味くらい分かりますよ。塩をなめたことがない人なんてどこにいるんですか。常識ですよ。」 

「それでは,私が一度も塩をなめたことがないと仮定して,それがどんな味か説明して下さい。」 

彼はちょっと考えた後で,口ごもりながらこう言いました。「甘くもない,すっぱくもない。」

「それではどういう味でないかを言っているだけで,どういう味なのかの説明にはなっていませんよ。」 

何回か口で説明しようとしましたが,できるはずがありませんでした。塩の味というようなごく当たり前のことなのに,彼は言葉だけでは説明できなかったのです。私はもう一度彼に証し,こう言いました。「私は神がおられることを知っています。あなたはこの証を(あざけ)り,もし分かっているなら,どう分かっているのかちゃんと口で言えるはずだと言いまレた。霊的なたとえ方をすると,私は塩の味を知っています。私はこの知識がどのようにして与えられたかを言葉では説明できませんでしたが,それはあなたが塩の味を説明できないのと同じことです。しかし,もう一度申し上げておきますが,神は実在の御方です。生きておられるのです。自分が知らないからという理由だけで,私まで知らないなどと言わないで下さい。私は知っているのですから。」 

別れ際に彼はつぶやくように言いました。「私はあなたが信じているような宗教に頼らなくてもやっていけます。そんなものは必要ありませんよ。」 

それ以後,私は自分が知っている霊的な事柄を言葉だけで説明できない場合でも,まごついたり,恥じ入ったりしたことは一度もありません。使徒パウロはそのことを次のように言っています。 

「この賜物について語るにも,わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで,御霊(みたま)の教える言葉を用い,霊によって霊のことを解釈するのである。 

生れながらの人は,神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また,御霊によっ.て判断されるべきであるから,彼はそれを理解することができない。」(1コリント2:,13-14)「主のともしび」ボイド・K・パッカー、聖徒の道年198310,35